19. 結婚式
「とてもお美しいですわ、リリアス様」
支度を手伝ってくれている侍女の一人が言う。
「ありがとう」
椅子に座っている私の前の大きな姿見を見ながら素直に礼を口にする。自分でも今日の自分はそれなりに綺麗ではないかと思う。
カルは約束通り腕のいい髪結を手配してくれていた。肩下の長さの髪は丁寧に編み込まれ頭に巻き付けられて、短さを目立たせないために後頭部の耳から首元に沿って花々がつけられている。白の花を基調に可愛らしいピンク色の小花と透き通るような爽やかな緑の葉が飾られ、合間に七色の輝石が散らされていた。
「では、こちらを。失礼いたします」
その言葉とともに最後の仕上げとばかりにヴェールがかけられた。腰下まである柔らかな白色の総レースのヴェール。頭部全体を覆われ、繊細な刺繍の花びらが顔の淵に細やかに美しい。薄いヴェールの下の透ける花とストロベリーブロンドの髪が色を添えている。
花嫁衣装はほどよく体に沿っており、胸のすぐ下で切り替えられ足元まで真っ直ぐに落ちるラインが美しい。色はやはり柔らかな白色で、そこに艶のある白い糸で刺繍がほどこされ鈍く光る白色の石が縫い付けられており、派手さには欠けるかもしれないが大変に美しいものだった。この刺繍の技術はこの国の地方に伝統的に伝わるものだ。その技術の高さと意匠の美しさから国外から求める声も高い。
それにしても白ばかり。白い布そのものも貴重なので、町の花嫁の衣装はもっと色がある。王家に嫁ぐ者の特権ではあるが、その色が示すのは純潔だ。
鎖骨が見える程度に程よく開いた胸元と、耳元を飾るのはやはり白い石たち。銀を使って繋げられている。こちらは兄様が送って下さったもの。
城に着いてみれば兄の指示で、身の回りの愛用品はもちろん、何点かの宝飾品が送られてきていた。何も持たずに嫁げ、は、旅の荷物になるからの意味だったわけで。
おまけに指輪やイヤリングが何点もある。これらはいざと言う時に私を助けるだろう。大仰なネックレスよりお金に替えやすいし、人にも差し上げやすいから。
……まったく、本当に兄様は意地悪。わざわざ黙っておいて人をヤキモキさせるのだもの。おかげでお礼も言えやしない。
そんな事を考えていると部屋の扉が叩かれた。
「そろそろお時間ですが、御支度はお済みですか?」
「ヴィルマ」
入ってきたのはヴィルマだった。彼女はドレスではなく騎士の礼装を纏っていた。
「本日、付き添い人を務めさせて頂きます。よろしくお願い致します」
そう言って頭を下げる彼女の前に、私は立つと言った。
「こちらこそよろしくお願いします」
ヴィルマは顔を上げると目を細めた。
「とても美しくあらせられます、姫様」
「ありがとう、ヴィルマもとってもかっこいいわ」
お世辞ではない。金糸で装飾された白と紺を重ねた衣装、マントは深い紺。下げた剣もいつものではなく石で装飾された鞘に収まっている。
全てが彼女の中性的な凛とした美しさを引き立たせていて、ドキドキしちゃうくらい。
「花婿よりかっこいいわよ、きっと。どうしましょう」
私が軽口を言うと珍しくヴィルマも返してきた。
「では、花婿から奪いましょうか?」
「あら、手に手をとって逃避行? 素敵」
「姫様がお望みなら何処までも参りましょう」
その言葉の僅かな本意を私は気づかないふりで笑った。
「ドキドキするわね。でもきっとすぐに追手がかかるわよ」
「地の果てまで追われるのは御免です。あの方はああ見えてしつこいですから」
そう言ってヴィルマも笑った。
「では参りましょうか。王がお待ちです」
「はい」
私は差し出された腕にそっと手を置いた。
「今更だけど、ヴィルマはカルが王だって知ってたのよね」
私は王座の間に向かって歩きながら聞いた。謁見にも使われるその場所に王側は待っている。私とヴィルマの後ろからは着飾った侍女たちがついてきていた。
「はい。むしろ姫様が知らなかったほうが驚きなのですが」
「そうよね」
私も落ち着いて振り返ってみれば気づく機会はいくらもあったな、とは思う。でも、そんなこと考えもしなかった。思い込みって怖い。
「とはいえ私も以前の学生だった頃の気持ちが出てくることがありますし、申し訳ないのですが」
そう言いつつ、多分それほど気にしてないのだと思う。ヴィルマは良くも悪くも自分の国の主君が絶対だってのもあるし、何より……
「そうだとしても当人もきっと気にしていないと思うわ」
そう言いながら私は彼のことを思ってつい顔が綻んでしまう。
「だって、全然王様らしくないもの、あの人。同じ王でも兄様とは全然違うわ」
そのことを嫌だと思う気持ちは微塵もない。彼がどんな立場の人か関係なく好きになったのだも……の……、って、え、私、なんか恥ずかしくない?
