3-2.
私は必死に男の後についていった。とにかく歩き続けることだけに集中しないと、いろいろ保ちそうにない。
たまに視線を上げて、男の背を確認する。
彼は相変わらず軽い足取りだった。そればかりか楽しそうでさえあった。歩くの好きなんだ……って言うのが疲れ切った私の感想。
ソイツが「そろそろ休むか」と明るい声で言った頃には、太陽は空の一番高いところを通り過ぎようとしていた。
「やっと……」
つい、本音が声にでる。
私は腰掛けるのに良さそうな木の根元を見つけると、そこにへたり込んだ。
「疲れたか?」
「……」
「まだまだ、だからな」
ため息をつく私に、大きな木の実をくり抜いて水筒にしたものが渡された。
早速飲むと、さわやかな香りとほんのり甘い液体が口の中に広がった。ハーブで香りをつけて、たぶん、ハチミツが少し入っている。美味しくて疲れた体に染み渡るようで、ごくごく飲みたくなってしまう。
「あんまり飲み過ぎるなよ」
そう言う彼は革製の入れ物から水を飲んでいた。あれ、水筒が違うんだ、となんとなくぼんやり見ていると言われた。
「こっちはただの水だ。変えるか?」
「いえ、いいです」
私は慌てて答えた。
荷物は全部、彼が持っていた。逃亡防止かな? ともちらっと思ったけど、たぶん、私の負担を軽くするためだ。
続けて朝と同じ食事が出されて、黙って食べる。疲れたせいか食欲が落ちていて、美味しく感じない。
「疲れてるな」
「……」
「まあ、そうだよな。お姫様だもんな」
あら、知っていたのね、と思ったが声に出すのも面倒。彼は少し休憩時間をとる、と言った。
私は食べ終わるとふくらはぎを揉んでみた。少しは楽にならないかな。
「痛むのか?」
「凄く痛いってほどではないけれど……」
「辛くなったらすぐ言えよ」
いや、少なくとも精神的にはもう辛いですが?
「無理すると後々大変だからな、歩けなくなってからだと遅い」
いや、もう結構、無理してますが?
黒男はこちらの心の声が聞こえたかのように続けた。どこか笑いを含んだ声で。
「もう、十分無理してると言いたそうな顔してるな」
「……ねえ、あなた」
「あなたは、止めろ。気持ち悪い」
「なんて呼べば?」
「カルでいい」
「ではカル、さっきも言いましたけど、まず先に、その言葉使いなんとかならないかしら? いくら王の従兄弟とはいえ、あまりじゃなくて?」
そうなのだ、この男、従兄弟らしい。そう言ってヴィデル陛下が謝っていた。なんで陛下が謝って、コイツがなんとも思わないのかわからない。
「プライドの高いお姫様だな」
普通だと思う。
「馬鹿にされる事を楽しむ人はいないと思うわ」
「別に馬鹿にはしてない」
「そうなの?」
「ああ」
「じゃあ、ただ単に失礼なんだ」
「かもな。でも、あんたのとこの王様も似たようなもんだろ? 」
だから余計にイヤなんだけど。
「兄を……我が国の王のこと知ってるの?」
「帝都で一緒だった。ヴィデル王もな」
「ああ……」
彼が口にしたのは、この国の南にある広大なドーテリア帝国のことだ。南海に面したこの広大な帝国とその周りの小国でこの大陸の大半は成り立っている。
帝国は周りの国に絶大な影響力を持っていた。中にはほとんど属国扱いの国も存在する。そんな帝国の御機嫌取りにいつの頃からか、周辺国の多くが自分の国の王族や貴族の子弟を留学させるようになった。
何より帝国に集まる技術力、知識、人材は他と比べ物にならず、学びに行く価値は大きかったのだ。
そんなわけで兄も少年時代に行っている。その時の留学生仲間ということなのだろう。
「兄の事知った上でこの結婚に同意したのね。騙したのかと思ってたのに」
「何でだ? そんなヘンな話もなかったと聞いたぞ」
「……この話をなんて言って持ち込んだの? あの人」
「なんだったかな。……塔で育った正真正銘の深層の姫がいるんだが……」
うわー、やっぱりちょっと騙してる。
「とやかく言わずもらえって」
「……よく、承諾したものね。懐の深い方だわ、陛下は」
「そうか? 面白そうじゃん?」
ぜんっぜん面白くない。その思いが顔に出たらしい。
「わかりやすいな、あんた。アイツの妹とは思えん。さて、そろそろ立て。行くぞ」
しょうがなく立ち上がってカルの後について再び歩き出した。
歩きながら思う。
