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侯爵家令嬢は花(恋)より団子(剣)に夢中  作者: 浦賀やまみち
第五章 東方領動乱

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第44話 紅蓮の遺産




「えっ!? ここって……。」

「お入り下さい」



 侍従長に案内されてたどり着いた先は、ずっと閉ざされたままの『開かずの間』だった。

 それは、私や兄、父の部屋があるフロアの一番端の一室。いつも固く鍵がかかっていて、兄でさえ足を踏み入れたことのない場所だ。


 しかし、部屋の中にはほこり一つなく、じめじめとした気配も感じられなかった。

 まるで毎日欠かさず換気され、丁寧に掃除が行き届いていたかのようだ。


 けれど、部屋にはほとんど何もなかった。

 広い空間の中央に、一人がけのソファーと小さなサイドテーブルが、取り残されたようにぽつんと置かれているだけ。


 そのテーブルの上には、使い込まれた灰皿がひとつ。

 我が家で煙草を嗜むのは父だけだ。ここで長い時間を過ごしていたのだろうことが、容易に想像できた。



「あれ……。お母様だよね?」



 そして、ソファーの正面にある壁には、大きな肖像画が掛けられていた。


 描かれているのは、赤いオフショルダーのドレスに身を包んだ女性。

 しかし、その装いはただの華やかさでは終わらない。


 胸から腰へ、さらに前腕にまで、鋼の鎧がぴたりと重ねられているのだ。

 足元に目をやれば、ヒールではなく、膝まで覆う頑丈な鉄靴。完全なる戦装束であった。


 女性は抜き放った剣を大地に突き立て、その柄尻に両手を重ねていた。

 肖像画自体がわずかに下方から煽るように描かれており、その構図が凛々しさをいっそう強調している。


 だけど、口元には微かな笑み。

 優しい眼差しの先は、まさにソファーに腰を下ろす者へと注がれていた。


 顔を見た瞬間、それが亡き母であると悟った。


 しかし、目の前の姿は胸の内にある母とは重ならない。

 思い出の中、あるいは屋敷に飾られた肖像画に描かれた母は、気品を纏い、まるで典雅な貴族令嬢そのものだった。私が皇妃様に重ねていた理想の母像に、より近しい存在。



「はい、旦那様は若様やお嬢様には黙っていましたが……。

 奥様は騎士でございました。それはもう凛々しく、『紅蓮の修羅姫』とも讃えられていました」

「……そうなんだ」



 だが、ふと気づいた。

 肖像画の中で母が大地に突き立てている剣。それは、かつて私が手にしていたロングソードだった。

 てっきり儀礼用か護身用のものだと思っていたが、まさか実際に使っていたとは、驚かずにはいられなかった。


 それに、母は『紅蓮の修羅姫』と呼ばれて讃えられていたとなれば、戦場での活躍は想像に難くない。

 異名とは、単なる称号ではなく、味方を奮い立たせ、敵を震え上がらせるためのものなのだから。


 考えがそこまで及んだところで、私は思わず首を傾げる。



「あれ? ……だったら、どうして?」



 なぜ、父もお祖父様も、私が騎士になることをあんなに頑なに嫌がるのだろう。

 母のあとを追い、騎士として歩む。それは歓迎されてもおかしくないことのはずなのに。


 私は私『メアリス』となり、それを機に剣の鍛錬を自分から始めた。


 でも、普通の貴族令嬢は剣の鍛錬なんてやらない。

 必然的に、母が騎士になったのも、剣の鍛錬を施したのも、母の父。つまりお祖父様の手によるものだ。


 しかし、お祖父様はそんな素振りを一度も見せなかった。

 プレゼントはいつもドレスやアクセサリーばかりで、女の子らしいダンスや詩、弦楽器の師を付けてくれたことはあっても、武芸に関する師は一度も付けることはなかった。


 以前の私は病弱で、体を丈夫にしろとは言われていた。

 だが、たとえ武芸がものにならなくても、体を鍛える意味では、十分に役立ったはずなのに。



「こちらを……。」

「指輪?」



 疑問が頭の中でくすぶる間もなく、執事長は両手で黒いトレイを差し出した。

 その上には、美しくカッティングされた透明な宝石をあしらった銀の指輪と、小さなナイフが置かれていた。


「一瞬で鎧を装着できるマジックアイテムです」

「こ、これがっ!?」



 執事長の言葉に、私は息を呑み、目を見開いた。


 防具のマジックアイテムは珍しい。運搬や保管に手間がかかるからだ。

 

