ファンタジー世界に転生したけれど、私はまだ『たまご』の中でした。
気がついた時、私は薄暈けた暗闇の中に浮かんでいた。生温かくて、粘ついた液体の感触が肌から伝わってくる。
私は海難事故にあって、冷たい海に沈んだはずなのに。
「おや、なんだこれは」
「でけえ卵だな」
話し声が聞こえてきた。時間が経つにつれ、声の数はだんだんと増えていく。
彼らの会話を聞いているうちに、あることがわかった。私は中世風のファンタジー世界に転生したのだということ。そして、今の私は大きな卵であること。
「領民の皆様、どうかお下がりください」
穏やかな気品ある声が、殻の内に届いた。
「この卵は我々ソレム男爵家が引き取り、厳重に管理いたします」
こうして私は、とある男爵家に引き取られることとなった。
「やあウーフ、寒くなってきたね。毛布をかけてあげよう」
あの声の主、男爵家の令息――ゼイン・ソレム様は、卵の私にウーフという名前を付けた。そして、物言わぬ私にいつも優しい声をかけてくれる。
「デニスのやつ、また博打に負けたってさ。いつになったらお金返してくれるのかなぁ」
ゼイン様はいい人だけど、少しお人好しが過ぎているようだった。
「ウーフ、僕は貴族社会で上手くやる自信がないんだ。男爵家の借金は膨らむばかりで、父上の病気も思わしくない。父上が亡くなられたら、男爵家に残るのは僕ひとりだ……」
いつも朗らかなゼイン様が、ぽつりと弱音を零した。私の体内から、激しい鼓動が脈打つのを感じた。
ある日、殻の外がやたらと騒がしくなった。
「ウーフに触れるな!」
「ゼイン、貴様はすでに爵位を剥奪されているはずだ」
「ウーフは……僕に残された唯一の家族なんだ!」
「何をいうか。こんな大きい卵を放置していては危険だ。我々侯爵家が引き取って処分する!」
「頼む、やめてくれ!」
ああ、ゼイン様が泣いている。もう、耐えられない。
私は腕を伸ばし、殻を貫いた。薙いで、割って、砕いて。とうとう、私は外界にその姿を顕現した。
「う……ああ!」
「ぎゃあっ!」
辺りにいた人間たちは悲鳴を上げ、逃げ去ってしまった。たったひとり、私を見つめ続ける人がいる。身なりは見窄らしくても、瞳は水晶のように綺麗だった。
「お、おお」
その人は、私の足元へ駆け寄っていく。
「ウーフ、会いたかった!」
ようやく私は、この世界に生を享けたのだと実感した。
ゼイン様、私も会いたかった。私と共に、世界を思うがままに創造り替えましょう。
たとえ世界が滅ぶことになっても、貴方がそれを望むなら。
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