第53話 歓喜の午後
「んっ……。」
針葉樹の常緑が作る陽だまりの中、そよ風が木漏れ日と私の髪を揺らしていた。
右手に持つカップからは、立ちのぼる湯気とともに香りが漂う。
小指を立てたままそれを唇に運び、目を伏せながら、思わず口元に微笑を浮かべた。
「お嬢様、おかわりは如何ですか?」
傍らにはヒルダがポットを携えて控えている。
何も言わなくても伝わる私の称賛に、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
自分で言うのも何だが、なかなか絵になる光景だと思う。
もし絵画にするなら、題名は『令嬢の麗らかな昼下がり』あたりが妥当だろう。
ただし、減点ポイントもある。
私が腰掛けているのは古びた倒木で、使っている品々は実用重視のブリキ製だ
だが、ここは戦場。優雅さなど必要ない。
「ぜひとも飲みたいところだけど……。その一杯に相応しいのは、私以外にいるようだね」
「まあ、誰ですか? お嬢様を差し置いて」
「くふっ……。私が気づいたんだから、ヒルダはもっと前に気づいていたはずでしょ?」
正面に目をやると、広がっていたのは優雅さとは正反対の光景だった。
むさ苦しい男たちが地面に腰を下ろし、薄汚れた服に無精髭を伸ばしたまま、肉やスープをがつがつと貪っている。
水筒をラッパ飲みし、脂で汚れた手を服で拭うなど、マナーの『マ』の字も感じられない。
唯一の美点は、食事に夢中で静かであることだけだった。
遊撃隊の任に就いて五日目。
昼食の大休憩を取る準備のため、周辺の偵察に向かっていたヒルダが、先行していた他の遊撃隊を発見して戻ってきた。
彼らは途方に暮れていた。
朝になると、部隊の半数以上が脱走し、自分たちの食料まで持ち去ってしまい、昨日から何も食べていないのだという。
もしやと思い、ヒルダに周辺をさらに広く探ってもらうと、別の二部隊が同じような目に遭っていたことが分かった。
『こちらも残りの食料は心許ない』
『あなたたちに渡せば、帰り道の分しか残らない』
『だから、食料を提供する代わりに、私の指揮下に入ること』
『そろそろ森歩きにも飽きたし、奇襲を一度だけ敢行してから帰ろう』
途方に暮れていた彼らを集め、私は提案した。
ウォースパイト侯爵家の権威もあって、彼らは素直に私の指揮下に入った。
しかも、我が国にとっては苦しい戦況も、私たちにとっては都合よく働いていた。
私たちと出会う前に、彼らの一部隊が街道方面を偵察し、すでに戦況を確認していたのだ。
サウアラ王国軍は、セベリンの街の最寄りの村を手に入れ、堂々と進軍を開始していた。
一方、テオが率いるアルビオン帝国軍は、セベリンの街の前に築いた陣地で、敵を迎え撃つ構えを見せている。
私たちが街道に向かって進んだ地点には、街道を進軍するサウアラ王国軍の長く伸びた隊列、その横腹があった。
私たちの総勢はわずか47人。サウアラ王国軍に比べ、圧倒的に不利な状況だ。
しかし、街道を横切ることに成功すれば、先には森が広がる。
わずか百メートルほど走り抜ければ、少数の私たちでも戦略的に有利な状況になる。森の木々が追撃を阻んでくれるからだ。
その敵の中団が混乱に陥る一瞬の隙を、テオが見逃すはずない。
陣地を捨てて総攻撃に打って出れば、アルビオン帝国軍は五分以上に戦えるだろう。その先をどう裁くかは、テオの役目だ。
あとは、私たちが仕掛けるタイミング次第だった。
その判断を下したのは、約二時間前のこと。
偵察を十五分おきに送り出し、次第に焦り始めた仲間たちを落ち着かせるため、夕飯には早かったが、食事を摂らせていた。
「はぁっ、はぁっ! お味方、大苦戦! 総崩れは時間の問題です!」
枯れ色の藪を掻き分け、息を荒げた男が駆け込んできた。
食事中だった男たちは慌てて身を引き、道を空ける。額に玉のような汗を浮かべながら、男は私の前で膝をついた。
「ヒルダ」
「はい、お嬢様」
たちまちざわつき始めた周囲をよそに、私は男に視線をむけたままヒルダを呼んだ。
ヒルダは空のマグカップに水を注ぎ、男に差し出す。
「ありがとうございます!」
男はそれを乱暴にひったくると、喉をゴクゴクと鳴らしながら、一気に飲み干した。
その間に、私は戦況報告で気になった疑問を尋ねた。
「大苦戦なのは分かるけど……。総崩れって、どういうこと?
川を渡るときに眺めただけの素人目にも、あの陣地は固そうに見えたけど?」
「我が軍は、街と繋がる橋を落とした様子!
そして、時を置かず、攻勢に転じました! 背水の陣です!」
続いた戦況報告に、誰もが息を飲み、一瞬後にざわめきが大きく広がった。
私も思わず立ち上がったが、皆とは驚きの種類が違う。私の場合は、ただの喜びだ。
そう、私はこれを待っていたのだ。
あまりの喜びに笑みが抑えきれず、侯爵家の令嬢としてどうかと思いながらも、天を仰ぎ、大口を開けて笑い声を上げた。
「くふっ……。あはっ……。あぁーーっはははははははっ!
やっぱりな! お前なら、そうすると思っていたよ!
テオ、お前は馬鹿だよ! 馬鹿! 大馬鹿だ!
でも、嫌いじゃないぞ! そんなお前の馬鹿さ加減が、私は大好きだ!」
テオの目論見は明白だった。
これから東方領は雪深い時期を迎えるため、援軍は間に合わない。
逆に言えば、セベリンの街が敵の手に落ちれば、サウアラ王国軍は街までの支配権を確立してしまう。
その結果、春を待てばサウアラ王国は東方領を切り取り放題になる。
東方領はセベリンの街から裾野を広げる広大な盆地で、生産力重視の国策のため、我がウォースパイト侯爵家領まで大軍を阻む防衛拠点は存在しない。
だからテオは、持てる兵力を全て使い、両軍の兵力をすり潰す捨て身の戦を選んだ。
この戦いに勝てず、敵軍の撤退を強いられなくても、春に集結する援軍を少しでも手助けするために、命を投げ出すつもりなのだ。
わざわざ陣地を築いたのも、そこに罠を仕掛け、混乱するセベリンの街の住民たちをスムーズに避難させる安心感を得るためだろう。
そもそも、街を挟む川の向こう岸に陣地を築いた時点で、違和感を覚えていた。
私の期待を裏切らなかったテオと、これから飛び込む激戦の最中に、背筋が歓喜にぞくぞくと震えた。
「変っ……。身!」
ヒルダを除き、口をポカーンと開け、こちらを呆然と見ている。
私は握った左手を胸に置き、キーワードを放つ。指輪から輝きが溢れ、光の帯が私を包んだ




