第11話 世界との門
「あれ、お嬢様? ……えっ!? えっ!? えっ!?」
「はぁぁ~~~……。」
ヒルダの混乱ぶりは、大体想像できた。
迎撃の構えを解き、深い溜息を吐きながら肩を落とす。
壁越しでも、向こう側にいる生物の存在を感知できる。
そんな謎めいた感覚を、私は自分の中に眠る魔力を見つけた時に得た。
魔術を扱うヒルダも、同じ感覚を持っていると考えるのが自然だ。
おそらくヒルダは、勘違いをしたのだろう。
突如、私の寝室に現れた魔力を持つ存在が、私以外の誰かであり、なおかつ私自身の気配が感じられなかったため、『刺客が私を殺したのだ』と思い込んでしまったのだ。
なにしろ、私が前世の祖父から伝授された奥義を思い出したのは夕食時のこと。
そのとき、すでにヒルダは専属任務から離れて、使用人棟の自室に戻っていた。
彼女の記憶にある『最近の私』は、魔力を感じられずにうんうん唸って悩んでいる姿のままだった。
しかも、今は深夜。
貧弱な私が、二階から飛び降りるような行為を実行するどころか発想するはずもないし、ましてや屋敷の外へ駆け出すなど論外だ。
ヒルダから見れば、それは『目的を果たした刺客が現場を離れようとしている』ようにしか映らなかっただろう。
それでも、普段のヒルダなら、こんな早とちりはしなかったはずだ。
だが、この十日間、彼女は私の急変に振り回され、目に見えて疲れていた。
専属シフト外の休みを取らせたのも私であり、熟睡していた最中の勘違いを責めるのは酷というものだ。
むしろ、目覚めるや否や即断即決し、寝間着のまま行動に移したその姿勢は評価したい。
普段の立ち居振る舞いから武術の心得があることは察していたが、たった二撃とはいえ本気を垣間見せたその技量は、思わぬ収穫だった。
ヒルダの私への忠誠心を考えれば、もう二度と本気の殺気を向けてはくれないだろうが、前世では味わえなかった経験は、間違いなく私自身の糧になる。
「一つ、二つ、三つ……。ええっ!? 門を四つもっ!?」
ヒルダが私を指さしながら数え、ギョッと目を見開いた。
間違いなく、原因は私の魔力だろう。今、私の身体の中で渦巻くソレの数と、ヒルダが驚いた『四つ』という数字がぴたりと一致している。
「もん? ……何、それ?」
魔術に関して、私はまったくの素人だ。
いい機会だから、魔術の先輩であるヒルダに教えを請おうと、オウム返しで問いかけてみた。
「はい、門とはですね。自分と世界を繋ぐ……。
いや、そんな話よりも、裸! 裸です! お嬢様、裸ですよ!」
しかしヒルダは、私の好奇心よりも今の私の姿を優先して問題視した。
私の疑問に答えかけた途端、両手を大きく左右に広げて私の前に立ち、顔を前後左右に忙しなく向けながら、周囲を警戒しまくる。
こんな深夜に、無用の心配だ。誰が見ているというのか。
この屋敷の敷地はそもそも壁で囲まれ、その壁沿いには壁よりも高い木が並び、隣接する屋敷からの視線を遮っている。
仮に見えるとしたら、屋敷の中からだろう。
だが、私は庭の真ん中にいる。
距離が離れすぎていて、仮に私が全裸だと分かったとしても、それだけだ。大事な部分は肌の白さに埋もれて見えないだろう。
しかも、私と一緒に屋敷で暮らす使用人は十人。男性は執事長、庭師、馬丁の三人だ。
彼らは、私が全裸だと分かったら、距離が近かろうと遠かろうと、すぐに視線を逸らすという絶対の信用と信頼がある。
「ああ……。うん、そうだった。夜の街の散歩は中止だね」
「さ、散歩っ!? な、何を馬鹿な事をおっしゃるんですかっ!
