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決意の音色

普通に女の子出てきます。しばらくはかなり頻繁に出てきます。女の子は必要です。いくらなんでも、男だけの物語って有り得ないと思うので。

リンゴーン。


学校長自らの手で打ち鳴らす、この神学校の授業終了の鐘の音は清らかに澄んでいて、この周辺一帯の名物となっていた。

 隣接する教会に負けず劣らず美しい音色で、道を歩む者達が思わず足を止めてしまうほどだが、生徒にしてみれば自由を知らせるだけの嬉しい音でしかない。

 いずれ神に仕える身とはいえ、彼らのほとんどは、いまだ幼い未熟な子供達だった。


「リジュ君!」


 神学校の制服は男女共通でシンプルなデザインだ。正神官服とは、色と長さが異なる。神官服は真っ白で黒い縁取りに長さは膝裏まであり、生徒服は真っ黒な生地に白い縁取りで、長さは腰が隠れる程度だ。

 だが今“リジュ”と呼ばれて振り向いた金の髪の少年だけ、周囲とは異なった制服を着ていた。


「今回も首席だったわね。おめでとう!」


 わずかに頬を上気させた赤毛の少女が、瞳をキラキラさせて祝いの言葉を紡いだ。


「ありがとう。でも、オレが通う条件として、トップを取り続けるって校長との約束だしさ。『当たり前』って思っとかないとダメなんだ」


「でもでも! トップって『学年首席』ってことなんでしょう? リジュ君は『学校首席』から落ちたことないじゃない! 並み居る先輩を押しのけてっ、ね?」


 リジュの着る制服の色は白く、縁取りは黒。長さは腿の半ばまであり、学生服と神官服の中間となる。

 この服は神学校のトップに立つ者にのみ許された、神官の座に最も近い者の証なのである。


「週に三日しか出席しないのにねえ。あたしらの半分じゃない。一体どう勉強してんのやら」


 癖のない茶髪の少女がおどけた口調で会話に入ってきた。


「どうって…。図書室が閉まるまでは、大抵そこで勉強してるけど」


 普通に予習・復習してるだけだよ、と続ける。


「普通に~?」

「あ。でしたら、ごめんね? 私が今日お誘いしたのは迷惑、だったかしら…」


 赤毛の少女は緩やかな癖毛を指で絡め取りながら、もじもじと呟いた。


「別に気にすんなって。それより、そろそろ行かないか?」


 リジュは少女のそんな態度を気にもせず、カラリと笑った。


「あ、私たち、着替えてから…」

「着替え?」


 リジュはきょとんと反復した。なぜ着替える必要があるのか。


「カリアーナ、今日は君の婚約者の誕生日プレゼントを選びに行くんだろ」

「う、うん」

「男の人の好みが分からないから一緒に店に行ってくれって、それはいいんだけどさ。私服姿で一緒に居る所なんかもしも見られたら、何か誤解されるんじゃないか」

「……」

「あ~っ、もー!!」


 なぜか沈んだ顔をする赤毛の少女・カリアーナの横で、茶毛の少女が突然激しく叫びだした。


「乙女心の分っかんないヤツは黙って待ってな! あたしらは、と・に・か・く、着替えてくるから、半時ほどどっかで時間潰してるよーに! ほら、カリナ、行くよっ」

「エ、エアル、待ってよ…」


ばたばたと足音を立てて、二人が教室を出て行く。

 女子特有のかしましさが消え、辺りはしんとなった。ほかの生徒たちはとうに帰宅していたらしく、街のざわめきが微かに聞こえるほどに静かだ。


「乙女心?」


取り残されてしまったリジュは一人呟く。


「分かれって、ムリだろ。オレ、女じゃないし」


 彼女達の言う所の“乙女心”を理解するには、リジュの心はまだ幼すぎるようだった。





 半時後、三人は問題なく合流した。


「カリアーナの婚約者ってどんな人?」


 合流して早速切り出した。


「年齢とか、性格とか。いくつか良さそうな店は知ってるから、できるだけ好みに合う物を贈りたいだろ」

