王太子に婚約破棄されたので消えたら、三日後に国の結界が止まるらしい(※まだ誰も気づいていない)~乳兄弟とパンを焼いていたら、王太子が土下座してきたので転移魔法で送り返しました~
「公爵令嬢。お前との婚約は、ここで破棄する」
——これが、三日後の国の崩壊への予告になっていたことを、今は誰も知らない。
ほとんど私を見ずに王太子が告げる。
あまりの軽い調子に、内容の重大さを聞き漏らしてしまいそうになる。
王城の大広間。
煌びやかな夜会の中心で、私は静かに息を吐いた。
「……いきなりどうしたの? 本気で言っているの!?」
王太子は心底面倒そうにため息をついた。
「決まっているだろう。お前よりも、ふさわしい女性が見つかったんだ。お前は、何の役にも立たないからな」
今? 夜会の最中に?
別に婚約破棄はいいけど、夜会の最中、大勢に前でって言うのはどうなの?
常識的に——。
でも、常識的に怒りや悲しみを感じたいと思っているのは私の方だった。
案外何も感じてない自分に逆に焦るのは転生者だから?
ただ、「やっと終わる」と思うと、胸がスーッと軽くなっていくだけだ。
「分かりました」
私は微笑んでいた。
周囲がざわめく。
常識外の出来事が起こって、驚いているのだ。
「……随分とあっさりしているな」
「夜会で『婚約破棄しないで!』とすがる私の姿をみんなに見せたかったの? 悪趣味ね、王太子。あなたとは昔から合わなかったわ」
王太子はわずかに顔をしかめた。
自制心で、わずかな変化に止めたのだろう。
内心ははらわたが煮えくりかえってるはず。
「強がるな。公爵家の令嬢とはいえ父親が亡くなり、父の弟が公爵を継いで肩身が狭いだ……」
「では、失礼いたします」
最後まで聞かなかったが、王太子の私を傷つけたい意図は分かった。
くるりと背を向け、そのまま歩き出す。
誰も、私を止めなかった。
海を割るように、人が割れて道ができる。
それが、あなたたちの意思。
止められたいなんて思ってなかったけど、さすがに可哀想。
——だって。
私の維持していた、この国を守る結界の術式を“私”がこの時に停止させたからだ。
それでも、すぐに結界が消えるわけじゃない。
三日間の猶予がある。
何もしなければ、このまま三日後に結界は消えるけど、手の打ちようはある。
三日間も結界の術式が消えたことも気づかずに、本当に結界を無くしてしまう愚か者しかいないなんて、さすがにこの時の私は思いませんでした。
◆◇◆
術式から解放された身体が軽い。
一人で出来てしまうからって、小さな頃から背負わされていた重荷からのやっと解放された。
私の小さな頃には魔術師たちが何人も集まって術式をかけていたらしいけど、集まれば争いが起きる。
宮廷魔術師たちの不仲で結界の維持が困難な時があった。
私はそれを知って、怖くて見よう見まねで術式をつかったら、できてしまったのだ。
それで争う者たちよりも私一人に結界を任せようと、先代の王が、私に国を差し出したのだった。
魔術の契約書が王座に刻まれる。
ついでに、孫との婚約も付いてきた——。
◆◇◆
今、私は国境の小さな村にいる。
「わ、急にどうした!?」
公爵家から別荘の管理を任されている執事が驚いている。
私は結界の術式を使わなくてよくなったので、転移の術を使う余裕ができて、転移してきたのだ。
夜会で婚約破棄されたことを話す。
「良かったじゃないか、お前……お嬢様はこの村で暮らしたがっていましたから」
「話し方がキモい」
執事は私の乳母をしていた男爵夫人の息子で、乳兄弟だ。
執事になって仕方ないとはいえ、話し方に慣れない。
「お嬢様には礼儀作法の教育がまだまだ必要なようですね?」
「そんなことより、パンが作りたい! 材料ある?」
「パンは買うものなんですよ、お嬢様。まあ、農場でもらってくるけど」
「転移魔法ですぐ行けるわよ!」
「高難易度の術式をそんな手軽に使わないでください」
◆◇◆
婚約破棄から一日後。
王太子は新しい恋人と王城で甘い時間を過ごしていた。
