銀河で最も美味い幻のキノコ
しいなここみ様主催『梅雨のじめじめ企画』参加作品です。
俺が入国手続きの長い列の最後尾に並んでいると、先頭の方から悲痛な叫び声が聞こえてきた。
『──それはいくら何でも横暴だ! 俺は、この国の会社から指定されたとおりに荷物を運んできたんだぞ!』
『いや、そう言われましても、法律が改正されてしまいましたのでね。あなたの荷物は輸入が禁止されてしまったんですよ。なのですべて没収せざるを得ないわけなんですが──』
うわ、最悪だ。宇宙港の税関職員なんてのは、陰湿でいけ好かないヤツだと相場が決まっているけど、この星のヤツらは特に酷いらしい。
俺は急いで情報端末を開き、この星の税関に関する新しい法律に目を走らせ始めた。
人類が地球だけに住んでいた頃には、こんなことは滅多になかったという。
『インターネット』なる通信網が世界中を網羅し、機密情報以外なら誰でも簡単にアクセスできたのだ。
当然、貿易相手の国の法律などもリアルタイムで確認できるので、その手のトラブルはほとんどなかったそうだ。
ところが、人類が亜空間航法を発明して銀河系の半分ほどまでに版図を一気に拡大した頃から、この手の問題が起こり始めた。
人類は光速をはるかに超える速度で移動する手段を手に入れたのだが、通信速度に関しては光速を越えることが出来なかった。
つまり、インターネットの即時性は失われてしまったのだ。
まあ、超高速船を使えば人類の文明圏の端から端まで2日もあれば行けるので、そこまで超光速通信の開発に力を入れる必要はなかったのかもしれないけど。
しかし、俺たち零細運輸業者にとっては死活問題だ。
目的の星まで荷物を運んでみたら、法律が変わって違法になっていたので荷下ろしが出来ない、なんてのはまだマシな方だ。
酷い星になると、積み荷を丸ごと没収しようとしたりするのだ。
まあ、そうなると俺たちも報酬が得られないどころか賠償まで払わされかねないので、役人に袖の下を渡して何とか通関させてもらおうと交渉するわけなんだが。
それが目当てなのか、ころころと法律を変えまくるような星もあるからなぁ。
──昔なら、こういうやつらの悪評は、インターネットで瞬時に世界中に拡散したそうなんだけどね。
俺の担当になった役人は、いかにも陰険で神経質そうな中年男だ。
名前を覚える気にもなれないので、その第一印象から心の中では『ジメジメ氏』と呼ぶことにする。
俺がカウンターに座って通関申請のデータを渡すと、ジメジメ氏はさっそくネチネチした口調でケチをつけ始めた。荷物の中身に問題はないが、コンテナの規格が変わったので、俺の荷は受け入れられないという。
「規定オーバーって言ったって、たった5センチじゃないですか! それくらい大目に見てくださいよ!」
「いや、たとえ5センチでも違法は違法です。没収するしかありませんねぇ」
「じゃあ、正規のコンテナをどこかで借りて、急いで積み替えますよ。それなら問題ないでしょう?」
「ええ。ただ、正規のコンテナをすぐ貸してくれるような業者は、この辺りにはないと思いますがね」
くそ、その辺も想定済みか。
たぶん司法に訴えようとしても無駄だろう。こんな法改正をするってことは、政治家の方も何らかの利権を得ているだろうし。
星ぐるみで悪徳商人みたいなことをしてやがる。ホント、最低だな。
「さて、そろそろご納得いただけましたかな? では積み荷の権利放棄の書類にサインを──」
「待って下さい! ──あの、ちょっとご相談があるんですけどね……」
俺が急に声のトーンを落としてささやくと、ジメジメ氏の顔にいやらしい笑みがかすかに浮かんだ。そろそろ、俺が袖の下を渡して交渉してくると思ったんだろう。
ああ、渡してやるとも。お前らにふさわしい、とっておきの袖の下を、な。
「この星は全体に湿度が高く、キノコ栽培が盛んだそうですね。色々と美味しいキノコもあるんでしょうね?」
「ええ、それはまぁ。それが何か?」
「なら、キノコにはお詳しいですよね。この世で一番美味しいキノコって何だかご存じですか?」
「それはもちろん、我が国の特産品『珠玉茸』でしょうね。銀河中の食通たちの間でも、とびきりの高値で取引されていて──」
「それは、一般に流通しているものの中では、の話でしょう?