「えっと、性格は、そうね…冷静な人、かしら。軍務省勤めなのだけど、声を荒げたりはしなそうだわ」

「軍務省!?」


 思いもよらぬ言葉だった。カリアーナがつい先日十五歳の誕生日を迎えたばかりだったから、相手もいっていても、成人するかしないか位かと思っていたのだ。

 しかし、軍務省・軍人だとは。

 確かあそこは、騎士としてのキャリアを相当積んでからでしか入れぬはずだ。


「ふふふ~んっ。あたしは知っているっ。カリナのお相手はー、誕生日でなーんと二十八歳!」

「二十八!?」


 つい声を荒げて、カリアーナの顔をまじまじと見てしまう。軍人というエリートにしては随分と若輩だが、彼女の相手としては年上過ぎではないだろうか。

 カリアーナ本人は複雑そうに視線を彷徨わせている。


「十三も年の差ありだなんて、ひどいよねぇ? でもお貴族様方ってのは、こんなの普通なんだってさ」

「は……」


 驚きはしたが、納得した点もあった。そもそも誘いを受けた時から、そんなに乗り気は感じなかったのだ。

 貴族である彼女にとって、結婚は恋愛して行き着く楽しいものではなく、やらなくてはならない義務なのだろう。


「あー…まぁ、んじゃ、そしたら『フィナルジャの店』がいいかな。落ち着いた色合いとデザインが売りの店で、幅広い年齢層に人気があるってウワサだし」


 プレゼントも義務として贈るのなら、好みなどあまり深く考えずに、無難な物を選ぶべきだろう。


「『フィナルジャの店』って、確か下区寄りになかった? あたしんちみたいな『裕福でもただの商人』相手くらいならいいと思うけど、貴族間のプレゼントで、あそこはまずくない?」


 あたしも入ったことないから中までは知らないけど、とエアル。


「うん、オレも直には知らないけどな。けど何人もの貴族があの店褒めてたから、問題はないと思う」


 二人で申し合わせたかのように、カリアーナに視線を送る。


「まあ、でも。カリアーナが下区に近づくのはまずいなら、ほかの店にするけど。どーするか」


 長く整ったまつげがパチパチと音がしそうなほど瞬きを繰り返して、カリアーナはリジュとエアルを交互に見た。


「大丈夫よ」


 にっこり笑って頷いてみせる。


「下区に行くことだって禁止されているわけでもないのだし」


 それにね、と小首を傾げて再度笑い、


「行った者勝ち、でしょ?」


 いたずらを思いついたような顔をした。





 店内には予想以上に客が多く入っていた。

 通路を広めに造られていたため、さほど混雑には感じられないが、三人はやや圧倒されていた。


「すごい…」

「う、うん」


 何がすごいかと言えば、店員達だ。これだけの客入りならばさぞかし忙しいだろうに、せわしなさを一切感じさせない接客態度は文句なしだ。

 絶やさぬ笑顔。柔らかくて丁寧な物腰。なるほど、貴族に人気となる訳だと思う。


「それにしても、リジュ、あんた良くここのウワサなんて知ってたね?」

「ああ、オレって貧乏なんだって言ったろ、前に」

「えっと…」


(まー、誰も信じなかったけどな)


「アレは本当なワケ。で、学校に来てない日は、オレ働いてんだよ。オレは両親いないし、じーちゃんも年だから、オレも働かないと生きてけないからさ」


「……」


 おや、黙り込まれてしまった。

 暗くしたくてこの話をしているのではないのだ。


「オレって運良くてさー。結構良い所で仕事してるんだ。そこで貴族のおじ様方が色々教えてくださったってわけだ」


 話しながらも、ショーケースの中や棚の上を物色し続ける。

 ハンカチ、サイフ、ベルトなどの小物から、コートや果ては馬具までも置いてある。馬具はさすがに高価すぎるし、何より女性から男性への贈り物には不似合いだ。マダムから少年へはまだしも、少女から紳士へのプレゼントなのだからして。


(ん…これは?)