こ、これを! こ、これを着て下さい! ふ、普段、私が使っているもので申し訳ありませんが!」
しかし、ヒルダは自分自身が目隠しの壁になるだけでは満足しなかった。
着ているデザイン性ゼロの灰色無地のネグリジェを私に着せようと脱ぎ始めるが、両ウエストで束ねられた裾がどうしても解けない。
おそらく、結び目の大きさからすると、その裾丈は足首近くまである。
走りやすくするために工夫して結び、刺客と戦う激しい動きの中でも解けないよう、きつく絞ったのだろう。
悪戦苦闘の末、ヒルダは裾を解くのを諦め、そのまま脱ごうとする。
だが、ウエストで絞られた輪の大きさでは脱げるはずがない。
屋敷で仕えるメイドさんたちの中でも大きめの自分の胸のサイズを、すっかり忘れているのだ。
それにしても、パンツもまた白無地で地味。
普段は作業中にスカートの裾から覗くパンツも、夜に一緒に過ごすときのパンツも、黒でデザイン性があって、後者はちょっとえっちなのに。
よく考えてみると、ヒルダとは四六時中一緒にいるのに、そのプライベートを見たことがない。
同じ屋敷内にあるとはいえ、ヒルダたちが住む使用人棟は、私『メアリス』の認識では立ち入り禁止の場所だった。
明日、思い切って訪ねてみよう。
普段、私を着飾らせようと朝の着替えを必ず五着以上こなすヒルダに、今度は彼女自身を着飾ってもらい、私の苦労をぜひ味わってもらおう。
もしプライベートで持つ服や下着が地味なものばかりなら、新たに作らせるのも面白い。
昨日、洋裁屋さんが訪れて、夏用の服を作るために私の採寸をしたばかりだが、身長も体重も胸のサイズも、去年からほとんど変わっていない。
クローゼットルームにはすでにたくさん吊るしてある品があるので、十分だ。新調の必要は感じない。
それをヒルダに告げたら、烈火の如く叱られた。
ならば、その苦労もぜひ味わってもらおう。
「フフッ……。少しは落ち着いたら?」
そうこう考えていると、ヒルダは再び裾を解こうと、その場で駆け足する。
その絵に描いたような焦りっぷりに思わず苦笑してしまう一方で、先ほどから感じ続けている万能感を改めて確認した。
これは、ちょっと危険かもしれない。
自分が全裸でいることを、ヒルダに指摘されるまで完全に忘れていたのだ。
今でも、どうでもいい些細なこととしてしか考えられず、見たければ存分にどうぞ、と思ってしまう。
男だった頃ですら決して持たなかった心境で、大事なところを隠す努力さえ面倒に感じていた。
「お嬢様、ちょっとは慌ててください!
いきなり門を四つも開くなんて、明日から動けなくなりますよ! 筋肉痛なんて可愛いものじゃありません!」
「ええっ!? そうなのっ!?」
しかし、そんな万能感すらひれ伏す衝撃の事実が、ヒルダから明かされた。
私が知る極意は、気、或いは魔力を感じて高めるための教えであって、その逆は知らない。きっと前世の祖父も、同じだったに違いない。
今の万能感を得る前は、魔力の強さが集中力次第で増減していたが、今はその様子がまったくない。
胸、鳩尾、丹田、女の子の大事なところ。それぞれが互いに補うように魔力を渦巻かせ、全力の全開を常に保っている。
つまり今の私は、ブレーキの効かぬ車に乗っているような状態だ。
目をギョギョッとこれ以上なく見開き、慌ててヒルダの元へ駆け寄る。
「そうなんです! お願いです! 門を今すぐ閉じて下さい!」
「いやいや! だから、もんって何さ!
ほら、手伝ってあげるから! ヒルダは右! 私は左をやるから!」
結論から言うと、時すでに遅しだった。
加減できない力で結ばれたネグリジェの裾を引き千切って解いた瞬間、意識が唐突に落ちた。
目が覚めたのは三日後の朝。
指先をちょっと動かしただけで全身に貫くような痛みが走り、ベッドから起き上がるどころか、極度の倦怠感で喋ることすら辛かった。
その後の一週間は、まるで『赤ちゃん、ばぶばぶ体験』を味わうハメになったのだ。