 例えば、地下迷宮の奥で武具と防具のマジックアイテムを同時に発見したとしよう。

 そのとき、どちらを優先して持ち帰るだろうか。


 それに、防具は基本的に服と同じく、サイズや性別による違いがある。

 その場で身につけている防具を捨て、発見した防具に着替えるのは常に大きなリスクを伴う。帰り道で何が待ち受けているか、誰にも分からないのだから。


 だからこそ、防具のマジックアイテムは非常に価値が高く、市場に出回ることは滅多にない。

 もし出回るとすれば、それは大商人や貴族が大きな借金を背負い、倉庫に眠っていた品が手放される時くらいだという。


 一例を挙げると、テオがつけている防具もマジックアイテムで、元は帝城の宝物庫に眠っていたらしい。

 本来はテオより少し大きいサイズのはずだが、装着すると自然にテオの体格に合わせて縮み、まるで最初から彼のために作られたかのようにぴったりとフィットする。


 重さはほとんど感じず、燃え盛る陣中に飛び込むことすら可能なほど、火属性のダメージを大きく軽減。

 斬撃などで傷ついても、かすり傷程度なら瞬時に修復され、大きな穴が空いても数日で新品状態を保つ力を持っている。


 まさに、宝物庫に相応しい品だ。

 テオの防具ほどの逸品となれば、その価値はいったいどれほどのものか、想像もつかない。


 しかし、テオの防具であっても、運搬には手間がかかり、保管には広いスペースを必要とすることに変わりはない。



「……もしかしてっ!?」



 だが、目の前にあるのは、指輪だった。

 執事長によれば、一瞬で鎧を装着できるマジックアイテムだという。


 思わず母の肖像画に目を向けると、左手の薬指には指輪が輝いて描かれていた。

 私の予想が正しければ、目の前の指輪こそ、母が身につけている鎧へと変化するのだろう。


 詳しい性能はまだ分からない。

 それでも、指輪という、持ち運びにこれほど適した形で存在すること自体が驚異的だ。

 その一点だけを見ても、テオの鎧より価値があるのではないだろうか。



「指先をナイフで少し切って、血を垂らして下さい。

 それで継承が済み、指輪がお嬢様を主と認識します」

「うん、分かった!」



 私は鼻息をふんふんと荒くしながら、興奮が抑えられなかった。

 言われるままナイフを手に取り、人差し指の先をそっと切り、赤い雫を指輪にぽたりと垂らす。


 その瞬間、指輪が淡い光を放った。

 私の血を吸い込み、透明な宝石は鮮やかに赤く染まり、まるで命を宿したかのように輝く。



「……って、何も起きないよ?」



 しかし、それだけだった。指輪は指輪のまま。

 思わず顔を近づけて確認するが、やはり何の変化も起こらず、私は首を左に、右にと二度傾げた。


 トレイがひと震えした。

 『ついに来た!』と胸を躍らせたが、違った。

 苦笑する執事長が、肩を震わせているだけだった。



「指輪は指にはめるものにございます」

「そ、そっか! と、当然だよね!」

「自分が鎧を纏っているイメージと共に魔力を練り、キーワードをおっしゃって下さい」

「キーワード?」



 執事長の至極当然な指摘に、私は顔を赤く染め、慌てて指輪をはめた。


 どの指にするか迷ったが、一番邪魔にならなさそうな左手の薬指に決めた。

 母もきっと、同じ理由で左手の薬指にしていたのだろう。



「奥様はこうポーズして、『爆裂!』と叫んでいました」



 だが、やっぱり指輪は指輪のまま。

 私が視線を向けると、執事長は奇妙なアクションポーズをとった。


 まず右拳を腰に、左拳をガッツポーズのように構え、『爆裂!』と叫ぶ。

 次に右手を天に突き上げ、左手は鳩尾に添える。

 そして右手を胸元まで下ろし、右手、左手の順で手刀のように大きく振るった。


 どう見ても、前世の子供の頃、日曜の朝に見ていたヒーローモノの変身ポーズにしか見えない。



「そ、それ、本当にお母様なの? い、イメージと全然違うんだけど?」



 たまらず顔が引きつった。

 改めて母の肖像画を見つめるが、理解がどうしても追いつかない。



「まあ、その辺りもあって、旦那様は若様やお嬢様には黙っていましたから……。

 派手でしたよ。鎧になる瞬間、見た目だけの爆炎と爆発が奥様の背後で起こって……。」

「そ、そうなんだ……。」



 さらに聞けば、変身ポーズの後には、なんと爆発エフェクトまで背負っていたらしい。

 鎧に変化する指輪を手に入れた喜びも、今はどこかもやっとした違和感に押されていた。



「ええっと……。変身?」



 しかし、指輪の性能は破格だ。


 息を整え、魔力を集中させ、キーワードっぽい言葉を呟くと、指輪が輝きを放った。

 幾本もの光の帯が伸び、宙に広がっていく。




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