薄闇の気配
新キャラ登場。『薄闇の気配』なんて言ってますが、妖しい出来事があったりバトったりするわけじゃありませんので。
――夢を見た。
薄闇に満たされたその場所は思いのほか心地よく、
そこで誰かと出会い、何かを話した。
目覚めは静かだった。
何か夢を見ていたのは確かなのに、内容は覚えていない。夢はたいていそんなものだと言われればそれでお終いだが、やたらと気になって仕方がなかった。
「…まあ、いっか…」
もそもそと着替えをしながら、あくびを一つ。
今日は仕事の日だ。そろそろシャッキリ動かなくては。
ぱん!
「ぅしっ」
両頬を手の平で打ち鳴らして気合を入れる。
「行くかっ」
「おはよう、リジュ」
「おはよっ、じーちゃん!」
すでに朝食の席に着いている祖父に、元気よく返す。
一見頑固そうな祖父だが、その実大の子供好きで、末娘の忘れ形見であるリジュを溺愛していた。少しでも元気のないそぶりを見せると、大げさな程に心配してしまう。だから一日の始まりの挨拶は、特に元気いっぱいにするよう心がけていた。
「朝食は、ノイノが作ってくれよったぞ」
「あれ、あいつもう行っちゃったのか。メシくらいゆっくり食ってけばいいのに」
ノイノは従姉妹だ。祖父の長女の娘に当たる。
リジュよりも一年と半年ほど早く生まれたからか、姉貴風を吹かせたり、世話を焼いたりしたがる。朝食も、頼んでないのにちょくちょく押しかけ…いやいや、ありがたくも作りに来てくれるのだ。
「昨日の事件もあって、忙しいようじゃ」
「ああ…」
「学校も同じ街区なんじゃろ? しばらく休んだらどうかの…」
祖父は本心では、神学校に通ってほしくないのだ。末娘を神子候補として教会に奪われたあげく、成人することなく死なれてしまったのだ。
それ以来教会に対して、不信というほどではないが、一歩引いて間に壁を持っている。
この上、孫まで教会に取られるのではと、不安を抱いているのだ。
「大丈夫だって。何かあれば、ちゃんと避難するし」
昨日の襲撃のさなか、現場に居合わせたのは祖父には内緒だ。ただでさえ年で足腰が弱いのに、さらに心労まで重ねるのは申し訳ない。
ノイノはセイと同じ部隊に所属しているが、事件後の調書に目を通すようなマメな性格をしていないから、彼女の口から祖父に伝わることはないだろう。一つの班を預かる長としてそれはいかがなものかと、以前から注意をしていた欠点がこんな所で役立つとは。
「じーちゃんこそ、ちゃんと避難してくれよ。足とか痛けりゃ、近所の人に助けてもらってさ。怪我なんかしたら、オレ泣くからね」
「そう簡単に怪我するほど落ちぶれておらんわい」
普段は自分で足が腰がと言うくせに、人に指摘されると途端に見栄を張る。
まったくもう、じーちゃんらしいな。アハハ、と笑いあう。
「ごちそうさまでした、と!」
席を立って、食器を片す。祖父のもまとめて洗ってしまう。
「じゃ、行ってきます!」
「気をつけてな」
なんて事のないこの日常こそが、何より愛おしかった。
「リイ」
家の鍵を掛けたところで、呼び止められた。
「セイ? どうしたんだ、こんな時間に。ノイノはもう行ったけど、セイはこんなゆっくりしてて、大丈夫なのか?」
「あいつははりきり過ぎだ」
「そりゃ、あいつはそれしかないし」
ノイノはあまり頭が良くないことを自覚していて、とにかく剣の腕とやる気だけで上へ上がろうとしているのだ。
二人は足並みを揃えて歩き始めた。
「それで?」
「一応報告だ。お前が店主に指摘していた、姿を消した店員のことだが、やはり身元詐称していたらしい」
「それじゃ、やっぱあの女が闇の輩を引き入れたとか?」
「それが違うようだ。騎士団が逃げる奴らの一部を捉えたのだが、どこの店舗にも一人も侵入させていなかった、と言っているそうだぞ」
「ええ? んじゃ、あの女、何もんだろう?」
「一応、今後も調査を続けるが、期待はしないほうがいいと思うぞ」
「うーん…」
逃げたからには何かやましいことをしていたのだろうと思い込んでいた。もしも襲撃の先発隊の役割を持っていたのなら、今後の防衛の作戦に役立つかもしれなかったのだが。
「……。あの後、正神父に結界について意見を伺った。とっさにあれだけの人を守れたのなら、充分なのだと、言っていたぞ」
「…そうか…」
「ただ、規模が…。学生によるものにしては、錬度が高すぎるとか…」
「…そりゃ、三人合わせてたから…」
「残留していた気配を探った神父が言っていたのだ。二人分の力はほとんど気休め程度だと。ほぼ、一人だけの力だと。…首席といえども、たかが学生に出来る事ではない、と…」
答えが見つからない。どう言えば追及を収めてくれるのか、分からない。
