17-2.
「そこまで怒るかなあ」
「怒らないと思ったの!」
私の言葉にカルは困った顔をすると、いきなり私を横抱きに抱き上げた。
「何?!」
「その足で歩かせれないだろ。とりあえず、座ろうぜ」
そう言って部屋にあった木製の布貼りソファまで私を運ぶ。
「歩けるわ!」
「靴ないのに? 怪我したら困るだろう?」
「だったら靴を拾って下さらない?」
私のその言葉にカルは「やだ」と答えた。やだって何よ、やだって。
言ってるうちにソファに降ろされる。その上に座れるくらいの大きな肘掛けつきソファだった。私はすぐ横に座った彼を横目で睨みつけた。
と、彼が楽しそうな顔をした。
「何よ」
「いや、あんたと初めて会った時もこんなふうに運んだな、と思って」
私も思い出していた。あの時はどこの誰かも分からず慌てて……って、今もたいして変わらないか。
結局、面白がられていただけなのだろうな。……そうして、それが何故、こんなに……。
そこで気づいた。私は怒っているんじゃなくて、いいえ、凄く怒っているけど、それ以上に悲しいのだと。
「そんな顔をするな。……悪かった」
私は下を向いてしまって、彼がどんな表情でそれを言ったかわからない。
「……どうしてこんな事を?」
「話せば長い」
「話して」
「そうだな。何処から聞きたい?」
「最初から。……何故、騙したの?」
答えによっては二度とこの人の顔を見る気にならないかもしれないと思った。それでも、聞かなくては。
「正確に言うと騙してはない。話してなかっただけで」
「屁理屈はいいから……!」
「本当だ。自分が生き残れるか確信がなかった。俺が死んだらあんたの相手はエイスだ」
「え?」
どういうこと?
「俺にはまだ後継の子どもがいないから、俺に何かあった場合、次の国王はエイスだ。そう正式に書き残してある」
この国は一応長子相続だが前王の意思が最優先される。だからこそカルが……ヴィデル王が誕生したわけだけど。でも。
「なぜ彼なの?」
「あ、あいつね、先先代の王の息子なの。俺とは従兄弟」
「……え? その王って確か行方不明になったんじゃあ……」
「うん、そう。行方不明のまま、俺の村で生きてた。でもこの話、マジ長くなるから割愛していい?」
「ああ、そう、……そうね。話を戻しましょう」
「だからあんたの相手は二人のうち生き残った方でって事だったんだ。二人とも死んだら、まあ、その時は仕方ない」
し、仕方ないって、そういうもの?!
「って言うか、私が狙われてるって話だったじゃない!」
「そう、俺もあんたも狙われてる、と思ってた。実際には命まで狙われてたのは俺だけだったがな」
「どうして、そこまで……」
「……俺の兄とかいう人は、王になるために生きてきた人だ。だから耐えられないんだ、そうではない自分に。わかるけどな。とはいえ今更そうですか、と言ってやるわけにもいかないしなー」
そう言ってカルは笑った。笑う所なのだろうか。そうは思えないけれど、彼の中では笑ってしまうしかない所なのだろう。でもね、そこじゃなくて。
「私が言いたいのはそこじゃなくて、なんでわかってて王自らノコノコ出てきたのかってことよ!」
「だから言っただろ、俺が死んでも次いるし。最もあそこまでヤバい状況に陥るつもりはなかったんだが、思うようにはいかないもんだ」
「そうじゃなくて、そもそもコソコソ森の中進むような事するなら別の人が代わりに……」
え、あれ、待って。別の人、が私が陛下だと信じ込んでいたエイスよね。あれ?