 色とりどりの石のはまった、ブローチのようなものがあった。


(へえ…)

「な、こんなのどーだ」


 いつの間にか数歩離れてしまっていた二人を手招きする。


「記章の留め具だってさ」

「留め具…」

「何ソレ?」


「カリアーナは知ってるんだろうけど、上流階級の人はさ、身分を示す記章を肩に付けるんだよな。それの留め具だよ。…特にコレなんか良いんじゃないか? 水晶のヤツ」


 十数種類の内、右上に置かれている物を指し示す。


「これ、石の底っつーか、台座に十字架が彫ってあるんだよな。石も水晶で清らかな感じがするし、神学校生徒が選ぶ物らしくていいと思う」


「うん、…きれいね」


 微笑んではいるが、どことなく泣きそうな声だった。


「? 何、どうし…っ!?」


 突然、ぐらりと眩暈がした。


「…っ、こ、れは…つぅ」


 心をくじき、折ろうとする重いプレッシャー。


「く…あっ、悪しき、気配…!」


 敵国の扱う、人心を悪意に堕とす闇の魔法。


「う、そ…。だって、警報、鳴ら…なかっ…っ」



                     時はウツロ

                     影は闇に堕つ

               穢れの海にたゆたいし 我ら魔の尖兵



「くそ…っ」


 歌だ。

 詠が聴こえる。

 光から闇へと堕とす、魔成の呪文。


「二人とも、結界を張るぞ!」

「そ、んな…ムリ…っ」

「やんないと皆、闇に堕ちるぞ!」

「ちょっ…無理だって…っ。あたし、ら…あんたと出来…違…っ」


 そんな事は百も承知の上。

 それでもやらなくては。一刻も早く。詠唱は途切れなく続いているのだから。



                            うたえ

          おどれ

                   さけべ



「二人は十字架を思い浮かべろ! それだけでいい!」

「十字架…授業、で…」

「そうだ! 自分にとって一番大切な十字架を思い浮かべて、集中しろ!」


 授業で行われた、最も簡単な力の集束方法だ。

 学校のでも教会のでも家のでも、いびつな手作りの物でもいい。一番大事な十字架を心に想うことで、力は溢れてくるのだと言っていた。


「それだけでいい! あとはオレが導く!!」



               そして     眠れ



 時間がない。早くまとめなくては。

 二人の力は大きなものではない。足りない分は自分が出さなくてはならない。


(――まだだ)


 身体中が満ち足りてくる。


(――けど、まだだ。…限界まで)


 この店だけでなく、この辺り一帯を守るために。

 人間として出せる限界ギリギリまで高めていく。


 満ちて、満ちて、満ちて、――弾ける、その直前まで。


(今、だ…!)



               全て  その身の  欲のまま



敵の呪文に被せるように、詠唱を開始する。



「其は我らを守る光の籠。闇の波動をしなやかに弾き、汚れし意識を彼方へ散らす。――退け、暗き者よ」



 リジュにとって呪文は、力を扱う際の補助でしかない。

 唄いきる前に結界が形成されていくのを感じていた。


(……本当は)


 隣で二人が安堵のあまり、身体の力を抜いて大きく息を吐いていた。だらけきっている。本当は結界維持のために、力は保っていないといけないのだが。

 まだ学生なのだから仕方がない。どうにか集中までこじつけることが出来ただけでも良しとしなければならないだろう。

 闇の圧迫から解放された人々が、ようやく気を持ち直してざわめき始めた。


(本当は、もっと簡単な方法を、オレは知っているのだけど…)



「おまえは、なぜ?」



 ざわめきの中、奇妙にはっきりと、その声は届いた。どうしてか、それは自分に向けられたものだと、リジュは理解していた。

 顔を上げると店の奥、清算台の前に立つ女がこちらをじっと見ている。

 べったりと重く張り付くような長い黒髪。感情を見せぬのっぺりとした顔。その女の唇が開いた。

 今度はざわめきをすり抜けてまで声は届かなかったが、唇の動きで何を言っているかは読み取れた。



               オマエハ  ナゼ  ヘイキナノダ



「失礼いたします」

「――!」


 誰かが腕に触れ、全身の力を使って勢いよく振り返った。


「驚かせてしまいましたわね。申し訳ございません。わたくし、この店の店主でございます」


 薄紅色のワンピースで身を包んだ、上品な女性が目の前にいた。三十代後半といった所か。明るい色合いの服に違和感を覚えさせない、温かな眼差しの女性だ。どこかほっとする。