「……。だが、俺にとっては、お前が無事でいられるのなら、どんな力であろうと構いはしないな」
どうして、セイはこんなにも大人なのだろうか。きっと問いただしたいに違いないのに、絶妙なところで引いてくれるのだ。同い年だとは到底思えない。
「それから」
顔を見て会話をしようとすれば、背の低いリジュが見上げる形となる。時々行き過ぎて、顔でなく焦げ茶の頭を見てしまう。
今日もうっかり目線が頭まで行ってしまい、戻そうとしてふと、そういえば、と真面目な話をしている最中だというのに、くだらないことが頭をよぎった。
外見など気にしそうにないセイだが、意外にも髪型にはこだわりがあった。短い髪をツンツン立たせているのだが、恐ろしいことにどんなに激しい運動後であろうと、豪雨の後であろうと、その髪型に一切の乱れが生じない。
いったいどんな整髪剤を使っているのか、はなはだ疑問に思う。稼いだ金を、高級な整髪剤などに費やすような愚か者ではない筈だが…。
「分かっているとは思うが、ノイノは一切報告書関係を読んではいない」
「ノイノらしいよな。オレとしては、じーちゃんに何も伝わらなくて助かったけど」
「じいさんに、昨日のことは言わないでいるつもりか」
責めるような口ぶりだった。リジュとて、自分が知らされない立場にいたら嫌だと思う。知らないでいるより、知っていて心配するほうが増しだと思う。
「だって、じーちゃんは年寄りだ。心労で倒れたりしたら…」
「昨日のような事がある度、何も言わないでいるというのか?」
「……」
セイは立ち止まり、リジュの腕を掴んだ。強くはないが、逃れることを許さぬ意思を感じさせた。
「分かっているのか? 昨日、闇に連れさらわれた人がどれほどいたか。分かっているのだろう? いつ昨日のような事があって、昨日のように防ぎ得ないかもしれないと」
「…分かってる…っ」
「ならば向き合うべきだろう。いつ誰が失われてしまうか分からないのだぞ。たった二人の家族だろう。後悔したくはないだろうが」
リジュは感情に任せて、セイの手を振り払った。
「わかってるさ…!」
セイの説教がグサグサ胸に突き刺さる。自分でも分かっていることだ。この国の民、全てに平等に危険があるのだ。自分の力が足りない時が来るかもしれない。自分の知らない所で、祖父がどうにかなってしまうかもしれない。
けれど祖父を目の前にすると、心配を掛けたくないという気持ちが先に立ってしまうのだ。
「喧嘩かい?」
二人の間に水を差したのは、幼い頃から知っている放浪師の男だ。放浪師は自らの腕前一つだけを頼りに各地を放浪し、見聞してきた出来事や暮らしの様子を人々に伝える職業だ。
騎士団や警備隊に常に守られている、ここ王都と違って、各地に点在する村を守るものは巡回する騎士団だけだ。騎士団を各地に常駐させる余力は光の国にはすでになく、それ故に各地の村はいつ滅びてしまってもおかしくなかった。
このような世情の中自らの危険を顧みず、各地の様子を多くの人々の記憶に留めようとする放浪師は、多くの尊敬を集める職であった。
「おっさん!」
「ハズロさん、お久しぶりです」
ハズロはいつもリジュの呼びかけには苦笑いする。五つかそこらの頃に、放浪師として駆け出しのハズロと出会ってからの付き合いだが、最近になってようやくこの微妙な表情の意味を悟った。
まあ、誰でも三十路前に『おっさん』とは呼ばれたくないだろう。
理解しても、今更呼び方を変えるのも、余計おっさんだと思っているようなので、そのままにしていた。
「やあ、リジュ君、セイ君。元気そうで何よりだ」
「ハズロさんも。今年もお会いできて安心しました」
「おっさん、外はどうなってんだ?」
大人な挨拶はセイに任せて、リジュは好奇心を優先する。どの区民であれ、王都の人間は自由に外に出られないのだ。それに対して不自由も不満もないが、若さもあって迸る好奇心は止められない。
「リイ。ちゃんと挨拶くらいしたらどうだ」
呆れ顔のセイに、ハズロか気にするなと手を振っている。
「それより話したいことがあるんだよ。去年にした、モイド地方の話を覚えているかな?」
モイド地方は王都から最も遠くに位置する。つまりは、最も闇の国に近いということだ。一番危険に近い村人達は洞窟を利用するなどしてうまく隠れ住んでいたのだが、昨年ついに発見され、滅びてしまったのだ。
「と、思われていたんだけどね。なんと生存者達が寄り集まり、新しい集落を作っていたんだよ!」
「へぇ!」
「それはすごいですね」
普通はその地で暮らすのは諦めて、王都まで逃げてくる。ほとんどの人が財産をすべて失った状態でやって来るため、下区に住むしかなくなるのだ。
「いやあ、あの地方の人達は強いよ」
