王子は聖女を花嫁に望む
王子は脇役です。
「――ここが聖女の住処か!」
静かな山の中に、非常に似つかわしくない仰々しい一行がやってきた。
こんな山奥まで入ってきたのは王家の紋章を掲げた馬車。
近衛騎士隊に守られた馬車から降り、声高々に言ったのはこの国の若き王子だった。
小屋と呼べそうなほど慎ましい丸太づくりの家を見て満足そうに笑う。
「正直半信半疑だったが、見たこともない草花が咲き乱れている光景はまるで楽園のよう……確かに聖女の領域に間違いない。こんな辺鄙な北の山まではるばる来た甲斐があったというものだ」
王子は褒めているのか貶しているのか分からないことを言った。
その王子が口にした聖女。
それは、今では文献の中にしか残されていない、たぐい稀なる力を持った特別な女性のことを示す。
文献の中には、聖女は災害から人々を救い、怪我や病を治し、慈愛と癒しに満ちあふれていると綴られていた。
古くは王族や神殿の預かりとなった時代もあったらしいが、いつしか聖女の存在自体が稀有なものとなり、もう百年以上その存在は確認されず、聖女は途絶えたとさえ言われていた。
しかし、そう思われていた聖女が、ひっそりと山の中で暮らしているという報告が上がった。
清貧な暮らしをしながら国のため人々のために祈りを捧げているらしい。
それを聞いた王子は、自ら確認すると言って、王都から遠く離れたこの山奥までやってきた。
その理由は――。
「伝説とさえ言われていた聖女なら、王子である俺の妻にするのが相応しいだろう。連れて帰ればみなが羨望のまなざしで俺を見るぞ!」
甘やかされて育った王子は、目立ちたがりで珍しいものは手に入れたい性格だった。
そんな主に振り回されて近衛騎士たちはうんざりしていたが、口が裂けてもそんなことは言えない。
騎士隊は縦社会だ。そして縦の一番上は王家だから。
疲れ切っている近衛騎士たちに気づかず、王子は質素な家へ向かって足を踏み出した。
そして扉を勢いよく開けた。
「聖女よ、俺はこの国の王子だ! 花嫁にしてやるから喜ぶと良い!」
勝手に扉を開けるや否や、声高々にそう宣言した。
家の中から人の気配がし、王子は聖女の登場に期待を膨らませる。
文献の中に残されている聖女像は、身分に関係なく誰に対しても優しく、癒しの力で人々を救い、そして清らかで可憐な乙女と書かれていた。
王子に振り回されてうんざりしていた近衛騎士たちもさすがに興味心を隠せず、王子の後ろから家の中を覗き込んだ。
どんな女性が現れるのか――……。
「あらまぁ、嬉しいわ。私をお嫁さんにしてくれるの?」
中から聞こえてきた声は、高く可憐な声音で、突然現れたにも関わらず優しく受け入れるような寛容さを宿していた。
王子の護衛でついてきていた近衛騎士たちも、思わず剣から手を離して立ち尽くした。
あれほど聖女を花嫁にすると声高々に宣言していた王子も、何も言えずに見つめている。
そんな数多の視線を集めた聖女と思わしき女性は、雪原のように白い肌を柔らかく微笑ませた。
「私、こんなお婆ちゃんだけど、良いのかしら?」
本人がそう言った通り、どこから見ても正真正銘のお婆ちゃんがそこにいた。
柔らかそうな白い頬は微笑むと皺が深く刻まれ、少しふっくらとした身にまとっているのは真っ白な聖衣と思いきや、白いエプロンだった。
それはまるで、台所から出てきたお婆ちゃんのよう。
突然やってきた王子に向けるまなざしも、まるで孫を見守る祖母のようだ。
というか、王子との歳の差は、まさに孫と祖母といえるくらいだった。
王子は目を瞬かせ、質素な小屋の中をきょろきょろと見回し、聖女といえそうな女性が目の前の彼女だけということを再確認してから口を開いた。
「え、えっ? あ、あなたが聖女……?」
「ええ、五十年くらい聖女をしているわ」
目の前の聖女はにこやかに笑いながらそう答えた。
すると、部屋の中にもう一人いた人影が静かに口を挟んだ。
「聖女様。十六歳で聖女になられたので、五十四年目です」
「あら、そうだった? やあねぇ、年を取ると忘れっぽくなっちゃって」
ころころと笑う聖女の隣に、背の高い老齢の男性が並ぶ。
王子と近衛騎士たちは、男性の言った数字を頭の中で素早く計算した。
十六歳で聖女になり五十四年目ということは、つまり今は七十歳。
お婆ちゃんだ……!!
