20. 最終話 ~誓い~
「どうかしましたか?」
エイスが開け放たれた扉から入ってきた者たちに言った。人数は十数名だろうか、騎士らしい服装であったが礼装でも近衛兵のものでもなかった。彼らの後ろで再び扉が閉まる。
「おそれながら申し上げる。この婚姻を正しきものにするために参った次第」
先頭で入ってきた者が述べたその言葉に、つい私は言ってしまった。
「なんで? この上もなく間違っていないわよ?」
横でカルが吹き出した。めちゃくちゃ笑ってる。そこまで変なこと言ったかしら。
だが、その笑いが合図になったように招かざる者たちが一斉に剣を抜いた。呼応して近衛長を筆頭に近衛たちも剣を抜く。カルが私を後ろに隠すように立ち位置を変える。その前にはエイスとヴィルマが剣を構えた。
意味をなさない叫びとともに目の前で戦闘が始まった。森の戦いより近いし狭い。ガチンというような金属音が高い天井に反響する。私は不安を覚えてカルを見上げた。だが彼は剣も抜かないまま笑みさえ浮かべて戦いを眺めている。
人数は敵のほうが多く近衛兵の剣をすり抜けた者がこちらに向かって来ようとする。半ば無意識にカルのマントに手を伸ばそうとしてしまったその時、バンという大きな音が響いた。礼拝室に司祭たちが慌てふためいて逃げ込むのが見えた。そしてその扉が閉まる前に、中から何人もの兵が出てきた。彼らは剣を抜いており、その矛先を……敵側に向けた。
あらかじめ隠れていた近衛兵たちだった。
カルが視線を私に向けた。
「大丈夫か?」
「うん。……あの、でも、貴方は剣を抜かないの?」
正直言うと、ちょっと不安だった。何かが起こるかもしれないと昨晩聞かされてはいたけれど、やはり穏やかな気持ちではいられない。
「これだけ兵がいれば大丈夫だろう。俺が剣を抜くとあいつらを信用してないみたいだろ?」
そう言って再び視線を戦っている兵たちに向けた。しかし戦いはこちら側が圧倒している訳ではないようだった。むしろもたついているように見える。大丈夫とは思うけど……大丈夫よね?
その時、開け放たれた窓から突風が舞い込んだ。咄嗟に目を瞑ってしまう。私はまた精霊を自分が呼んだのかと一瞬にして怖くなる。が、目を開けた時そこにいたのは風の精霊たちではなく、白い毛をした巨大な獣、だった。
それは入ってくると部屋の中をぐるっと見渡した。敵も味方も動きが止まる。獣は私たちのほうを見るとのっそりと近づいてきた。
白い獣は猫に似ていた。ふさふさしたまっ白い毛、立派なヒゲと、長くやはりふさふさした尾、ちょっとつり上がった目。だが手足は猫よりずっと太くひたすら大きい。いつか本で見た虎という生き物に似ているが、多分それより大きいだろう。
私は驚いてしまって声も出ない。そんな私の横でカルはどこか面白くなさげな表情で獣を見やった。
「お前、何しに来たんだ、今頃」
「祝いに来た者に失礼な事を言うものだな、王というものは。それにしても随分騒がしい結婚式だな」
喋った⁉︎
確かにその獣が話してる。口元がもぐもぐしてたし、低い声がそっちからしたし! え、何で? 人間が隠れているの??
