山の獄
〈山往くや春の匂ひを振り払ふ 涙次〉
【ⅰ】
永田です。前回カンテラに「永田さんの持つてきた仕事は鬼門」と云はれてしまつたので、雪辱篇を。
カンテラは、私の物語に登場する時は、勿論、作者に物を云つたり干渉したりはしない。だが、彼には彼の現實の生があり、彼がそこにゐる限りは、彼の生き方・行き方は、自由なのである。
詰まり、幾らでも「作者」である私に、叛抗する事、出來るのであつて、彼が何と云はうと私は耐へるしかない。「鬼門」呼ばわりされた仕事についても、その「法則」は当て嵌まる。
【ⅱ】
私のスクーター、ヤマハ シグナスグリファス125に、私がオフロード用タイアを履かせてゐる事は、何処かに書いた。私は、オフロード車の群れに混じつて、山の林道を行つたりする。それがストレス發散、私の心の捌け口となつてゐた。
拘るようだが、「鬼門」と云ふ事は兎も角、實際にカンテラ一味に只働きをさせてしまつた「罪」は重い。私はくさくさしてゐた。ので、今、林道を飛ばしてゐるのだ。シグナスグリファス、マフラーはフルエキゾーストだが、サイレンサーがやゝ斜め上を指すやうセッティングしてあつて、ダートロードも苦にはならない。
そこで私は、オフロードの同好者から、或る話を聞くのである。
【ⅲ】
「ハンターカブ【魔】」とでも呼ぶべき、【魔】がゐる、と云ふのだ。ホンダのCT125ハンターカブに跨つて、林道初心者に「もつと面白いコースあるよ」と吹き込み、その實山の奥處に誘ひ込み、彼らの狂氣に落ちるのを待つ、そんな魔らしい。山、と云ふ物、森閑とした場所に迷ひ込むと、人間、おかしな氣持ちに駆られるものだ。謂はゞ、山の獄に彼らは繋がれてしまふ... これは、私の尊敬する作家、古井由吉氏が、生前小説の題材として、よく採り上げてをられた事。
私は思つた。これはカンテラ一味でなくては、片付けられぬ、と。
私は、シグナスグリファス「シュー・シャイン」號の行先を、カンテラ事務所に變へた。果たして、カンテラは眞面目に話を訊いてくれるか...
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
〈林道を疾走したりダート車の群れに混じりて嗚呼山が呼ぶ 平手みき〉
【ⅳ】
案に違ひカンテラは私の注進に、まともに耳を傾けてくれた。「ハンターカブ【魔】ね... 山の精かな?」じろさんを杵塚がスズキ ジクサー150の後ろに乘せ、私のシグナスグリファスのタンデムシートには、カンテラが跨つた。そして、その山へ-
林道にバイクで入る事は避けた。取り敢へず、ヘルメットを脱いだ、カンテラ・じろさんに、聲を掛けてくる者、二・三...「カンテラさんもツーリングですか?」-「いや、仕事なんですよ。あんた、見たところこの山道は初心者ではないかな?」バイクが汚れてゐない。「さうなんですよ。林道デビューなんです」-「そいつは好都合だ。あんた、囮になつて貰へないか?」-「囮? カンテラさんの仕事手傳へるなんて、光榮です!」と、容易に協力者は見付かつた。バイク乘りには、ユニティ・スピリットがある...
で、彼女(協力者は女性)を林道に「放つた」カンテラ、じろさんとぢつくり時が滿ちるのを、待つ。
(掛かつた!)「ハンターカブ【魔】」は現れた。「よお、彼女。こんな簡單なコースより、もつと面白い道、教へてあげるよ」一瞬にして、その女性は、自らの置かれた立場を忘れ、ぼおつとバイクを、【魔】の示す方向に、向けてしまふ。強力な催眠効果が、「ハンターカブ【魔】」の言葉には、あるやうだ。
(ニュー・タイプ、か。然し、俺らの存在には氣付いてゐない、じろさん、スタンバつてくれ)‐(ラジャー!)
【ⅴ】
じろさん、赤い旗を持つてゐる。日本共産党とは関係ない。たゞ、林道で目立ちさへすれば、何色でも良いのだ。
そして、その旗を振る。「ハンターカブ【魔】」行方を塞がれた形である。「ちつ、何だお宅?」‐「いやあんたの惡業を止めやうと思つてね」‐「何い?」
バイクのハンドルは、がつしりじろさんに押さへられてしまつた。と、後ろから‐
「しええええええいつ!!」カンテラ、【魔】の脊中を斬り裂いた。「う、後ろからなんて、卑怯だぞ」...「對、【魔】に卑怯も何も、ないさ」カンテラ、澄ました顔。
女性は、自分の氣持ちと云ふものを、恢復した。「あらわたし、何やつてんだろ?」カンテラは彼女の住所を訊いた。金一封、送る為である。
【ⅵ】
狂氣に陥つてゐた人、皆、本來の自分に返つたやうだ。テオは、そんな彼らのメアドを虱潰しに探り、醸金を募つた。結果- 百萬ほどだが、カネが入つてきた。カンテラは金尾に、先の協力者の女性に、金一封送るやう、頼んだ。(5萬、でいゝか)金尾の金錢感覺は、カンテラ一味にあつて、ずば拔けて「正常」なのだ...
カンテラにやにやして、「ほら、折角の骨折りも、永田さんの話に従ふと、百萬にしかならない」-「はゝ。勘弁して下さいよ。カンさん」私は寧ろ、すつきりした氣分であつた。
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〈林道やダートを飛ばす脱兎かな 涙次〉
鬼子母涙次の附記。今回は、無季俳句になつてしまつた。ご免遊ばせ。
お仕舞ひ。