第10話 夜に舞う万能感
「さて……。」
気を取り直して、もう一度。
今度は、謎めいた感覚を外ではなく内に向けて、自分の手足に意識を巡らせる。
すると、仮称『魔力』が身体の隅々まで流れていく感覚に、成功した。
目をゆっくりと開けると、天蓋を支える四方の柱に束ねられたレースのカーテンが、微かに揺れて靡いている。
窓は閉めたはずなのに、と左右を見渡して気づく。
微風の発生源は自分自身であり、自分を中心に、ベッドのシーツもほんのり波打ちながら揺れていた。
「光って……。る?」
この微風は何だろうか、と思わず両掌をすくい上げて眺める。
目をパチパチと瞬くと、暗闇だからこそ気づける、淡く淡い光が全身を膜のようにそっと覆っていた。
当然、摩訶不思議な現象に戸惑う。
しかし、それ以上に、心の奥底からこんこんと湧き上がり、抑えきれないほどに溢れる、かつてない興奮が勝っていた。
「これが……。魔力?」
この興奮を何と表現したらいいのだろう。
今なら、どんなことでもできてしまいそうな、底知れぬ万能感。それが最も近いかもしれない。
座禅を組んだまま、鼻息をフンスと吐き、腹筋に力を込めて跳ねる。
視線が天蓋ぎりぎりまで上がり、そこで組んだ足を解くと、そのままベッドの上へ着地した。
魔力を知る前の私なら、絶対にできなかった動作。
それが、思い通りに実現したという現実。
ささやかでも、魔力の効果を実感した喜びに、口元が自然とニンマリとほころぶ。
「いける……。」
最も近い窓辺へ歩み寄り、カーテンを開けて窓も開ける。
新鮮な空気が、胸いっぱいに美味しい。半月の月明かりが、世界を淡い薄暗闇で包んでいた。
一周200メートルの陸上トラックが作れそうなくらい広く、手入れの行き届いた芝生で覆われた我が家の庭。
人の姿は、もちろんどこにもない。
私の部屋は二階にある。
もし、貧弱な私が今飛び降りたら、骨折は免れず、打ちどころが悪ければ死ぬ可能性も否定できない。
だが今の私は、平気だという、揺るがぬ確信があった。
心の赴くまま、窓の縁に右足を乗せて跳ぶ。
「えっ!?」
窓枠がバキリと鳴り、壊れる。
信じられない高さにある自分の視線に、言葉を失った。
思わず後ろを振り返ると、屋敷の屋根が眼下に広がっていた。
距離は庭の中ほどまで達しており、これはもはや『跳ぶ』ではなく、『飛ぶ』だ。
数瞬後、跳躍の頂点に達し、自由落下。
ドスリと重い音を立て、足首まで芝生に沈み込むように着地した。
「くふっ……。くふふふふっ!」
衝撃を吸収するために曲げた両脚を伸ばして立ち上がると、思わず笑みがこぼれた。
事前に確信していた通り、着地の際には足の裏に痺れを感じたが、それだけで済んでいる。
身体の隅々まで見渡しても、異常はどこにもなかった。
「せっかくだし、初めての外出でも洒落込むか」
この程度で満足して、部屋へ戻って寝てしまうのはもったいない。
正門は陽が落ちるとともに閉ざされ、高い壁が屋敷の敷地をぐるりと囲んでいるが、今の私なら簡単に飛び越えられる。
歩き出すと、足取りは自然と速くなり、小走りになった。
全力で足のピッチを上げようとした、その瞬間だった。
「このっ……。痴れ者があああああああああっ!」
私以外は誰もいなかったはずの庭に、怒号が轟いた。
顔を向けると、芝生を削り土煙を巻き上げながら、人ならぬ速さで駆ける存在が、明確な敵意を私に向けて急接近していた。
「面白い!」
剣を持っていないのは残念だが、前世の祖父から学んだ武術は戦場を起源とするものだ。
剣が折れれば槍を拾い、槍も折れれば手近な道具を武器とする。それすらなければ、自分の身体そのものを武器にする。
正直に言えば、徒手空拳は得意ではない。
前世の祖父からも凡才と評価されているが、やれないことはない。
唇を舌でペロリと舐め、握り締めた両拳を腰に添えながら進路を変える。
接近者を迎撃すべく、全力で猛ダッシュを駆ける。
「はっ!」
「しっ!」
そして、一瞬後、裂帛の気合いを交わし合うと共に交差。
こちらが貫手なら、向こうは短剣で互いの首を狙う。
しかし、まるで示し合わせたかのように、右に避けて空振り。
こちらが直線的な攻撃を繰り出せば、向こうは弧を描く攻撃。
取り回しが容易な分、次の一撃は速い。
次は無防備な背中を狙ってくるに違いない。
そう判断し、三歩目の踏み足を軸にくるりと回転。
そのままバックステップを踏み、勢いを殺さず軽く跳ねながら右回し蹴りを放つが、これも空振り。
完全に読み違えた。
向こうは私との間に一歩分の間合いを作って踏み止まり、いつの間にか左手に持ち替えた短剣で斬線を左下から右上へ。
私の右回し蹴りが生む死角を巧みに利用してきたのだ。
最初から『後の先』を取ろうと目論んでいた向こうの手練れぶりに舌を巻く。
裏を返せば、こちらの二撃目を読まれ、絶対に避けられる自信があった証拠であり、それが悔しい。
だが、悔しさを圧倒的に上回る喜びが、今この瞬間にあった。
一瞬の判断ミスが致命傷に繋がりかねない緊張感に、背筋を快感がゾクゾクと走り、肛門が勝手にキュッと締まる感覚が心地よかった。
「よくも、お嬢様をっ!
……って、あれ、お嬢様? ……えっ!? えっ!? えっ!?」
しかし、左腕を犠牲にして短剣を受け止めようとする寸前、向こう『ヒルダ』がピタリと急停止した。
猫族特有の暗闇で光る目の虹彩を丸くさせ、大パニックに陥った。
残念ながら、心躍るひとときは、あっさりと終わりを告げた。