もちろんそんな訳はなかった。巨大な獣は私を見ると、まるで猫のように私の前に両足を揃えて座った。そうすると私の頭がちょうど獣の頭の下に入るぐらい。……大きい。
「こちらが花嫁か。なるほど、なかなか可愛らしい」
「触るなよ。あと来るのが遅いんだよ。森の中をずっとうろうろしてたくせに」
旧知の中のように語る二人というか一人と一匹を交互に見てしまう。後ろでは、早く捕縛しろという近衛長の声をきっかけに再び剣の音が激しくなる。なんだかもう、起こっている事についていけないんですけど。
「行ったさ。来なかったのはお前だろう」
「何のことだ」
「東の城壁の前を通りやすくしておいてやったのに来なかっただろう」
「ああ、あれな。そうだったみたいだな」
ちょっとよくわからないけど、東? あれ、私が向かって引き返したほうじゃない? ってつまり、あそこに、この人……猫みたいなこの人……じゃないけど……が居てくれたってこと? ああ……。
「あの、私のせいね、引き返してしまったから……。ごめんなさい」
「いや、リリアスのせいじゃない。知らなかったんだし、こいつがその場の思いつきで動くから」
「なぜワシがお前の命令を聞かねばならない?」
「命令じゃないさ、危ない時は来るって契約だろ?」
「守っただろう、危険も何度か知らせてやった」
そう獣はつまらなそうに言うとぐわっと口を開けてあくびした。いかにも獣という匂いがするのかと身構えたが、それほどでもなかった。ただ牙はやはり鋭く、あれにやられたらひとたまりもないと思わせた。
その時、一人の敵兵が私のほうに剣を振りかざして近づいて来るのが目に入った。カルが剣の柄に手をかける、が、それを抜く前に獣が白い尾を振った。次の瞬間、ドンっという重い音がした。
何の音? 何が起こったの?
訳がわからないまま辺りを見回すと、壁に赤いシミをつけて男がぐったり倒れていた。
「あ、お前血を流すなよ、これから式なんだぞ。まったく、こっちは気を使ってるってのに」
あ、そうだったんだ……。そこに気を使ってもらうというのも複雑な気持ちだけど。
「陛下!」
後ろからエイスがカルを呼んだ。争いはほぼ収まったようだった。カルは私と一人、というか一匹というか、を残して呼ばれたほうへ向かう。
獣は私のほうに鼻先を伸ばすと、くんくんと匂いを嗅いだ。私は身を固くしながらされるがままになっていた。
「ふむ、なるほど。ここのところ風が喧しいのはそなたのせいか」
そう呟くと私の顔をべろっと舐めた。多分そっとしてくれたと思うんだけど、私はその勢いで倒れそうで、足に力を入れなくてはならなかった。
獣は目を細めて、にっとばかりに笑うと、というか少なくともそう見える表情をすると、行儀よく足を揃えて座りなおした。頭を少し上げていて喉元の白い毛がちょうど目の前にきた。
やだ、どうしよう。すっごくふわふわなんだけど。
私は我慢できなくて、そっと手を伸ばす。もっふもふの喉元を撫でると気持ち良さそうに目を瞑った。私が調子にのってますます撫でると、獣は即すように首を傾ける。
やだ、何これ、かわいい。
「あ、お前何やってんだよ、触るなって言っただろ!」
カルが言いながら近づいてきた頃には、私はすっかり慣れて獣の白い毛に顔を埋めて抱きついていた。
「俺の花嫁だってのに。リリアスも離れろ」
カルが私を引き剥がす。
「だって可愛いいんだもん」
「可愛いのは見かけだけだからな?」
尻尾をぱたぱたしている姿は、慣れてしまうと恐いというより可愛いし、あと毛皮がふわふわで気持ちいいんだけどな。
「それが、例の幻獣ですか」
争いが落ち着く中、ディキールが近づいて話しかけて来た。
「幻というわりには存在感ありすぎるがな。まあ、まともな生き物ではないな」
「酷い言い草だ。人間たちが短命なだけだというのに」
一人と一匹が応酬している。獣がいつから存在しているのかわからないが、確かに私も今のいままでこの古の生き物がまだいるとは思っていなかった。