「基本的に味方の数が少ないんだ。やれる事はなんでもしないとなー」
「何それ。だいたい城内に活気あるし、人も多いじゃない」
そう、もしかして閑散とした荒れた場所なのかもと思っていたけれど、そんな事もなく、人も多くてきちんと手入れもされていた。明日が式のせいもあるだろうが騎士も多くみかけた。全員が敵側という事はさすがにあるまい。
「いるからって全員動かせるわけじゃないしな」
「動かす? 何に?」
もやっとしたものが胸に湧いた。
「あなた達、いったい何をしていたの?」
カルはニヤッと笑った。
「俺、つまり王に見せかけたエイスを相手側は狙う、ように見せかけて実は偽物だと知っているから主力は俺を狙う。それでなくても隣にはお姫様がいる、同時に確保できたら万々歳だ。だが思ったよりも上手くいかない、焦った敵は……」
「いや、待って。だから、王様がほっつき歩く事になんでみんな疑問を抱かないの?」
「えー、それはつまりー」
と言ったところでカルは肩をすくめた。
「常習犯なのね?」
「散歩が趣味なんだ」
散歩って……。そういえばこの人、やけに楽しそうに歩いていたわね。
「で、焦った敵は兵を増やす。千載一遇の機会を逃すわけにはいかないからな。少しはおかしいと思ったとは思うぜ? それでも俺の命がとれれば全部問題なくなるからな」
「次代はエイス様なんでしょう?」
「まあね。でもエイスの素性はまだ公にしてないんだ。今の俺が指名したくらいでは求心力は正直ない。なんとでもなると考えたろうし、それは正しい」
「だったらやっぱり無茶は無茶じゃない!」
言ってる言葉がおかしいのはわかってるけど……でもだって無茶がすぎるわ!
「確信がなかっただけで死ぬ気はなかったし」
「そんな事では……」
「それに俺、死ににくいんだ。そういうのを身に受けている」
私はひどく驚いた。そんな古の秘められた力がどこに現存していたの? 聖乙女だってそんな祝福は持っていなかった。
「え、そんな祝福をあなたが……?」
あまり信じられない。
「祝福っていうより、呪いに近い。それにまあ、絶対ではないしな」
呪い。嫌な言葉。
「それもまたそのうちでいいか? 話してたら終わらない」
「そう、ね……」
本当にいつか話してくれる気があるのかしら。
「それにほら。謎がある男のほうが魅力的だろ?」
私はもう一度靴を投げたくなった。拾ってこなくて正解だったわね。
「もういいわ。それで? エイス様への監視を減らしてどうしたかったの?」
「呆れた顔をした割にはするどいな」
……やっぱり靴を拾ってこようかしら。私、素手で人を叩いたりした事はないのよね、体験すべきかしら?
「怖い顔するなって。でもエイスへのそれは多分あまり変わってなかったと思う。だがあいつが動かしている人間へは目が行き届かなくなる。そして狩に夢中になると自分の背後に気が回らなくなるもんだ。実際あいつら多分、わかってなかったんだ。いつも二人でいる俺らが別れれば力が落ちるとでも思ってたと思うぜ? でも」
「違うのね?」
カルはどこか誇らしげに笑った。
「違う。エイスは俺より優秀だ。俺の指示なんか必要としない。俺はあいつが動きやすいようにしてやればよかった」
私はそう語るカルを眩しく感じた。眩しいくらいの信頼関係が二人の間にはある。
そして、彼らが目指した先は……?
「それで、彼らは失敗した。 あなたとエイス様がここにいるという事は」
「そう、ぎりぎりだったけどな」
「あなた達は?」
言葉には出しにくかった。
あなたは前皇太子を、兄をどうしたの?
