大事にしました
その夜。
国王がイーサンの部屋を訪れた。
「で、どこまでがお前の計画だった?」
「いやだなあ父上。それではまるで、僕が黒幕ではありませんか」
唐突な質問に驚きもせず、イーサンは心外とばかりに言ってのけた。
「違うのか」
「全く違います。ジェイコブとアメリアをどうやって結婚させるか考えてはいましたけど、こんな結末になるのは予想外ですよ」
ただ、イーサンは思ったのだ。ライアンの側近たちの身分がジェイコブにあれば丸く収まったのに、と。
イーサンの母は側妃だが王妃と家柄で引けを取るわけではない。どちらが王妃になるか競い合い、王妃が勝っただけだ。優劣つけがたく、決めかねている間に適齢期になり、その頃にはほかの令息たちの婚約も決まり本人はすっかり高嶺の花。娘盛りのぎりぎりまで引っ張った責任を取る形で側妃になったのである。
イーサンが先に生まれたのは単に運だろう。王妃が後になったことにまずいと思ったのか、ライアンに続いて三人の子を王妃ともうけている。
側妃は賢い人だ。先程の断罪でも一言も発さずに成り行きを見守っていた。自分が口を挟めば王妃が感情的になると察してのことだった。
その反省も踏まえてイーサンはアメリアと、ライアンはゾーイと婚約を結んだのだが。
まさか他に好きな人がいるから嫌、とはっきり言う令嬢がいるとも、それを了承してしまうとも、婚約者選定メンバーは思いもしなかった。
「アメリア嬢を惚れさせようとは思わなかったのか」
「嫌だと言っている相手に? アメリアを大事にしろと言ったのは父上たちでしょう。嫌がることはできません」
「お前は……」
まったく軽い口調だった。国王はこれ以上聞くのが空恐ろしくなった。
「お前は、アメリア嬢が嫌いだったのか……?」
イーサンは目を見張ってみせた。
それから困ったように苦笑する。
「嫌いな相手を大事にはしませんし、そんな女性と部下を結婚させることもしませんよ」
でも、そうですね。
「会ったことのない相手と婚約させられたのは同じなのに、まるで被害者のように振る舞われるのは腹が立ちました」
イーサンも同じだった。親が決めた婚約者。そこに自分の意思はない。しかもイーサンはまだ恋を知らなかったのだ。
どちらが悲劇かなんて比べることなどできはしない。比べるべきでもないだろう。
「少しくらい困らせてやろう、くらいの気持ちは、まあ」
「困らせる?」
「アメリアのわがままで周囲が大変になる。公爵家だって慌てたでしょう?」
「それはたしかに」
「それくらいのつもりだったんです。なのにライアンは喧嘩を売ってきました。後には引けなくなりましたよね」
「待て。喧嘩を売ったとは何のことだ」
「僕の評判を落としてくれたでしょう」
「あれが?」
「臣下に降る予定の兄の評判を落とした。不要だと言ったも同然です」
あんなに馬鹿だと思わなかった。イーサンは吐き捨てた。
アメリアのことを抜きにしてもイーサンは臣籍降下するつもりだった。イーサンとライアンでは兄弟喧嘩なんて可愛いものでは済まない。政権争い、内乱だ。国が割れてしまう。
自分の人生に、足枷ばかりの国王なんて、やりたいやつにやらせればいい。イーサンはそう割り切っていた。むろん、弟を思う気持ちもある。そこは嘘ではないが、比重はそこまでではなかったのも事実だ。
「あれでは安心して仕えることはできません。それに、ライアンは問題解決能力は高いのに、自分で作戦立案となるとてんで駄目です。そのうち何か失敗すると踏んでいました。そしてその時僕が助けてやればいいと」
完璧なはずの策が失敗すればライアンも反省し、側近たちも責任を取らされる。
イーサンは手をまわした。わからないように遠くから、ゆっくりと。忍び寄る蛸の触手のように。
「一度失敗すればライアンも慎重さを覚えると思ったのですが……まさかこんな大きなことになるなんて。僕もまだまだです」
しゅんとなったイーサンに、国王は化け物でも見るかのような目になった。
悪気はなかったのだ。憎しみも、悪意すらない。ライアンの優秀さに嫉妬もしていなかった。
「アメリアの気持ちがわかりました。恋とはすごいですね。ゾーイを殺そうとしたライアンを助けようなんて気持ち、吹き飛びました」
「……ゾーイ姫のことは、本気か」
「はい」
はにかんで笑うイーサンに国王が盛大な溜息を吐き出した。
ゾーイのことは、心配が最初だった。隣国とはいえ親しい人が一人もいない国で、しかもライアンの婚約者である。他人に気を遣うことをしない――そうした気の遣いようを知らない弟だ、心配にもなる。大丈夫かな、あの子。肉体的に傷つけることはないだろうが、精神的にはどうだろうか。案の定、長旅をねぎらうでもなくやさしい言葉をかけることもなく、ライアンはゾーイを放置した。