「神学校の皆様がいらっしゃらなければ、わたくしも、お客様方も、誰もかも闇に堕ちてしまうところでございました。ありがとうございます」


「あ、いえ、当然のことなので…」


 答えながら、清算台へと目をやり、そして店内を見回す。最早店内のどこにもあの気味の悪い女はいなかった。

 意識を現実へと取り戻すかのように、カラン、と軽やかな音が聞こえた。


「あら、警備隊の方々ですわ。説明に参りますので、失礼いたしますわ」


 リジュは店主と同じ方を見て、眉をしかめた。あの面々は良く知っている部隊だ。

 今、この時、この場所では、どうしても会いたくはない。


「あの、女性の店員が一名いなくなってるみたいです。ちゃんと身元とか、調べ直してもらった方がいいと思います。その、偽装してるんだと思うので」


 店主は一瞬目を見開いたが、すぐに、分かりましたわ、と強く頷いた。


(さて、と)


 少しの間警備隊の元へ進む店主を見送ってから、いまだにへたっている少女二人を見やる。


「オレは帰りたいんだけど、二人とも、歩けるか?」

「うん…大丈夫、だけど」

「あたしらも、説明しに行ったほうが、いいんじゃないの?」


 エアルが顎をしゃくり上げて入り口のほうを指した。全く女らしくない行いだが、そんなところがエアルらしくて良い。


「必要ないだろ。オレ達が結界張りました、以外になんかあるか? それよりオレ、あそこに今は会いたくないヤツがいるんだよ」


 エアル相手だと特に気楽に話せるせいか、言わなくてもいいことまでウッカリ言ってしまった。


「えっなに何!? あん中の誰? 男? 女!?」


 へたっていたのは嘘かと思うほど、ガバッと上半身を起き上がらせた。好奇心全開である。


「リジュ君と、どんな関係なの?」


 カリアーナまでコレである。ただしこちらは、表情がやや揺らいでいる。


「どんなって…まぁ」


 失敗した、と思いながらも、ここまで来たらまあいいかと答える。


「幼馴染! 男だぜ?」


 実はあの部隊には他にも知人がいるのだが、とりあえずこの店に来たのは彼の班だけのようだ。


「ふーん? 会いたくないって、仲悪いワケ?」

「いや…」


 仲は良い。というよりも、物心ついた頃にはすでに傍にいたから、良し悪しを考える前に一緒に居るのが当たり前、といった感じか。

 二人の暮らす下区はいわば貧民街だ。生きていくだけで精一杯で、学にかけるお金など持ち合わせていない人々が住んでいる。だがそれを卑屈に思う者はなく、また、生活を保障しない国を恨む者もいない。むしろ、闇に屈することなく抵抗を続けるこの国を、誇りに思っているほどだ。

 そして、外に出て戦う騎士達に憧れ、いつか自分もその位置に到達することを夢見て警備隊へ入る者が多かった。

 城壁外で戦うのが騎士団。城壁内部を守るのが警備隊。もちろん外を往く騎士達の方こそ遥かに危険度が高い。


「仲は良いさ。親友、だからな」


 下区出身者であろうと、警備隊での活躍を認められれば、騎士になれる可能性があった。故に下区では、すでにこの年頃のほとんどの者が警備隊に入っている。

 リジュのように、入隊しないほうが珍しいのだ。


「じゃあ、どうして?」

「そりゃ…」


 だからといって、皆、学校が嫌いでその道を選んだのではない。下区の子供たちは、行きたくても学校に行く金がないのだ。

 残された道の中で自分の道を一つ選ぶ。その結果、たいていが警備隊へ入隊し、いずれまた別々の道へ進んでゆくのだ。

 意識せずに溜め息が出る。


「…この姿を見られると、ちょっとな…」


 後ろめたい、と言ったらいいのか、この感情は。

 周囲の誰もが学校に通うことは不可能だった。ましてや神学校など、夢のまた夢、だ。たとえ金をどうにか用意したとて、下区の『家名なし(ななし)』が入学することはできないのだから。


