第14話「過去との決別」
王都を出発してから二時間ほど経った頃、馬車は小高い丘の上で休憩のために停止した。ここからは王都全体が一望でき、朝の陽光に照らされた美しい街並みが眼下に広がっている。大聖堂の尖塔が特に印象的で、まるで天に向かって祈りを捧げているかのようだった。
「綺麗な眺めですね」
クリスが馬車から降りて、景色に見とれている。
「ここから見ると、王都も美しく見えるな」
ギルが馬に水を飲ませながら言う。
リナは一人、丘の端に立って王都を見つめていた。五年間を過ごした場所。喜びも悲しみも、全てがあの街にあった。特に大聖堂は、彼女の人生の大部分を占めていた場所だった。
「複雑な気持ちです」
リナが小さく呟く。
「辛い思い出もありましたが、救えた人たちもいた。全てを否定することはできません」
ファルが静かに近づいてきた。
「リナ様にとって、あの場所は特別だったのですね」
「そうですね。良い意味でも悪い意味でも」
リナは深く息を吸い込んだ。澄んだ空気が肺を満たし、心が少し軽くなった気がする。
「でも、もう振り返りません」
彼女は決意を込めて言った。
「これからは前だけを見て歩いていきます」
その時、遠くから馬蹄音が聞こえてきた。一頭の馬が丘に向かって駆け上がってくる。騎手は教会の制服を着た若い神官だった。
「待ってください!」
息を切らしながら馬を止めた神官は、あの夜にリナが少女を救った時の若い神官だった。
「どうして……?」
リナが驚く。
「お伝えしたいことがあって、急いで追いかけてきました」
神官は馬から降りて、深々と頭を下げた。
「まず、心からお礼を申し上げます」
「お礼?」
「はい。あなたが救ってくださった少女のことです」
神官の顔が明るくなった。
「エミリちゃんは完全に回復して、今では元気に走り回っています。昨日も『お姉ちゃんは元気?』って聞いていました」
リナの胸が温かくなった。あの夜の決断は正しかったのだ。
「それと……」
神官は少し躊躇ってから続けた。
「実は、神官長が解任されました」
「え?」
四人全員が驚いた。
「あの夜の件が枢機卿会議で問題になったのです。『病気の子供を救おうとした者を咎めるとは何事か』と」
神官の説明によると、リナと神官長のやり取りを他の神官が聞いており、それが上層部に報告されたのだという。
「新しい神官長は、もっと慈悲深い方です。『困っている人を助けることこそが神の教え』とおっしゃっています」
「そうでしたか……」
リナは複雑な心境だった。神官長の解任を喜ぶべきなのか、それとも同情すべきなのか。
「それから、これをお渡しするように言われました」
神官が小さな包みを差し出した。中には美しい銀のペンダントが入っていた。聖女の象徴である光の十字架が刻まれている。
「新しい神官長からです。『過去がどうであれ、人を救う心を持つ者こそが真の聖女だ』と」
リナはペンダントを手に取った。重さはほとんど感じないが、込められた想いは重かった。
「ありがたくお受けします」
「それと、私からもお願いがあります」
神官が真剣な表情になった。
「いつか、時間ができましたら、またエミリちゃんに会いに来てくださいませんか」
「もちろんです」
リナは微笑んで答えた。
「約束します」
神官は安堵の表情を浮かべて頭を下げた。
「それでは、私はこれで失礼いたします。どうかお気をつけて」
神官が去っていくのを見送った後、リナはペンダントを見つめていた。
「綺麗なペンダントですね」
クリスが感心して言う。
「身につけられますか?」
「ええ、でも……」
リナは少し迷った。聖女の象徴を身につけることに、まだ躊躇いがあった。
「いいじゃないか」
ギルが励ますように言う。
「お前は確かに聖女だった。それは紛れもない事実だ」
「そうです」
ファルも同意する。
「過去を恥じる必要はありません。むしろ誇るべきことです」
リナはゆっくりとペンダントを首にかけた。銀の十字架が胸元で小さく光る。
「不思議です。軽やかな気持ちになりました」
彼女の表情が明るくなった。
「過去との重荷が取れた感じがします」
「それでこそリナらしいな」
ギルが嬉しそうに笑う。
「これで本当に新しいスタートですね」
クリスが拍手をする。
四人は再び馬車に乗り込んだ。王都はもう遠くに小さく見えるだけだった。
「さあ、行きましょう」
リナが前向きな声で言う。
「新しい人生の始まりです」
馬車が再び動き出すと、風が頬を撫でていく。リナは胸元のペンダントに触れながら、心の中で静かに誓った。
「今度こそ、本当の意味で人を救う聖女になってみせる」
太陽が中天に昇り、暖かい光が馬車を包んでいる。道の両側には美しい花畑が続き、蝶々が舞い踊っている。
「あ、あそこに村が見えますよ」
クリスが前方を指差した。確かに、小さな建物群が見える。最初の目的地、ルーンベル村だった。
「楽しみですね」
リナの声には期待が込められていた。
「どんな人たちが待っているのでしょう」
「きっと、私たちを必要としている人がいるはずだ」
ギルが力強く言う。
「そして、私たちがその人たちを助ける」
馬車は希望を乗せて、新しい町へと向かっていく。リナの胸元で、銀のペンダントが太陽の光を受けて美しく輝いていた。それは彼女の新たな人生を祝福しているかのようだった。
過去との決別は完了した。これからは、真の聖女として、真の冒険者として歩んでいくのだ。
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……余命まで残り352日……