「ライアンは嫌がらせのつもりもなかったでしょう。けれど見知らぬ国にたった一人で来た女の子ですよ、最低だと思います。帰られたら困りますけど帰りたいのなら助けてやろうとアメリアを差し向けました。帰るにしても、少しは心証を良くしておかないと」
当然の気遣いではある。ほんの少し親切にするだけでも印象に残るはずだ。イーサンの判断は間違ってはいない。しかしそれは、ライアンがやるべきだったのだ。
イーサンの心配をよそに、ゾーイは負けなかった。受けて立った。
「健気でいじらしくて……ゾーイの力になりたくなったのです。ライアンではなく僕に笑いかけてほしくなったのです」
心の奥底ではじけた感情を、イーサンはそっと抱きしめた。表には出せなかった。ゾーイはまだ、ライアンの婚約者だ。彼女への想いがイーサンを自重させた。
ゾーイの幸福な笑顔が見たい。できることならそれを自分の手で成し遂げたい。そう思ったからこそイーサンは自分は前に出ず、そっと支えることにしたのだ。
「だから……」
殺すのか。とは言えなかった。イーサンとライアン。どちらも国王にとって愛おしい我が子なのだ。
ゾーイの周辺はイーサンの息のかかった者で固められていた。ライアンを誘導することなど造作もなかっただろう。
ライアンの側近を失脚させるついでに消しておくか。そんな気分だったに違いない。王太子などおまけみたいなものだ。
「父上?」
「いや……」
国王は首を振った。息子を疑うのは止めよう。たとえ真実がどうだったとしても、起こってしまった事実は変わらないのだ。
「ならば、ゾーイ姫を大事にするのだぞ」
「もちろんです」
イーサンは大まじめにうなずいた。
ゾーイには強さがある。一人立ち向かう強さ、差し伸べられた手をためらわず掴む強さ。度胸と根性の良さもある。
一歩間違えれば可愛げのない女だ。君は一人でも大丈夫、などと言われて男に逃げられるタイプである。
ゾーイのそんなところがイーサンはたまらなく可愛い。いじらしい彼女が、安心して甘えられる男になりたいと思った。
「寄りかかられるのは大変ですから……。ゾーイとなら共に支えあっていけます」
アメリアにはその強さがなかった。彼女の力とはすなわち筆頭公爵家の力であり、アメリアはそれを正しく使うことができたが縛られてもいた。上手く利用することができなかったのである。
それでもアメリアには自分の心を偽らない純真さと、信念を貫き通す強さがある。周囲に流されてジェイコブをあきらめなかったアメリアをイーサンは尊敬していた。
「残念ながら大団円とはいきませんでしたが、僕もアメリアも好きな相手と結ばれることができてホッとしています」
アメリアがひそかに思いを寄せていたことに、イーサンは気づいていなかった。
イーサンとゾーイの婚約結び直しは慶事に醜聞で傷がつくのは、とタイミングが難しく、発表時期が検討されていた。しかし刑罰は速やかに執行されなければならない。
結局アメリアとジェイコブの事情を含め、全部丸ごと両国に発表されることになった。
なんのことはない、身分違いの恋に悩む令嬢と騎士を二人の友人である王子が助け、王子を亡き者にしようと企む弟王子が婚約者の姫を人質にした。王子は弟王子の陰謀を暴き、見事に姫を救出、王子を援護したのがかの騎士である――そういうよくある話なのである。悪は倒され王子と姫は結ばれる。めでたしめでたしのハッピーエンドだ。
これに国民は熱狂した。もとよりイーサンは平民や下位貴族からの人気が高かったのだ。そして彼らは勧善懲悪が大好きである。今まで弟より下だと馬鹿にされていた自分たちの王子がやってくれた。そんな気分に包まれた。
隣国はもっと顕著だった。国王も貴族たちもイーサンを評価し始めたところでこれである。眠れる獅子がついに目覚めた。我が国の姫を救うため、意を決して立ち上がってくれたのである。
ライアンと側近たちの処刑など、もはや歓喜の引き立て役にしかならなかった。
物語のような公式発表はもちろんプロパガンダである。民衆は喜んでこの事実を本に、歌に、演劇にと広めていった。
イーサンとゾーイは両国の歓呼に包まれて婚約、結婚した。
「ゾーイ、これからは二人でこの国と、君の国を大事にしていこう」
「はい、イーサン様! わたくしはあなたと出会えて幸せですわ!」
幸せそうに見つめあうイーサンとゾーイに、
「大事にしろと言ったが大事にしろとは言っておらんぞ」
国王がぽつりとぼやいたのだった。
アメリアはいわゆるドリカムみたいな関係を望んでました。イーサンはそれに乗っかった。ジェイコブはお嬢様にして想い人が王子に直訴してくれて感激、それが続いてます。
ライアンは典型的俺様王子。ゾーイは被害者になりそうなところをイーサンに救われた。
おかしいな、これではイーサンが一番の腹黒…こんなはずじゃなかったのに…。
「大事にしろ」と言われたので素直に行動したらおおごとになった、というオチが使いたかっただけ。