それは王都から遠い地で生きてきたから可能なのかもしれない。逃げようにも、王都への道のりはあまりに遠い。ならば生まれ育った地で再出発しようと考えたのだろう。
しかし家を壊され、親しい人を奪われ、それでもめげることのない生き様は素晴らしい。果たして王都に住まう人々は、同じように自分を失わずにいられるだろうか。
「王都では、何か変わりは?」
話を聴いて、話をする、というのが放浪師との付き合い方だ。このようにして手に入れた話を持って、放浪師は各地へ旅立つ。
「あった、あった。昨日な!」
「こいつが巻き込まれました」
「ええ! 大丈夫だったのかい?」
「ご覧のとおり、ぴんぴんしていますね」
「何があったんだい。そういえばさっきの喧嘩、昨日がどうとか言っていたね」
そんなに大きな声だったかと冷や汗を流す。祖父は耳が遠くなっているし、家の中までは届かなかっただろうが、気をつけねばならない。
「人狩りですよ、闇の人狩り」
セイが忌々しげに吐き捨てた。
「街区の商店街が狙われました。下区寄りでしたが、高級店が並ぶ地域だった。一番にぎわう時間帯だったっ。絶対にあらかじめ調べて、計画を立てたに違いない…!」
セイは興奮のあまりに丁寧な口調を忘れてしまっていた。
「だけどリジュ君がこうして無事だということは、他にも助かった人がいるんだろう?」
「まあね」
「綿密な計画が、どうして失敗したんだろう…?」
「失敗って」
随分な言い方をするものだ。喜ぶところを、どうして失敗してしまったのか、などと。しかも助かったのは一部の人だけで、同数以上が持っていかれたというのに。
「失敗じゃないんじゃないか? 助かった方が少ないんだし」
「リジュ君、君が助かった原因はなんだい?」
「原因て」
ますます嫌な言い方だ。相手をしているのが短気な性格だったら、今頃トラブルに発展してるんじゃなかろうか。
「偶然ですよ。こいつが助かったのは、偶然神父が居合わせたからです」
セイは少し落ち着いたようだ。
「神官職が、高級店に?」
「あの辺りは、高級店だけではありませんよ」
「オレだって、巻き込まれたし」
「確かにね。随分な偶然があったものだね」
「……」
なんというか、こう、この人は色々気をつけたほうが良いのではなかろうか。
「あー…、おっさん、あのさ。オレ達仕事に行かないと…」
大の大人に話し方をレクチャーするのも気が引けて、つい逃げを打ってしまった。実際にそろそろ出ないとまずくはあるのだが。
「ああ、そうか! 引き止めて悪かったね。…そういえば、リジュ君はどこで働いているのかな。セイ君は警備隊だったよね」
「そうです」
「オレは今日から城…で…」
ハズロの目がキラリと光った気がした。もちろん怪奇現象では在るまいし、実際に目が光るわけがないのだが、つまりは目をつけられた気がしたのだ。うまい話を聞いたぞ、と。
「それじゃ、今度時間があるときに、また話をしようね」
「あ、ああ…」
セイが会釈するのを皮切りに別れることとなった。
余裕を持って家を出てきたのだが、今の会話でだいぶ押してしまっている。仕事場に向かう前に、一箇所寄る所があるので、少し急がないとならなかった。
「城で働くのか?」
「うん、紹介してもらって……。ああ、結界の件、話さないでくれてサンキュー」
「放浪師に話したら、すぐ話が広まるからな」
セイと話をしながらも心あらず、だった。抜けない棘のように、何かが心に引っかかっている。
「リイ?」
心惹かれるままに、後ろを振り返った。
しばらく探し求めて、離れた場所で見知らぬ男としゃべっているハズロを見つけた。行商人、だろうか? 行商人は巡回騎士団について各地を回る。年恰好はハズロと似ているが、放浪師と行商人の間に共通点はないように思えた。
とはいえ、話をするのが放浪師の役目ではある。
「…………」
あの放浪師とは長い付き合いだ。昔から、分かりやすく飽きないように話をしてくれたし、支離滅裂な子供の話もしっかり聞いてくれた。信頼の置ける人物だ。
なのに、何がこんなにも気に掛かるのだろうか。
「何か気になることでもあるのか」
セイには分からないようだ。あの、なんとも言えぬ違和感が。
「……。いや、多分…気のせいだ」
思い返せば、彼はいつも闇の失敗部分を気にかけていた、など、きっと気にするほどのことではないだろう。
そう思いながらも、見たくない部分を蓋で隠しているような感触が消えることはなかった。
実は主要登場人物の各ルートがあります。それぞれのエンディングもある程度考えてあるので、このルート(誰のルートでストーリーを進めてるかは秘密です)でこの人を動かして、とか、あいつの考えを表に出して、とか、整理するのが大変です。おかしな流れにならないよう、気をつけますね。