「残念ながらこちらも半分ってとこ」
「え?」
「大本命までは手が出せなかった。でも最大の兄の協力者の一人を捕らえられた。そいつだけでも大芝居うった価値はある。ただ城内でも権力を持っていた男だったし、まだ暫くはごたつく。悪いな」
「そう……それは、まあ……」
しょうがないと思う。私に言わなかった理由も察せられた。要するに何かあった時に私からいろいろ漏れても困ると言う事だろう。第一まだ部外者なのだ。自国の暗部なんかいちいち晒さない。とは、思うけど、結婚しに来てまだ式もしない内からゴタゴタの中に放り込まれた感が凄いわ。なにしろ……。
「王自ら、それも王妃つきで囮にするなんて……」
「大物を釣るにはそれくらいしないとな。結局失敗したけど。それに正直ここまで追い込まれるとは思わなかった」
「危なかったわね」
「結構ね。リアムが出てくるとは思ってなかったし……何ならあんたはユニハの所に置いてくるつもりだったし」
「……ごめんなさい」
なんであそこであんなに我を張ったのか、自分でもよくわからない。
「いいさ、別に。事情を知らないんだし。それにあんたが居たから助かった。居なかったら死んでてもおかしくない」
私は横にいるカルを見上げた。
「なんだよ」
カルは訝しげに眉を寄せた。
「あなたそれで」
そこまで言って私は姿勢を正すと言い直した。
「陛下はそれで、まだ私と結婚なさる意思はおありなのですか?」
「は?」
カルは驚いた表情で私を見た。
「何を急に言い出してるんだ? ここまで話させておいて」
「聞いたことは決して話さないわ。今ならまだギリギリ間に合うのではないかしら」
「何に」
「あなた言ってたわよね、私が死んでしまうという形もあったって。今ならまだ……」
「いい加減にしろよ。気に食わないのはわかるが今更だぞ」
カルの声にも表情にも明らかに苛立ちが見えた。だけどここで引くわけにはいかない。何故なら私は自分の事をわかっているから。少なくともこの人より。
「気に食わないんじゃないわ。私が目覚めて貴方と、いえ、陛下とそしてヴィルマが無事と知ってどれだけ嬉しかったか想像がおできになるかしら」
「お前さ……」
私は、斜めに座り直して私の方を見てくる彼の目を真っ直ぐ見ながら続けた。
「ねえ、貴方は死んでいたかもしれないのよ。いえ、生きているほうが奇跡なのかもしれない。あそこにヴィルマがいてくれなかったら、私の変化に気づいて叫んでくれてなかったら、貴方の反応が少しでも遅かったら……」
私はそこまで言って自分の手を握った。手が震えだしたから。あの時、私は己の意識を手放してしまったから直接の惨劇は見ていない。でもわかるのだ、風の精霊達は私の願いを聞いたのだから。彼らを通して、わかっていた。何をしたのか、何が起こったのか。
「あのさ、俺は生きてるぞ」
「そうよ、今回は。ねえ、本当はわかっているのでしょう? 精霊達は私の願いを聞いてしまうの。でも、私は彼らを上手く扱えないわ。カル、あなたが剣の腕がたつのはわかってる。でも彼らには、いえ、私には勝てないわ。貴方は私と結婚する事で、いつでも自分を殺せる人間を側におく事になるのよ」
私は精一杯、冷静に話した。ちゃんとカルを見て。彼はそんな私を見つめて、それから笑い出した。
「怖い妃をもらうわけだ。なかなかだな」
「私は真剣に!」
「俺も真剣だよ。せいぜいそんな事ないように仲良くしようぜ」
私は気づくと半泣きで叫び返していた。
「そういう話じゃないのに! 私は……私は自分が何をしたのかわかっているのよ!」
体が止めようもなく震えてくる。目で見たわけではない、でも確かにあった景色が浮かぶ。
雨、赤い雨、赤い地面、切り裂かれた人、人、人……。
私は嗚咽を隠すために顔を両手で覆った。
と、カルが私を抱きしめた。力強い腕は温かさと安心感をもたらした。それは泣くまいとする私の意志を脆くする。
「私は……私は……貴方を傷つけたくない……」
花嫁になるのだと知って考えなかったわけではない。とはいえ今までだって日常生活上で何かあったわけではない。それに相手に興味がなかった。興味がない相手なら逆に何も起きずに済むはずだ。そして、兄の命令という事に縋って、考えるのをやめてしまった。
でも、自分の中から泣き声とともに出た言葉を聞きながら、私はやっと認める。私は、この人を決して傷つけたくない。決して。絶対。なのに。