「どうしてさ。あんたスゴイんだから、胸張ってりゃいいでしょうが」


 何も知らないエアルは軽く言う。

 リジュがどうして入学できたかといえば、リジュだけが持つ特権ゆえにだ。だが、それは一握りの人しか知らない。


「怒るかなー、とか」

「怒るに決まっているだろうが」


 わざと低く抑えた声が、リジュの耳元を後ろからうねるように響かせた。

 鳥肌が首筋を襲い、うひゃっと飛び跳ねた。


「セ! セ、セセ、セイ!?」

「お前のその格好」


 この幼馴染の声は、普段はそう低いものではない。だが故意か意識せずにか、不機嫌な時には一トーン音程が低くなる。

 しまった。どうしよう。のんびりしすぎた。

 リジュの心はいまや、真っ白というか真っ黒というか、混沌としていて何も言葉が出てこない。


「店主の言っていた、神学校首席。お前がそうだとは、びっくりだ、リイ」


彼がリジュを『リイ』と呼ぶのは小さな頃からの癖だった。きっかけはハッキリ憶えていないが、まるで双子のようにいつも仲良く一緒にいたから、名前をお揃いにしたかったのだろう。セイの方に揃えたのは、『セジュ』では言いにくいが、『リイ』なら言いやすかったからではないかと思われる。


「こっちを見るんだ、リイ」

「う…」


 別にリジュはセイのことを嫌ってもいないし、仲だって悪くない。ないのだが、ただ、ちょっと時々苦手になる。主に怒らせた時などに。

 ぎこちなく体の向きを変える際、カリアーナとエアルの様子が目の端に引っかかった。カリアーナはハラハラしているようだが、エアルはにやにやと楽しそうだ。いや、楽しんでいる、絶対に。