別に顔に出やすい方ではないはずだ。この男といて調子が狂っているのか、ただ単に疲れているせいか……。
「……私もあんた呼ばわりはしてほしくないのだけれど」
「じゃあ、なんて呼ぶ?」
「えっと……普通にリリアス姫とか……」
「だから、呼べるかよ、この状況で。愛称とかないのか?」
「ない」
そんなもの、なかった。
「ふーん、だったらまた考えておく。なんか、面倒だな、おまえ」
だからあ……。
「ま、いいさ。とにかく今は歩け」
ただただ森の中を歩き続けたが、まだまだ先は見えなくて、そのうち歩き続ける事に飽きてきた。
疲れたせいとはわかっているが、前を歩くカルが、何かとキョロキョロしているのが気になってしょうがなく、ついに言ってみた。
「ねえ、何でそんなに落ち着きないの?」
「は? 何が?」
「だって何だかキョロキョロしてるじゃない。追手でも気にしてるの?」
彼は「別に。何かないかと思っているだけだ」と、言ったと思ったら「例えばさ」と横にそれて森の奥へ入って行ってしまった。
呆気に取られてそのまま待っていると、そうかからず戻ってきた。手に何かを持って。
「ほら」
手渡されたのはちょうど片手くらいの赤黄色の果実だった。
カルが自分の分に皮ごと齧り付くのを見て、私も真似してそっと口にする。
甘酸っぱい果汁が口の中に広がった。
「美味しい……」
「だろ?」
そう言ってカルは残った種を投げ捨てる。
「今の季節はいいよな。キノコも今年は豊作みたいだし、こんな状況じゃなければ採ってくるんだけどな」
なんなのこの人。楽しそうだし。
「もっと食うなら採ってくるぞ」
「いえ、いいです。おいしいけど」
言って、私も種を捨てる。
「実が嫌ならクマかイノシシをとってやろうか」
「は⁈」
「冗談だ」
カルが明るい声で笑う。
なんなの! 本当に……。
私は軽くため息をついた。
つくづくなんで私をこちらの道に連れてきたのかと、笑っている彼の表情のない仮面を見ながら思う。正直、身の危険と言われても切迫した感じがしなくてよくわからない。
それをそのまま言葉にしたら、彼は私を見て言った。
「……だってあんたさぁ、この国の王妃になりにきたんだろう?」
「そうね」
「それなら、この国の事を少しは知っておいてもいいだろう? 馬車の中から外を見ていても何もわかりはしないさ。この森がこの国の始まりだ。この美しさに初代は惚れてここに留まったのだから」
そう言って、カルは森に目を向けた。
そう、遥か昔、まだ魔法が豊かに満ちていた頃、南の海からやってきた兄弟がここに国を作った。弟がこの国を。兄はもう少し北に進み、私の母国を作った。だから二つは兄弟国だ。
そして確かにこの森は……。
色づいた木々が秋の陽に輝いていた。鳥が軽やかに鳴いている。耳をすますと、どこかで実が弾ける音がしてきそうだった。
優しい風が頬を撫でていくのに気づく。カルの足元で落ち葉が楽しそうにカサカサと風に揺れていた。
「確かにとても美しい森ね」
不思議なくらいに。
「だろ?」
そう言った声は落ち着いていた。その姿を見ながら、ああ、この国を愛している人なのだな、と思う。羨ましい、と心の声がする。
「というわけだ。今夜泊まる所もいいぞ」
いきなり歩き出したカルに慌てて追いつきながら私は言った。
「野宿じゃないの?」
「そうしようかと思ってたがやめた。もう少し違う所に連れて行ってやる。ちょっと遠回りになるが」
「街道にでるの?」
「まさか。まあ、楽しみにしとけよ。ただし、さっさと歩かないと辿り着けないぞ」
確かに少し早歩きになっていた。
「ベッドはある?」
「たぶん」
その言葉で歩く元気が出てくる。
私は半ば小走りで後ろを歩きながら、どうしても聞いておきたい事をもう一つ口にする。
「ねえ、もう一つ聞いてもいいかしら?」
「聞きたがりのガキみたいだな。なんだ?」
「あなた」
「それ、気持ち悪い」
「……カルは何で仮面をとらないの? 次期王妃にも素顔を隠し続ける理由があるの? 陛下も仮面をつけていらっしゃるけど、関係が?」
何か理由があるとしても素直に教えてもらえる気はしなかったが、聞くぐらいはいいだろう。
カルは歩きを止めずに言った。
「言ってなかったか?」
「何も?」
「この仮面、とれないんだ。呪いがかかってる」
その声は相も変わらず明るい。