「私も初めてお目にかかりました。話には聞いていましたが。姫さま、大丈夫でしたか?」
ヴィルマが剣を収めてやってきた。教会の重たい扉は開かれ、捕らえられた敵兵と怪我をした近衛兵が外に連れ出され始めている。
「私は大丈夫よ。ヴィルマは平気?」
聞いてはみたが「大丈夫」という返事を待つまでもなかった。彼女は衣服を乱してさえいない。やはり、この頼りになる人がいなくなるのは、不安だし寂しいわ。
「この獣といい、争いといい、王妃様にはご同情とともにお詫びを申し上げます」
ディキールのその言葉に、同情というのもおかしなものだと思ったが、一応心配してくれた事への礼を述べておく。
「せっかくの結婚式が散々だとは流石に俺も思ってはいるぞ。うん」
ディキールが下がると、カルが私のほうを向いてなんだかよくわからない感想を述べた。
「それって悪かったって言うことなのかしら」「うーん、そうは思うがなんともし難い。どれも俺は招待した覚えはないしなあ」
確かにそれはそうなんでしょうけど。あ、でも白い獣に出会えたのは、むしろ楽しいし嬉しいわ。他はともかく。
そう伝えようとした時、カルの後ろで何かが光るのを目の端で捉えた。それが何かはっきりとはわからなかったが、考えるより早く危険を感じて悲鳴をあげそうになる。そして同時に隣でヴィルマが剣を抜いたのを感じた。
だがそのどれよりも早く反応したのは背後を狙われたはずのカル自身だった。
私が何が起きたか理解した時、彼の足元には短い剣が転がっており、カル自身の剣は抜き放たれて、その剣先はディキールに向かっていた。
「流石ですな」
剣を向けられたままディキールがカルに言った。
「まあな」
二人とも落ち着いている。
「兵が配置されていたことも気づきませんでした。たいしたものだ」
「どうも。相手が勝利に浮かれている時が一番の狙い目だと、お前に教わったからな」
ディキールは微笑んだ。
「いつから私だとわかりましたか?」
「俺の行動がわかる立場なんて限られる。まして考えから行動が読めるヤツなんて殆どいない」
「でしょうな」
「わかってて何故やめなかった」
「何故やったのか、とはお聞きにならないのですか?」
カルは真っ直ぐディキールを見ながら言葉をつづける。
「そんな事聞かなくてもわかっている。お前は元から俺を兄上の補佐役になるように教育していた。態度には出さなかったが、それが覆った時はさぞがっかりした事だろうよ。だが、今回はやり過ぎだ。何故わざわざ引っかかった?」
「立会人なんていう茶番じみた罠に、ですか?」
その言葉を受けてエイスが口を挟んだ。
「罠にするか救済にするか、あなたは選べたはずです」
「救済など始めからないのですよ」
ディキールは始終落ち着いて穏やかでさえあった。
「エイス殿」
ディキールがエイスに顔を向けた。
「何か」
「貴方は賢いし、よい気質をお持ちだ。だが、まだ若い。その事を今暫くはお忘れなきよう」
「……覚えておきます」
ディキールは何処か楽しげにさえ見えた。
「では、参りましょうか。ここで首を刎ねる気はないでしょうから。縄をかけますか? エイス殿」
「必要ないでしょう。……後ほど別室でお聞きしたい事がいろいろあります、暫し近衛がお相手致します」
そうエイスが答えた。カルは己の剣を鞘に収めた。
「ディキール、心配しなくていいぞ。お前の家族や家督には手を出さない。葬式や墓を建てることも望めば許す」
言われた男は初めて険しい顔をした。
「敵に甘くするなと述べてきた筈ですが。覚えておいでではないのですかな」
「覚えているさ。心配しなくとも数日後にはお前は息せぬ体で裏門を運ばれるだろう」
カルの口元が笑いに歪む。
「では、何故」
「適切な褒賞の必要性を説いたのもお前だ、忘れたか?」
「褒賞?」
「そうだ。これは、お前が最後にした事ではなく今までにした事に対してだ。お前は良き師だった、教わった事は今もまだ俺の中にある。俺はその事に報いねばならない」