誰もが心の中で叫んだ。
現在十七歳の王子をはじめ、若き近衛騎士たちの祖母と同じ年くらい、もしくはそれ以上といってもいい年齢だった。
「あ、彼は護衛をしてくれる騎士で、ヴォルフっていうの。私と同い年でお爺ちゃんなのに記憶力が良いのよ」
王子たちの考えていることなど知らない聖女は、隣に並ぶ騎士の紹介をしてくれた。
同い年と言っていた通り、白髪の目立つ髪と皺の刻まれた顔立ちは老齢を表しているが、その佇まいは一分の隙もないまごうことなき騎士だった。
お爺ちゃんというには鋭すぎる眼光に、近衛騎士たちは思わず背筋を伸ばす。
そんな中で聖女だけは笑顔を絶やさなかった。
「あら、ごめんなさいね、私ばかりお喋りしちゃって。ずっと山で祈りを捧げているから、お客さんが嬉しくって。あ、お菓子食べる? ちょうどクッキーを焼いていたところなのよ」
「あ、いえ、おかまいなく……」
「遠慮しなくていいのよ。喉は乾いていない? あら、でもこんなに大勢の分のコップあったかしら」
「いえ、水筒持ってきてるので大丈夫です……」
「まあ、ちゃんと準備して偉いわねぇ」
普段は食事に嫌いな食材が入っていただけで機嫌を悪くする王子が珍しく遠慮をし、腰に携帯していた水筒を示した。
「あ、そういえば何か用事があって来たのよね、何だったかしら……。あ、そうだったわ!」
聖女はポンッと自身の両手を叩き合わせた。
「私をお嫁さんにしてくれるの?」
ころころと、少女のように笑う。
その瞬間、王子は勢いよく頭を下げた。
「いいえ! お邪魔致しました!!」
そう叫ぶと、近衛騎士たちを引き連れて脱兎のごとく去っていった。
馬車の車輪の音がうるさく鳴り響き、普段は静かな山の中にまるで嵐が来たようだった。
その音も聞こえなくなった頃。
「ふんっ。若造が、生意気な真似を」
王子一行が去ったあと、聖女の隣で静かにたたずんでいた護衛騎士はそう言い捨てた。
「まあ、ヴォルフったら不敬よ。馬車に王家の紋章がついていたから、きっと王子様よ」
「笑えない冗談を言うやつに不敬も何もない」
先ほどまでは無口だった護衛騎士は、何も恐れることなく低い声でそう言い切った。
去っていった方向を睨みつける眼光も鋭い。
しかし、聖女を振り返る視線は優しく、穏やかで甘い声音で語りかけた。
「君は私だけの妻なのだから、エミーリア」
「ふふふ、頼もしい旦那様ね」
妻の名を愛おしく呼びながら、しわしわな手を取って口づける。
聖女はくすぐったそうに微笑んで、騎士であり長年連れ添った頼もしい夫の手を握った。
山の上の清貧な聖女。
もう五十年以上も山にこもって祈りを捧げ続け、めったに人里へと降りてこないため、あまり存在を知られていない。
しかしその実、護衛の騎士とおしどり夫婦なことは、近隣の村ではよく知られていることだった。
聖女は今日も夫と共に、静かに祈りを捧げている。
聖女の力のおかげで長生きな夫婦。子や孫もたくさんいます。