 コノヤロウ! と、心の中で文句をタレル。

 人の不幸を楽しむなど、悪趣味だ。


「ゴメン」


 セイに向き合うと同時に早口で告げる。顔を見ることは出来なかった。


「…お前、俺がなぜ怒っているか、分かって言っているのか?」

「えっと、オレだけ学校に行ってる、から…?」

「ばかが」


 ゴツ、と軽く額を額に当ててくる。セイの方の背が頭一つ分高く、少し身をかがませている。


「その程度で怒ると思うか」


 呆れて嘆息する様子に、怒りは薄れたと知って肩を下ろす。


「……俺に秘密を持つなど許さない」

「――ごめん」


 昔はセイに言えない事など何一つなかった。

 なのに今ではゴメンと口では言っていても、全てを教えることは出来なくなっている。いや、正確には出来ないのではなく、言いたくないだけか。


 隠し事の何もかもが、自分の気持ちの問題だった。


「後で、教会に来れるか? ――話すから、さ」


 それでも隠し事が無くなる訳ではないけれど。


「わかった。後で行くから全部話せ。…それと、これに署名しろ」

「…何?」

「結界を張った人物の署名が必要なんだ」


 サインをしない訳にはいかないだろうか。

 思案してみても、この書類に署名を貰わなかったとして、セイの落ち度となるだろうとの結論に達した。


「……」


 さらさらとサインをしてエアルへ書類を回し、視線を店内へ移す。

 だいぶ落ち着いてきているが、警備隊員達は各人事情を聴くのに忙しそうだ。そのため他の知人らはリジュの存在に気付いていないようなので、良かったとも言える。

 だがこの部隊は、セイが班長を務めるこの班一つきりではない。他の班員の姿が見受けられない、それは良い事とは決して言えなかった。

 おそらくは、今回の襲撃はかなりの広範囲だったに違いない。被害が…全くなかったとは、とても思えなかった。


「リジュ・『ウィルス』?」


 多分に疑問の含まれる声に振り向いたが、互いにそれ以上何か言うことはなく、リジュとセイはしばし見つめ合った。


「いや…今はいい。ああ、結界は解除して大丈夫だ。店に入る寸前に、騎士団帰着の鐘の音が鳴っていた」

「騎士団…。姫さんが?」

「姫将軍かは知らないがな。見てみるか」


 言われたが早いか、自ら動いたが先か。四人は自然と連れ立って扉へ向かっていた。


「ねーカリナ、姫将軍と直接会ったことある?」

「うん。すこしだけなら、お言葉もいただいたけど…」

「うっそ、すごっ。ね、ねっ、どんな方なの!?」


 女子二人はにぎやかだ。

 そしてカランとドアを開ける音。目を細めてしまう陽の光と共に、一気に日常へ還る。


「うわぁ」


 素直なカリアーナの簡単が耳を打つ。


「すっごい、目の前! いやーっ、あたしこんっな近くで姫将軍見たことない!」


 なんと言うタイミング。帰城する騎士団がパレードのごとく目の前を通っていく。エアルのように多くの者は歓声を上げて騎士団を迎えていた。

 だが騎士団の掲げ持つ二色の旗。青色と黒。その色の意味するところは――…。


「村は守り抜く、が…」

「死者多し、だな」


 勝敗に係わらず、犠牲のない戦いなど存在しない。

 一軍を率いる将の様子を見てみると、凛々しく表情を引き締めて、じっと前方を見据えている。その瞳は揺らぐことなき青き湖水の色。頬の両側だけ長く伸ばされた、ゆるやかに波打つ黄金の髪が、硬く引き結んだ唇をなぞっていた。

