大事だった
王城内にある王族の居住区。親族が集まって会議を行う円卓の間に国王、王妃、側妃、イーサンとライアン。隣国の国王と宰相。そしてアメリアとその家族が集められた。関係者ということでライアンの側近たちもいるが、彼らに着席は許されず起立したままだ。
円卓の間は上下関係なく忌憚のない意見を述べることが許されている。ここで話し合われるのは親族関係――婚姻に関することが主である。
国同士が結んだ婚約を、身勝手に利用しようとしたライアンの断罪の場だ。
ライアンの策は何ひとつ成功しなかった。
ゾーイは毒を飲まなかったし、イーサンに毒入りワインが届くこともなかった。
何もかもはじめから、ライアンは詰んでいたのだ。
ライアンの側近、高位貴族の子息たちは何が起きたのか信じられないというように愕然としている。
ライアンの怪しい動きを察知し、ゾーイ姫毒殺未遂事件を未然に防いだのはイーサン。指示を受け調査しライアンの側近を取り押さえたのがジェイコブだ。言い逃れのできない、現行犯逮捕だった。粘り強く調査し辛抱強く待った。イーサンの薫陶のたまものであろう。
「陛下。この度の一件、ジェイコブの働きがなければ防ぐことは叶わなかったでしょう。勲一等であります。なにとぞご配慮を賜りますようお願い申し上げます」
イーサンが頭を下げた。ハッとしたライアンが叫んだ。
「父上、これは陰謀です! 真犯人はイーサンなのです!」
後ろ手に縛られ、縄を衛兵に繋がれた罪人の姿。捕らえられてから地下牢に入れられ風呂はおろかまともな着替えも与えられず、髪の手入れさえされていない。
みすぼらしい、晒し物にされてもなんとか挽回しようと冤罪を主張した。
「なんのためにだ?」
国王は怒りと呆れを通り越し、もはや軽蔑を隠すことも止めている。
「もちろん、自分が王になるためですっ。アメリアとそこの騎士をくっつけて恩に着せても後ろ盾を失う。だから代わりにゾーイを手に入れようと、邪魔な俺を排除するためにこのようなことを!」
お前が言うな。そう思ったのは国王だけではなかった。ゾーイの義父である隣国の国王、実父の公爵など失笑してしまっている。
「なるほど。ありえんな」
国王は一顧だにしなかった。あまりのそっけなさにライアンは一瞬何を言われたのか理解できなかった。
「なっ、なぜ……っ」
「イーサンはアメリア嬢との婚約を解消したのち、臣下に降ることが決まっていたからだ。……そもそもイーサンは、王位継承権を放棄したがっていた」
ライアンは虚を衝かれた顔になった。
隣国の国王と公爵もうなずいている。
ゾーイとの婚約話が浮上したのはゾーイがイーサンに惹かれたからというのもあるが、臣下に降ったイーサンをゾーイの婿にどうか、となったからだ。ライアンには改めて婚約者を選ぶ。王妃の素質を持つ令嬢は少ない、とはいえ未来の王妃となれば選りすぐりの令嬢の釣り書きが国内外から届くだろう。
国王が一つうなずき、イーサンに説明を求めた。
「王になることだけが国に尽くす手段とは考えません。自由に動けないぶん足枷も多い。ならば臣下として、国を支える一柱になりたいと陛下には申し上げておりました」
「その言や良し。王には王の、臣には臣の、民には民の。それぞれの役目がある。そこまでの覚悟があるのなら我が国の姫を任せても良かろう。両国の懸け橋となることを期待した」
隣国の王はにこやかにイーサンを見つめ、それに比べて……と言いたげにライアンを一瞥した。
「そちらの新国王がイーサン殿下を要らぬと言うのなら、我が国は宰相の位を空けてお待ちする。そう伝えてありました」
ゾーイの実父が補足した。彼は公爵であり同時に隣国の宰相でもある。国政と領政の同時進行は大変であった。権力と財力を両方持っていると聞けば嫉妬もされるだろうが、はっきりいって見合わない労働量である。家族と過ごす時間も取れないような激務を我が子に与えたいとは思えない。
公爵家をゾーイの兄に、宰相位は別の者にと彼は常々進言していた。ゾーイの婿であれば出身が他国であろうとかまわない。
隣国の長子継承とは、主が無能でも下の者が有能で支えていけばいい、実力主義の裏返しであった。身も蓋もないが、トップがお飾りでも政治が回る体制が整っているのだ。
「な、な、な……っ、なぜ……っ?」
まさかそこまでイーサンを高く買っているとは思わなかったライアンは蒼褪めた。