カルの表情が緩む。
「……俺はあんたが好きだったよ、先生」
「…………」
沈黙を伴いながらディキールの顔がゆっくりと歪んだ。そして力が抜けたように膝を折ると、苦しげな表情の下から呻くように呟いた。
「……それでも……それでも、貴方では駄目なのです……」
カルは黙ってかつて師であった者を見た。それから不意に視線を外すと、近衛隊長を呼んだ。
「リドゥエス!」
「ここに」
下がった所で待っていたが前に出る。カルは冷静な声で言った。
「連れて行け」
「かしこまりました」
リドゥエスがディキールの腕を掴んで立たせる。彼は抵抗することもなく、疲れ切ったような表情のまま歩き出した。
と、私の前に来るとディキールは立ち止まった。ヴィルマが抜いたままだった剣を持つ手に力を入れるのが感じとれた。だが、私は彼が自分に何かしてくるとは少しも思えなかった。
私は聞いた。カルは分かると言っても、私にはわからなかったから。
「何故なのですか」
ディキールはそれには答えずに、私を穏やかな瞳で見つめた。
「ラヴェイラの美しき姫よ、どうか陛下をよろしくお願い致します」
そう言って胸に手をあて頭を下げる。
私はその姿に、答えのないという答えもあるのだということを知る。
「……どうぞ良い航海を」
私の言葉に彼は優しげな微笑みで返し、静かに連れ去られて行った。
「さあて、と。式やらないとなあ……」
広間内が落ち着きをみせると、カルは怠そうに呟いた。そして私の視線に気がつくと笑顔をみせた。
「立会人がいなくなっちまった、どうする? 居なくてもいいけど」
「いなくてもいいなら別に……」
「うん。手続きとしては付き添い人がいればいい筈だ。あ、そうだ、お前立ち会わない?」
カルがそう言った相手は人ではなく獣だった。
「やめておこう。お前たちの神とは相性が悪そうだ」
「そうか、残念だ」
「人間は面倒が多いな」
「お前に言われたくはないよ」
カルは獣の首の上に手を置いて撫でた。
「……考えてみればお前が一番適任なんだけどなあ」
そう言って白い柔らかな毛に顔を埋める。笑顔を浮かべながら。……笑顔ではあった、けれども、でも。
私はなんだか急に込み上げてくるものがあった。泣くつもりはない。私は本当のところ当事者でも何でもないし、泣いても心配をかけるだけ。ああ、でも。
貴方の周りから誰かがいなくなっても私がいるわ。そのために今ここにいるのだから。
そして、ふと思った。教会での結婚の誓いも必要でしょうけれど、その前に誓ったって悪くはないわよね? そうよ、ここには全てがある。
神は扉の向こうだけど御坐すし、大切で大好きな付き添い人もいるし、誰よりも適任と思われている立会人……人じゃないけど、もいる。窓は開かれ風が入り光が煌めいていて、そして貴方が、いる。
何一つ欠けてなんかいない。だから、誓おう。決められた言葉ではなく、私の思いのままに、私の言葉で。
「カル」
「ああ、悪い、礼拝室の扉を開けさせるよ」
「そうね、でもその前に貴方に言いたい事があるの」
「え、何だよ」
「この場で、皆がいる前で誓いたいの」
「リリアス?」
訝しがる彼の前で心をこめて膝を折る。
「我が夫になる者にして王である貴方に、私という存在の全てでもって、生涯の誠実と愛を誓います。貴方は私のただ一人の夫であり王になるでしょう」
カルは一瞬驚いた表情をしたが、すぐに落ち着いた声で私に言った。
「では、私も誓おう。果ての海のその先まで共にあることを。我が妃よ」
風が吹いた。何処からか運ばれてきた甘い香りと花びらが窓から入ってくる。
「風たちの祝福だ」
白い幻獣が言う。
「おめでとうございます、リリアス様」
「おめでとうございます、陛下」
付き添い人からの祝いの言葉に合わせるかのように、教会の始まりの鐘が鳴り響き礼拝室への扉が開く。
「さあ、行こう、リリ」
カルが満面の笑みで私に手を差し伸べる。
「はい!」
私は心からの笑顔とともに、愛しい人の手をとった。
〈 了 〉