そんなことを思っている横でヴィルマの誇らしげな声がする。
「彼の方は生まれながらに、王になる者でいらっしゃいますから」
「えっ? あ、ああ、兄様ね。……そうね、あの人は……」
私は冷たいほどに美しい兄の横顔を思い出す。表情の変わらなさを、時折見せる戦略的な笑顔を、何も言わずにただ私に必要と思うものを用意する彼を。
今度いつお会いできるかしら。いいえ、お会いできることがこの先あるのかしら。
胸の奥が静かに青く染まる。目の前に開ける喜びの日はまた、別れの日でもある。
「ヴィルマもそろそろ帰ってしまうのでしょう?」
私は隣を歩く護衛にして唯一の友人でもある彼女の顔を見上げる。
「そうですね、二、三日中には。陛下へのご報告もありますし」
「そうね……」
彼女をここにこれ以上留めてもしょうがない事は分かっている。いるけれど。
「姫様が私をお呼びの時はいつでも参ります。お約束します」
そう、私を見下ろしながら彼女は優しく微笑んだ。
そうね、今生の別れというわけではないわね、きっと。
「兄様に言っておいてね、お陰様で無事に花嫁になったって。ちょっとひどい目にあったけどって」
「はい。セラフィーナもかくやという美しい花嫁だったとお伝えいたします」
「大袈裟よ、ヴィルマ」
私は笑ったが彼女は笑わない。
「少しもそんなことは。……それと、お幸せそうだったとお伝えいたします」
「……ありがとう」
私が、幸せ、なんて。ついこの前まで時が止まったような部屋に一人いたというのに。
「……兄様にとても感謝していたと伝えてくれる?」
「かしこまりました」
「それから……愛しているって。ずっと変わらずこれからも。そう言っていたと」
私のたった一人の大事な兄様。
「はい、お伝えいたします」
ヴィルマは静かに答えた。
胸の奥の細やかなざわめきは、近づいてきた大きなざわめきにかき消された。王座の間では警護にあたる近衛兵や教会の司祭などがそれぞれの体で待ち構えていた。
カルは王座ではなく、窓際でエイスと話していた。王側の付き添い人を務めるエイスはヴイルマとよく似た礼装だった。ただ、こちらは明るく鮮やかな青を基調とし、銀糸で刺繍された衣装とマントだった。白金色の髪を持った彼にとても似合っている。
王であるカルは深い緑を基調とした衣装だった。金と赤の刺繍で彩られていて、そして貴石で彩られた鞘に入った剣も身につけていた。上衣の下は白でそこにも金糸が施されているのが見える。その全てを覆うような、たっぷりとした布で作られた重さを感じさせるマントは無地の緑だった。そして頭上には金の王冠。同じ幅で作られ輪になっているもので樹々の意匠と宝石で彩られている。森から始まったと彼自身が言っていたこの国の王に相応しい。彼自身がこの国を体現しているようだった。
そして私も教会での結婚式が終わった段階で、王自らの手で王妃の冠が与えられる。それを思うと緊張と誇らしさで胸がいっぱいになるのだった。
それはそうと、なんていうか、初めて黒以外のもの着ているところ見たわ。まるで王様みたい。いえ、王なのだけど、つまりその、似合うわ、うん……。
カルが私に気づいてこちらに向かってくる。私がヴィルマを見上げると彼女は小さく頷いた。
私は彼女の腕から手を離すと彼に向かって歩き出す。後ろでヴィルマが礼をしながら見送ってくれているのがわかる。カルは途中まで来ると立ち止まって笑顔で私を迎えた。
私は彼の前まで来ると膝を軽く折って頭を下げた。
「ああ、素晴らしく綺麗だ、リリアス」
「ありがとうございます、陛下」
顔が上げられず、目線を斜め下にしたまま彼の声を聞く。カルは衣服のせいなのか、いつもより大きく見えて、そんな彼の前に立つと私はなぜか少し震えた。怖いとかでは全然なくて、緊張と、あとはその、だって、似合うし、その、思いがけず格好いいんだもの……。
カルが私の耳元で囁く。
「俺の側にずっと居ろよ」
私は下を向いたまま「はい」と頷く。
「顔を上げろよ、リリ」
私が意を決して顔を上げると、彼の笑顔が目の前に飛び込んできた。そして胸の高まりが鎮まらぬまま、彼の唇がそっと私の唇に触れた。
周囲でざわめきが高まった。特に、侍女たちと思われる高い声が耳に入ってきた。
「な、何するのよ!」
私は彼にだけ聞こえる声で言った。恥ずかしいじゃない!