聞いたことありませんか? 銀河系究極の至宝とも言われる幻のキノコ──『楊貴妃茸』の噂を」
俺が口にしたその名前に、ジメジメ氏は目を見開いて絶句した。
はるかな昔、その美貌で皇帝を惑わし国を滅ぼしかけた傾国の美女『楊貴妃』──。
その名を冠された幻のキノコは、寿命の尽きかけた恒星系の極寒の惑星上で発見された。
まだ調査隊の人間やごくわずかな超上流階級の人しか口にしていないが、食べた人たちは皆その味のとりこになり、言葉の限りを尽くしてその極上の味わいを絶賛せずにはいられない。
今、銀河中の美食家たちがどんな対価を払ってでも食べたいと渇望する、まさに究極のお宝なのだ。
実は、俺はその『楊貴妃茸』の研究用サンプルを某研究機関に運ぶ仕事の途中だ。この星への荷運びは、そのついでみたいなものだったりする。
「ただ、それぞれ冷凍保存装置に入れて5株を運んでいるんですが、そのうちのひとつの機械の調子が悪くて、ですね。冷凍状態を維持しきれないようなので、もう廃棄してしまおうかと──」
「ば、馬鹿な!? それこそ何億もの値が付くような代物なんじゃないのか!?」
「そうなんですよー。私もさすがにもったいないかと思いまして。
──そこで相談なんですけどね。今回の通関をお目こぼしくださるのなら、この『楊貴妃茸』の処分をあなた方にお任せしようかと思っているんですが」
俺がそう言うと、ジメジメ氏が唾を呑み込む音がはっきり聞こえてきた。
「大変に希少なものですから、そこいらの素人が勝手に栽培しようなんて考えられても困るんですよね。
このキノコの価値がわかるようなお方に、確実に処分していただかないと──」
「む、無論だ。これほど貴重なサンプルを確実に処分しなければならないというなら、キノコに詳しい我が国が引き受けざるを得ないのであろうな」
はい、猿芝居に乗ってきたよ。
俺は立ち上がって、周りに聞こえるように大き目の声をあげた。
「では、ウチの船のカーゴ・ルームを見に来てください。そうすれば、通関に問題がないことをご理解いただけるはずです。
──あ、ちょっとばかり不要なものをこの星に捨ててっちゃってもかまわないですよね?」
「もちろん、何の問題もありません。どうぞ捨てていって下さい!」
俺はジメジメ氏を連れて、停泊中の自分の船に戻った。そこで、彼の目の前で端末を開き、航海日誌に『サンプルをひとつ廃棄処分にした』旨を書き込んだ。これは裁判の証拠などにも採用されるほどの公的な記録で、後で改ざんなど出来ないようになっている。
「さあ、これで私はこのサンプルを正式に廃棄したことになります。捨てたものをたまたま拾った人がどうしようが、それはもう私の知ったことではありません。
あ、繁殖力はかなり強いようですが、培養して儲けようなんてくれぐれもなさらないようにお願いしますよ。まあ、私にはもう何の関係もない話ですけどね」
最後のひと言は、欲に目のくらんだジメジメ氏の耳には、こういうニュアンスで聞こえたに違いない。『あんたらが大儲けしても、後から分け前をよこせなんて言いませんからね』と。
翌日、荷物を無事に納品した俺は、そそくさとこのいけ好かない星から出航した。
コーヒーを片手に、徐々に遠ざかる鈍色の惑星を船窓から眺める。たぶん、もう2度と来ることはないだろうしな。
──あれだけ強欲なお国柄だ。絶対に楊貴妃茸を培養して大儲けしようとするはずだ。多様なキノコ栽培のノウハウをもつ自分たちなら、それが可能だと信じてるに違いないし。
しかし、実は楊貴妃茸は相当にヤバい代物だ。普段は雪や氷の下に休眠状態で埋もれているが、ごくたまに気象条件に恵まれて雪が溶けたりすると、とんでもない速度で菌糸を伸ばし、ありとあらゆるものを養分としてあっという間に増殖する。
最初の調査隊が帰還する時に持ち帰ろうとして、宇宙船の中で解凍して食べてみたそうだが、1本だけ食べ残しがあったらしい。それが爆発的に増え、気づいた時にはもう船内が埋め尽くされていたそうだ。
ちなみに、その宇宙船が母星に近づいた時に船員たちの姿はもうなかった。想像するのもおぞましいが、全員生きたまま楊貴妃茸の養分にされてしまったのだろう。
こんなものを不用意に惑星に持ち込んだら、それこそ星そのものが滅びかねない。その宇宙船はそのまま遠隔操作で恒星に突入させて、焼却処分としたそうだ。
──そう、『楊貴妃』の名には、国を滅ぼすほど危険な存在だという意味も込められているのだ。
こんな情報も、インターネットがあった時代なら誰でも知ることが出来たんだろうけどな。
あいにく、あの星系の情報ネットワークには、楊貴妃茸の味と珍しさに関する噂レベルの情報しかなかった。
あれだけキノコ栽培に適した風土で、あんな危険なキノコをうかつに解凍してしまったらどんなことになるのか──。
まあ、情報がすぐに他星系まで届かないことを悪用して荒稼ぎしてたんだし、因果応報ってとこだろう。
──俺たち船乗りは、命懸けで星の海を渡り歩いている。現に俺だって、冷凍装置が壊れればたちまち楊貴妃茸の養分にされてしまうリスクを背負ってるんだ。
そんな俺たちの上前をはねて甘い汁を吸おうっていうふざけたヤツらは、自分たちも汁を吸われる立場になってみろってんだ。
俺は確かに、培養なんてしないようお願いしたはずだぜ。それを無視した連中がこの先どうなろうが、俺の知ったことかよ。