……ああ、そうよ、私は……私は……。カルを……愛している、のだ。
「最初に話さなかった最大の理由は、俺の素性を知らない上で素のあんたを見たかったからだ。その後も話さなかったのはタイミングを無くしたからだけど……」
急に話を変えるカルに私は面食らった。私に回された腕は解かれる事なく、その温かい薄闇の中で私は心を落ち着けながら彼の声を聞く。
「タイミングを逃した原因は、あれだ。あんたがあんまり……エイスの事を気にするから……」
「だって彼が陛下だと思ってたもの」
「そうなんだけど、つまりだな、俺としてはこのままの俺に好意を持ってもらう必要ができてだな……」
何だかよくわからないけれど、だとしたら、私はまんまと策にはまったのね。そう思っても腹は立たなかった。ただ、少し悲しい気がした。
私が泣き止んだのに気づいたのかカルの腕が解かれる。私は姿勢を戻しながらも恥ずかしくて顔を見れない。でもそれ以上に湧き上がってくるものがあって両の手を握りしめた。そうしていないと自分から縋りついてしまいそうだったから。
「俺さ、嫌いな人間を絶対に側に置きたくないんだよね」
「え?」
どう言う意味だろう。私は思わず顔を上げてしまう。カルはびっくりするほど穏やかな顔で私を見て微笑んだ。
「エイスあたりは心配するんだけどさ、普通に嫌だろ、やっぱり。だから、どうしても自分の妃になる人間を好きになる必要があった」
好きという言葉に反応した私の胸は、次の言葉で再び重くなる。
「好きって言ったって、別に熱烈に愛そうとかではなくて、側にいても気にならないという程度でいいんだ。なんなら相手は別にこっちを好きでも嫌いでも構わない。だから、隣国の王女なのに、いざとなったら庇護さえ与えれば結婚しなくていいというマティアスの条件は文句のつけようがなかった。まあ、俺の気質をわかってて言ってるのは承知してたけどな」
「そう……」
私の知らない所の私の話。
「後はできるだけ飾らない状態を見て好感がもてるか、俺が俺を試せばいい、筈だったんだけど……」
……何を言いたいのかしら。なんだか随分と回りくどい感じがするけれど、何?
すると、カルがいきなり大声を出した。
「あーやっぱり格好悪いな、俺! でも、しょうがないよなあ、あの時からおかしいなって……」
「あの時?」
「橋から渡ってきたあんたを抱き上げた時からだよ。何か違う、こんなつもりはなかったっていうか……とにかく、正直、内心困ってたというか……だから気に触る事もあったと思う。悪かった」
「え、あの、いえ……」
急に謝られて驚いた。なんだかよくわかんないし。わからないけど、でも、やっぱり私はこの人の側にいてはいけないのだと思った。だって……。
「こちらこそ、その、失礼な事を沢山してしまって……」
……だから、仕方ないのだ。彼に、違う、と思われても。むしろ当たり前じゃない?
私は唇を噛んだ。今度は泣かないわ。そんなことしたらカルだって困るだろう。絶対に泣かない。
そう思いながら再び視線は下を向いてしまう。
「別に謝る事なんて何もないだろ? ていうか、ここまで話してもわかってないだろ、リリアス」
「え? 何?」
私は露骨に狼狽た。いつの間にかこの人、私の名前呼んでる。それに何をわかってないと言うのだろう。顔を上げて彼を見ると、何故だかどこか困ったような顔で、でも笑っている。
「俺も大概だが、あんたも相当だな」
「だから、何がよ!」
つい強い口調で言ってしまって、すぐ後悔した。とはいえ気持ちが振り回されすぎて耐えられない。
「あのさ」
そう言ってカルは再び身を乗り出すと、私の頬を両手でそっと包んだ。手から伝わる温かさと同時に、逃れられない強さが益々私を混乱させる。
「今の全部、貴女を愛してるって話なんだよ」
私はその言葉の意味が直ぐにはわからなかった。随分ぽかーんとした顔で彼を見上げたと思う。
「わかった? お姫さん?」
そう言うと、カルは優しくそっと私に口づけした。その唇にもたらされた温かさは私をとかすようで、だから、自由になった時やっぱり、ぼんやりしたまま彼に言った。
「……お姫さんって言うの、やめて。だってもう私、」
妃になるのでしょう?
その言葉は再びもたらされたとろけるような口づけにかき消された。
 