 遠くにいても、近くにいても、彼女は変わらない。


「さすがだな姫将軍は。どれほどの犠牲にも取り乱さず、か」

「ちがう」


 無意識の反論。


「姫さんは、いつだって泣いている」


 どうして皆には分からないのか。声に出さなくとも、涙を流さなくとも、彼女は泣き叫んでいる。尊い犠牲に慟哭しているというのに。


「リイ、お前…」

「リジュ君は、ネスティア姫が、好きなの?」

「え?」


 聞いた内容を、理解するのに時間がかかった。想定外だった上、それを言ったのがいかにも言いそうなエアルではなく、カリアーナだったから余計だ。

 なぜか三人の注目を集めていることにうろたえる。


「…え…いや…。その、なに、あー…、別にそんなんじゃないと…思う」


 そのようなことは本当に今まで考えた事がなかった。カリアーナはどうしてそう思ったのだろうか。

 セイはリジュの肩を二度軽く叩き、


「まあ、俺達はまだ子供と言えるからな。深く考えることはないだろう」


 なだめているように、慰めているようにも感じられた。

 周囲のざわめきの種類が変わってきた。犠牲者を乗せた馬車が何台も連なってきたのだ。多すぎる死者に泣き出す者も出始める。

 戦いがあれば、必ず犠牲者は出る。けれど闇への抗いを止めるわけにはいかない。

 いつまでも、涙はなくならない。





 沈もうとする太陽の光が、世界を紅く染め上げていく。この時間の教会は静かだ。たいていの家庭が夕食の支度を始める時間帯だった。

 リジュは皆と別れた後、セイが仕事を終えてやって来るのを待っていた。

 一人でいると、先の情景が頭に蘇ってくる。決して無くならない犠牲者達。

 人々の哀しみの声が胸を焼いていた。



「せめて少なくする、には…」

「お前がいつまでも覚悟を決めないからだ」

「――二番目…」


 今の今まで誰もいなかった真横に、一人の青年が立っていた。

 どこにでもいそうな平均的な風貌。だが地味な青灰色の瞳に見て取れる心は、どこまでも深い。


「と、まあ一番目ならばそう評すだろうな」

「そうですね」

「しかし、あまり気にするなよ、五番目。あれはお前の責任ではない」


 彼は口元が歪んでいくのを自覚していた。


「だが、僕が覚悟さえしていれば、死ななくて良い命はあったはずです」

「今期はお前の役目ではないのだから、本来お前が覚悟する必要などないんだぞ」


 いいえ、と強い口調でもって否定する。


「そもそもあの人が役目を全うできなくなった原因は、僕ですから」


 だと理解していて、それでも自分は現状を維持したくてたまらないのだ。


「五番目、それは違う」

「ありがとうございます」


 ささやくように礼を告げる。目を閉ざして気配を感じれば、いつも温かな波動。


「二番目、貴方はいつでもお優しい」

「――いや、私はお前の指導神だからな」


 何気なさを装っていても照れた気配は消しきれていない。

 いつだってぶっきらぼうなようで、いつだって困ってしまうほどお優しい方だ。

 いつもいつも甘えてしまって、最後の一歩を踏み出せないままでいた。


「人の死は悲しい。闇は哀しい」


 だからもう、終わりにしなくては。


「――光は淋しい…」

「そうか……」


 優しく、優しく、頭を撫でられた。

 あぁ、もう、幼い子供ではないというのに。


「二番目、見守っていてくださいますか」

「ああ」


 指で髪を梳くように撫でてくれる。


「私はお前の、指導神だからな、弟よ…」


 あぁ、なんて嬉しい言葉だろうか…。



 光は淋しい…。けれど、僕を導くこの光はなんて暖かい……。





 キィ、と小さく開く扉の音。

 リジュは一人立ち、声の届く所までセイが近づいてくるのを待った。


(ごめん…)


「……リイ?」

「うん、セイ…」


 ごめん、ごめん、と心の中で何度も謝る。


「セイ、オレはさ、すごく欲張りなんだ」


 瞳を見つめて、決して目をそらすことなく。

 せめてそれくらいは誠実であろうと思った。


「リイ?」


「貧しくっても、オレはじーちゃんとの生活がすごく大事だ。セイ、お前と一緒に居るのも、すっごく楽しくて好きだ。学校の友達も好き。活気あるこの国が大好きだ」


 セイが戸惑っているのが分かる。『話す』と言ったが、こんな風に切り出されるとは思っていなかっただろう。


「人が傷付け合うのは嫌いだ。人が死ぬのは見たくない。誰かが闇に堕ちるのは、とても哀しい。――セイ、今日の襲撃で、多くの人が闇の手に堕ちただろう? オレの結界は間に合わなかった」

「お前のせいではない」


 間髪を入れずに返してくる。


「お前は精一杯、出来る限りの事をした。神様とてご存知のはずだ」


 優しい人に囲まれて、自分はとても恵まれている。

 ああ、だけど、セイ。あれは『出来る限り』ではなかった。本当に『出来る限り』の事をしていれば、誰一人闇に堕ちる事無くすんだ筈だった。

 そうして神様は、その事をご存知なんだよ。


「オレはもう何も失いたくない。何もかも手に入れたい」


 そのために一歩進む決心をした。それでも皆には知られたくない。気付かずにいてほしい。

 だから『話す』とは言ったけれど、全ては話せない。


「オレの母さんは神子候補者だったんだ。候補者となった時に『家名』を授けられた。その家名を使用できるのは、本人の直系子孫だけだ」

「ウィルス、か」

「そー。その家名にはいくつか特典があって、神学校なら入学金やら何やらのお金が、ぜーんぶタダ、っていうのもあるんだ」

「それで神学校、か」

「オレは皆ほど剣技やら体術やら、上手くないしさ。神官職も悪くないんじゃないかな、とか」


「それだけ、なのか?」


「それだけ、じゃないさ。大変なんだ、これが。仕事全部辞めたら生きてけないだろ。出席日数減らさせてくれって言ったら、首席を取り続けること! 一度でも落ちたら退学! なんて条件出されちゃったしさ」


 それだけ、なんかじゃない。

 だけどそれは秘密にしておく。

 不審に思われているだろうか。我ながら、いつも以上に饒舌になっている気がした。


「では俺は騎士になる。いつかなってみせる。その頃にはお前もきっと神官になっているだろうな。俺が戦っている時に敵の術に負けないよう、その時にはお前の術で守ってくれ」

「ああ…」


「お前には敵の刃一筋たりとも触れさせぬよう、俺が守ってみせよう」

「ああ、いいな、それ。守って、守られて…そうなったら、いいな…」


「……もう、何も秘密にするな」

「あぁ……」


 何一つ秘密を持たずにいたのは、ほんの少し前までのことだのに。約束を破る事無く過ごしていた、幼い日々がとても懐かしかった。

 それでも結局秘密を持ち続ける。ばれた時にはもっと怒られるだろうな、とも思う。



 けれど、この歩みは止めないと決意した。




長々と読んでいただきありがとうございます。ここまで書いても、いえ、この先もまだまだ恋愛要素がないです…。それっぽさを少しずつでも入れてく努力をしますので、この先も読んでくださいね!

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