たとえライアンが王になろうとも、イーサンが手に入るなら王妃の椅子など手放しても安いものだ。そう言われたも同然であった。隣国はライアンの価値を認めていない。前評判だけは良かったが実際は使えない、期待外れでしかなかった。
「……お前はいつも、結果だけを求めてきた。イーサンの臣籍降下は検討中で、決定ではない。なぜ言わなかったのか? お前が言わせなかったのだ」
冷えた父の言葉にライアンがとうとう膝をついた。衛兵に縄を引かれて上半身を持ち上げられる。
イーサンの想いを踏みにじりよって……。父の呟きにライアンは兄を見た。
悲痛を湛えた瞳とぶつかった。
「……昔、ずっとちいさかった頃、約束したのを覚えているか?」
兄が言った。
「約束……?」
「王妃の子である自分が正当な王だ。ライアン、お前はそう言ったんだよ」
そう言ったんだよ。思い出しているのか繰り返したイーサンの目から涙が落ちた。
――だったら僕は、ライアンを守ってあげる。兄なんだから、弟を守るのはあたりまえだ。
「あ……」
うっすらと記憶がよみがえってきたライアンは呆然となる。
そうだ。そんなことがあった。何も知らず何のしがらみもなく、王になるのだと純粋に信じていた頃のこと。周囲から言われるままに自分こそ王だと信じ込んでいたあの頃。
ただの『兄弟』として、少なくない触れ合いがあったのだ。
「ライアン、僕はずっと、ライアンこそ王にふさわしいと思っていた」
「イーサン」
「父上、ライアンには力があります。時に非情な決断を下せる力。孤独に耐えうる力が」
僕にはそれがない。父の諫めにイーサンは首を振った。ぽろり。まつ毛で涙を弾き飛ばした。
ライアンが即決即断を求めるなら、自分が代わりに悩めばいい。独善的なところは自分が諫めればいい。人は間違えるが王に間違いは許されない。王が間違える前に正すのが臣下というものである。
イーサンはずっと、ライアンをフォローしてきた。アメリアとジェイコブの話はむしろ好都合とさえ思ったほどだ。
「二人で……この国を世界一素晴らしい国にしようと、……約束だった……っ」
「イーサン……兄上……」
こぶしを握り締めて泣くイーサンをライアンは見上げるしかできなかった。子供の約束をずっと律義に守り続けてくれていたのだ。いつからだろう。いつ、忘れてしまったのだろう。どうして兄を疑い、憎しみを抱くようになってしまったのだろう。
「……」
兄弟を見守る、アメリアの心境こそ複雑だった。
今回の件でジェイコブの出世は間違いない。次期国王の信頼篤い側近。最低でも爵位が与えられ、イーサンが勲一等と言ったことで年金付きの勲章も出るかも知れなかった。勲章は一代限りでも名誉と爵位は残る。アメリアとの結婚に支障なく、子供に継がせることが可能になった。
むしろイーサンがここまでしたのに認めなければ筆頭公爵家に傷がつく。強欲で懐の狭い貴族と誹られるだろう。認めるよりほかに道はなかった。
アメリアのために、アメリアの願いを叶えた。アメリアとジェイコブが結ばれる道をイーサンは作ってしまった。アメリアを大事にしてくれた。
今さらイーサンと結婚したいとは、口が裂けても言えなかった。
人の心が変わることを、あの頃のアメリアは知らなかった。いや、ジェイコブのことは好きだ。自分のために尽くす男を愛さずにはいられない。けれどもそれは、イーサンも同じだった。
わたくしを愛しているのではなかったの。
そう問い詰めたくなるのをアメリアは堪える。二人の男の間で揺れ動くときめきを楽しんでいた罰が当たったのだろうか。尽くされ大事にされることに慣れて、どちらかを選ぶことができなかった。このまま三人でずっと、なんて都合の良い夢から覚める時が来たのだ。
「アメリア? どうした」
涙で視界がにじんだ。
わかっている。身勝手な失恋だ。失恋だと認めることもできない失恋だ。
「嬉しくて……。イーサン様、わたくしを大事にしてくださってありがとうございました」
「約束だからね」
父に背中を撫でられうれし涙を流す少女。感極まったのか彼女の想い人も片手で顔を覆っている。
国王は嘆息した。
幸か不幸か、爵位にも領地にもあてがある。勲章と年金の捻出に困ることもない。
ライアンの側近たちが持っているものだ。彼ら自身、爵位持ちの貴族である。今回の実行犯となったことで処罰は決定だ。まず爵位の返還と財産の没収は免れない。高位貴族だった親も連座で降格は確実だった。