区画の陰影
ロバートの目の前には、まだ幼さを感じさせるハーフウルフの少女が治療の為に眠っていた。ふかふかのベッドと柔らかい白いシーツに包まれたその姿は、無垢で愛らしく、獣人というよりは人間の少女そのものだった。しかし、その顔にはいまだ戦いの傷跡が残り、手足には医療器具が取り付けられている。点滴が規則的に滴を落とし、心電図のリズムが静かに部屋に響いていた。
ロバートは手渡されたカルテをぼんやりと見つめていたが、ふと窓越しに少女の顔を見た瞬間、心にわだかまっていた感情が押し寄せてきた。
(俺は一体何をしているんだ……)
彼の視線は、ベッドの隅で垂れ下がっている少女の毛並みの良い耳に向かう。少しだけ動くその様子に、生きていることの尊さが伝わってくるようだ。
「ロバートさん、もうハーフウルフの状態は安定したわ」
病室から出てきた看護師が、彼に笑顔を向ける。
「担当者に伝えておいてくれる?今は大人しくしているけれど、いつ動き出してもおかしくないわ」
彼女はカルテをロバートに渡しながら、彼の疲れた顔を見て言葉を続けた。
「それにしても、大変だったわね。君も肋骨にヒビが入っているんでしょう?あまり無理しないで」
「……はい、ありがとうございます」
ロバートは微かに頭を下げたが、すぐに口を開いた。
「あの……一つだけ聞きたいんです」
「何かしら?」
看護師は少し意外そうに眉を上げる。
「……看護師さんは、亜人種たちの扱いについて、どう思っているんですか?」
その質問に、彼女の顔が少し曇った。
「どうしてそんなことを?」
「俺……この肌の色のせいで、子どもの頃からずっと酷い扱いを受けてきたんです。だから、どうしても……彼女たちを見ているとそれが重なって」
そう言ったロバートの声には、どこか迷いと悲しみが滲んでいた。看護師は彼をじっと見つめ、やがて微笑んだ。
「優しいのね。でも、この施設は、研究のために全てが動いているの。彼らの存在は確かに尊いけれど、同時に、人類の未来のためでもある」
「未来のため……」
ロバートは小さく呟いた。
「ここで彼らに何がされているのか、知るのは辛いかもしれない。でも、君の優しさを否定する必要はないわ」
看護師が去った後、ロバートは窓越しに再び病室の少女を見る。彼の胸の中には複雑な感情が渦巻いていた。
一方、病室のベッドで眠っているはずのハーフウルフの少女、ポチは耳をピクピクと動かしていた。
(優しい人間だ……。でも、弱いな。そんな考え方じゃ、この世界では生き残れない)
彼女は薄目を開け、ロバートが窓越しに見えるのを確認した。彼の顔には悩みが浮かび、どこか自分を責めるような雰囲気が漂っている。
(何を悩んでいるんだ?お前だってアイツ等と同じ人間じゃないか。どうしてあんなにオレたちを気にするんだ……?)
ポチは目を閉じ、眠るふりを続けたが、彼のことが少しだけ気になり始めていた。
病室から離れた後、ロバートは廊下の隅で深く息を吐く。
(俺は何を迷っているんだ。この場所で起きていることが正しいわけがない)
彼の頭に浮かんだのは、アルフレッドの顔だった。冷静で、どんな状況でも揺るがない彼の姿。
(アルフレッドさんだったら、どうするだろうか)
彼はポケットから通信機を取り出した。それは非常時用のもので、潜入前に渡された唯一の連絡手段だ。
「……もう、待てない」
ロバートは通信機のスイッチを押し、アルフレッドにメッセージを送った。
「こちらロバート。重要な情報を持っている」