「だってさ」
「だって何よ」
「下向いてるし」
「だから何よ」
「上向かせたら我慢できなくなるくらい綺麗だったし」
私は堪らず顔を覆いたくなったけれど我慢した。でもきっと赤くなっている。やめてよ、もう。
「嬉しゅうございますが、少し場合を考えてくださいませんか?」
努めて冷静に言ってみる。
「そうは言うが、お前の付き添い人も今回は静観しているぞ」
今こそヴィルマに彼の首根っこ掴んでもらいたいところだわ。
私たちの後ろでエイスが小さく笑った。
「本日はお喜び申し上げます。そして陛下はほどほどに。嫌われますよ」
「ありがとうございます。あなたがいて下さって安心するわ」
「なんでそうなる。俺が何したと……。あ、ディキール!」
カルが手を上げて男を一人手招きした。壮年の理知的な瞳をした男性だった。濃茶色の礼服を身につけている。
「この城での俺の師だった男だ。武のほうではなく文のほうの師だ。今日は立会人をしてもらう」
「ディキールと申します。本日は僭越ながら立会人務めさせていただきます」
「よろしくお願いしますね」
礼儀正しく胸に手を置いて一礼する彼に私は答えた。ディキールは優しく微笑みで応えてくれる。
そんな私たちのところへ近づいてくる者がいた。金の縁取りをした白いローブ、その下には赤い衣の法衣を身につけている。司祭だった。
「青空に覆われまさしく天恵な本日、陛下、妃殿下にお喜び申し上げます。僭越ながら私が教会まで先導を務めさせていただきます」
初老と思われるその男は背中を丸め視線を落としながら、抑揚のない声で言った。
「承知した」
カルが短く言うと、司祭は目を合わさないまま顔を上げて王座の間の端まで行く。そしてその後ろに人が続き、私たちも別の司祭に案内されるままに列に加わる。
先導の司祭が手にした長い金属製の棒を振ると、そこに先端についていた小さな鐘がカランと音を鳴らした。それを合図に列が動き出した。
先導の司祭の後ろに二人の司祭、近衛隊長、近衛兵数名、立会人、私たち、付き添い人二人、再び近衛兵、その後ろに侍従や侍女たち数名が付き添ってきている。
城の北側にある教会の入り口までこの列は続き、そこから侍従と侍女は下がり、最終的に教会の神の前に立つのは、司祭を抜けば新郎新婦と付き添い人及び立会人になる。
と、窓の開け放たれた廊下を歩いていると、いきなりわっというような賑やかなざわめきがした。
「広間に民衆が入って来たのでしょう」
そう、ヴィルマが言った。挙式の後、城内の広間に集まった人々に向けてのお披露目があるのだ。よくよく耳をすますと、遠くに楽器の音色やら少々騒がしげな音も聞こえる。
「久しぶりにお祭り騒ぎだなあ、いいよな、俺も行きたい」
今日の主役が隣で言う。
「何を言っているんですか、抜け出さないで下さいよ。夕方からは賓客招いての晩餐会ですからね」
エイスの念押しにカルは眉をひそめた。私は思わず笑ってしまったが、実のところ、カルの気持ちはわかる気がした。
諸侯たちを招いての食事なんて考えただけで大丈夫かしらって心配だし、城下は城からも酒や食べ物が振るまわれ大道芸人や踊り子たちも集まり、かなり賑わっているらしい。楽しそうで覗いてみたい。何より人々が喜んでくれているなら嬉しいと思う。
そんな事を考えながら北側に進むと、やがて賑やかな音は遠くなった。列は衣擦れの音をさせつつ静かに進む。
城から教会に続く回廊に出ると陽が降り注いで、廊下に柱の丸い影が続いていた。回廊の外は中庭で、花壇には秋の花々が咲き水鉢には小鳥がとまって水を飲んでいた。
「綺麗」
私は思わず呟いた。
「この庭は教会側の管理だからな、綺麗にしてるね。南側にもう一つ中庭がある。あっちは王族専用らしいけど俺は興味ないし、気になるなら好きにしていいぞ」
「庭はお嫌い?」
「どうかな、作った庭よりは森のほうが好きかな」
そう彼は答える。私はカルと庭を歩くのを想像して、ちょっと気恥ずかしいような心持ちになる。そして同時に、もう一度、今度はゆっくりと彼と森を歩きたいなと思う。きっと、どちらも叶えることができるだろう。そう思うと嬉しかった。叶うこともだけれど、叶えたいと思うささやかな想いを抱けることが。
回廊の先には数段の階段と、その向こうに教会の重厚な木の扉があった。開かれていた扉をくぐり、頭を下げながら侍従たちが後ろに下がると、背後で扉の閉まる音がした。
そこは風の間と呼ばれる広間だった。窓は開け放たれ風が通り、はめ込み式窓の色のついた硝子が陽を受けて床にとりどりの色を滲ませている。広間からつづく礼拝のための部屋の扉は、まだ閉められていた。
司祭がその扉を開けようと手を伸ばした時、後ろで閉められていた扉が重い音をたてて再び開いた。