「私と早く婚約してください」
「さすがに、こんなに早く婚約すると王に怒られてしまう。服や宝石へ好きなだけ買っていいから、少し待ってくれ」
「嬉しい……王太子様!」
これだけでこんなに喜ぶ。
それに比べて公爵令嬢は、婚約破棄しても泣いて縋ることもしない。
『王太子、あなたとは昔から合わなかったわ』
俺に合わせる気がないお前が昔から嫌いだ。
◆◇◆
三日後。
王城は地獄と化した。
「結界が完全に消えました……!」
宮廷魔術師たちの間で、怒号と悲鳴が上がる。
「結界のことは儀式魔術師の責任だろう!」
「結界は構築するものだ! 構築魔術師の管轄だろう!」
「魔物が押し寄せて来ているんだ! 戦闘魔術師が感知しなければいけないことだろう!」
宮廷魔術師たちの不仲は解決していなかった。
「修復はまだか!」
王が叫んでも、争う魔術師を前に虚しく響く。
「……なぜ、結界が維持できなくなったんだ……!」
答えは、すぐに出た。
「空にあった術式が……完全に消えています」
その瞬間、空気が凍りついた。
「ど、どこが維持していた術式だ……?」
宮廷魔術師たちは静まり返る。
「公爵令嬢が維持していたようです……」
一人の魔術師が答えるが……。
「まさか! 一人でこんな術式を維持できるわけがない。宮廷魔術師が数十人と集まって維持する結界ですぞ!」
しかし、宮廷魔術師達には術式を展開した覚えしかない。
「本当に……あの女が……やっていたのか……?」
王太子の声が震えた。
「まさか……一人で、国の結界を……?」
誰も信じないが、事実だけは彼女を示した。
◆◇◆
数時間後――
宮廷魔術師が追跡の術式で公爵令嬢を探した。
見つけ次第、転移できるように数人がかりで転移魔法の術式の準備をしていた。
彼らは見つけた。
王都を離れた、国境の小さな村で穏やかに彼女は過ごしていた。
◆◇◆
「頼む……戻ってきてくれ……!」
いきなりきた王太子が、地面に膝をついた。
数人の偉い人達も一緒だ。
「お前が必要なんだ……この国には……!」
「……必要?」
公爵令嬢は、小さく首を傾げた。
今日は、庭の花の手入れをしていたのに……花の上に王太子の足があった。
踏んでる。
わたしと一緒だった執事も、眉をしかめた。
「“ふさわしくない”とおっしゃったのは、どなたでしたか?」
静かな声。
だが、その一言で地面に頭を擦り付けていた全員が言葉を失う。
「私は、“役に立たない人間”ですので」
にこり、と微笑む。
「どうぞ、ご自分たちでなんとかしてくださいませ。王都までは送って差し上げます」
そういうと、私は転移魔法の術式を一瞬で組み上げた。
全員が息を呑んだ。
ここまで転移魔法で一瞬で来たんだから珍しくないでしょうに、どうしたの?
「令嬢……!」
王太子が未練がましく何か言おうとしたけど、術式が発動した後だった。
「今更もう遅い」
「お嬢様のお父様が大切にされていた花……」
ふまれた花は戻らない。
◆◇◆
その後——
王都の結界は崩壊し、魔物が押し寄せて多くの被害を出した。
修復までにはかなりの時間がかかった。
王太子は責任を問われ、地位を失った。
一方で公爵令嬢は——
「知らなかった……。結界が消えたって教えてくれたら良かったのに……」
後から事実を知った。
「知っていたら、あの時に、お戻りになったんですか?」
執事が寂しそうに言う。
「……執事は王様になりたかったの?」
「……は?」
譲られた王国は、おまけの婚約者がいなくても、いまだに私のものだ。
執事は下級貴族だけど、母親の男爵夫人は実は隣国の王妃だ。
身分を捨てて男爵との結婚を選んだが、子供には王位継承権が残っている……。
——でも。
「私は、執事とずっとここにいたい……」
「俺はそのつもりで、ここを守っていたんですよ。王座より快適だろう」
「うん」
もう、誰にも奪われない場所で。
正当に評価されながら、二人で穏やかに生きていく。
どこよりも小さいけれど強固な結界が、この村に張られた事を、今はまだ誰も知らない。




