第40話 滝と剣の邂逅
「メアリスちゃん、本当にやるの?」
「はい……。ヒルダ、いざという時はお願い」
「無論です。お任せ下さい」
もう数日で新年、季節は冬。
私も、ヒルダも、皇妃様も、水着を着ていた。
なぜなら、ここは温泉地だから。
源泉から湧き出る熱々の湯は豊富で、岩と岩の間に開いた湯口から流れ落ちる滝の幅は約10メートル。その落差は約50メートルにもなる。
私たちが立つ滝への岩場の突端の下は、滝壺が天然の巨大な露天風呂になっており、上る湯気と滝の飛沫が辺りに舞い、まるで真夏のような熱気に包まれていた。
ちなみに、私たちがこんな場所にいる理由は、殿下に誘われたからだ。
私が宝物庫の日本刀『ムラサメ』を譲り受けた後、殿下の様子は少しずつ変わっていった。
今まで、殿下との面談は二週間に一度と決まっていた。
しかし、宝物庫での一件の翌々日には急な登城命令があり、その次の日には殿下の方から我が家を訪ねてくるようになった。それが交互に繰り返されるようになったのだ。
正直、私は煩わしく思っていた。
殿下の相手をするだけで半日が潰れ、ただ無意味に話をするくらいなら、ムラサメを身体に馴染ませる鍛錬をしたかった。
だが、殿下はムラサメを譲ってくれた大恩人であり、そのことは皇帝陛下にも認められている。
従う義理があるのは分かっているのだが、ありがたさとは別に気が重い。
ましてや、観劇だのパーティーだのと誘われるのは、まるで拷問だ。
一応、貴族令嬢としての嗜みは一通り身についているし、ダンスもできる。
だけど、興味はさっぱりなく、華やかなドレスよりムラサメを握っている方が、よほど心が躍る。
そして、今回の温泉旅行である。
どうやら、私が屋敷で一人新年を迎えるのを不憫に思ったらしい。
余談だが、こことは別の温泉地から、父とお祖父様はまだ帰ってきていない。
最近は毎日手紙が届いているらしいが、面倒なので私はもう返事も書いていないし、封すら開けていない。あの嘘つき二人は、もう帰ってこなくていいと思う。
「止めましょう? 危ないわよ?」
「いえ、やります」
今回の温泉旅行、私はやっぱり最初は乗り気ではなかったし、断ろうともした。
しかし、皇妃様から『こんな伝説があるのよ?』と教えられた途端、掌をぐるりと返した。
伝説によれば、ここはもともと温泉が湧いておらず、ただ見事な滝が流れ落ちるだけの場所だったという。
そこへ現れたのが、アルビオン帝国初代皇帝の一翼にして『剣王』と讃えられた人物である。
彼が滝を一刀のもとに斬り、その一撃を滝の背後にそびえる岩壁へと刻んだ瞬間、滝の水は湯気を立ちのぼらせる温泉へと変わり、この地は常夏の楽土となった。
だが、それ以来、斬撃の跡をこの目で見た者は誰ひとりとしていない。
ただ一つ伝わるのは、もしその跡を見た者が現れたなら、その者こそ新たな『剣王』と呼ばれると言われている。
なら、私は剣の道を歩む一人として、挑戦せざるを得ない。
例え、伝説が虚構であろうと、もし本当に斬撃の跡が存在するのなら、剣を学ぶ者として目を逸らすことなどできない
「でも……。ほら、そろそろクラウスが火を起こした頃だろうから、お肉を焼きましょ?」
ところが、その伝説を教えてくれた皇妃様こそ、私を止めようとしていた。
この岩場の突端から滝まではおよそ二メートル、そしてその先の滝壺までは約十五メートル。
一度飛び出してしまえば、もう戻ることはできない。
成功しようが失敗しようが、その危険は常に隣り合わせなのは分かっているし、皇妃様が本気で心配してくれていることも理解していた。
それでも、私はどうしても挑戦したいのだ。
「皇妃殿下、もう止められません。……どうか、お嬢様を見守って下さい」
その瞬間、皇妃様が身を挺して強引に止めにかからないよう、私はヒルダに視線を送った。
ヒルダは無言で『分かりました』と目で返し、皇妃様の背後にそれとなく立つ。微かに頷いて、準備が整ったことを知らせた。
滝に右肩を向けながら腰を落とす。
左腰に置いたムラサメの柄を握りしめ、静かに構えを取り、目を閉じる。
「……分かったわ。メアリスちゃん、頑張ってね」
正直に言えば、胸の奥が熱くざわついて仕方がなかった。
鼓動は高鳴り、理性では抑えきれない衝動。端的に言うと、凄くムラムラしちゃっている。
だって、皇妃様もヒルダも目の毒だった。
皇妃様は淡い水色のビキニを身にまとい、柔らかく曲線を描く身体が冬の光に照らされていた。
普段のドレス姿でも感じていたことだが、肌を露出するとさらに際立つ。
31歳にはとても見えず、胸の膨らみも思ったより豊かで、その谷間に思わず嫉妬のような感情を抱いてしまう。
しかし、皇妃様はまだ大丈夫だ。
私が皇妃様に抱いている感情は、母親に対するものに近い。
でも、ヒルダは駄目だ。
ホワイトブリムを頭に乗せて、まるで『メイド服を水着にしてみました』と言わんばかりの、黒地に白いフリルが付いたビキニである。
おまけに、ビキニの前面上部には可愛いリボンまである。
その姿を初めて目にしたとき、思わず『えっ!? ……下着?』と声に出してしまうほど、刺激的だった。
もう誘っているとしか思えなかった。
もしここに皇妃様たちがいなかったら、間違いなく藪の中に誘っていただろう。
とにかく、一発ぶっ放して、すっきりしたかった。
ついでに言うと、私は薄いパープルのワンピースを選んだ。
その理由は言うまでもない。これから行うことを考えたら、ビキニでは脱げてしまう可能性があったからだ。
決して、ビキニを着たくても胸がほんのちょっとだけ足りず、どうにも様にならなかったからではない。断じて、勘違いしてはいけない。
「見えた! 見えたぞ! 水の一雫!」
私は目をクワッと見開き、岩場の突端から勢いよく飛び出した。
跳躍の頂点を越え、落下する感覚が全身を貫いた瞬間、間合いに入り、ムラサメを鞘走らせて一気に抜刀する。
刀先が滝の水面に触れた瞬間、膨大な湯が四方に飛び散り、湯の熱気とムラサメの冷気が入り混じり、水蒸気がまるで爆発したかのように弾け飛んだ。
「凍てつけ! ムラサメ!」
手応えが走る。
私の叫びにムラサメが応え、刀身に魔力が迸った。
切っ先に触れた湯は瞬時に凍り、その氷を切り裂いていく。
「へっ!?」
拳大の氷を飛び散る。それだけだった。
膨大な湯量の前に、切っ先が引っ張られ、身体のバランスが崩れる。
次の瞬間、私は滝の奔流に飲まれ、頭が真っ逆さまになる。
「で、ですよねーーーっ!?」
やっぱり、むらむらした邪心が駄目だったのだろうか。
いや、それ以前に、まだ道半ばの私が滝を斬れるはずもなかった。
「め、メアリスちゃんっ!?」
「お嬢様っ!」
斬れないからこそ、この滝は伝説になっていたのだ。
だけど、私は心から満足していた。いつか必ず、斬ってみせよう。そう誓いながら。




