17-1. 国王陛下
衛兵が陛下の執務室の扉を開けてくれた。私は背筋を改めて伸ばすと意識的に笑顔を作った。
昨日、目を覚ました後すぐには状況がのみこめず、また心身ともにいつもの状態ではなかったために、陛下にお会いするのは今日になった。無理しなくていいと伝えられていたが、明日は式だしその前にお会いしたかった。
カルにも会っていない。彼が無事なのはヴィルマから聞いていたし見舞いに来てくれていたのも聞いたが、私が目を覚ました後、会いには来なかった。
それはそうよね、無事とわかれば彼の仕事は果たされたわけだし、城内に入った以上、明日には王妃になる私にそうそう安易には近づかないだろう、いくら彼でも。
……でもできれば私の口から直接、彼に感謝の言葉を伝えたい。明日までに会えないだろうか。それも陛下に何とか、変な誤解のない形で、お願いできないかなと思う。
私はゆっくりと落ち着いたていで扉をくぐる。南向きの部屋には開けられた窓から陽と風が入ってきていて気持ちが良かった。入り口と一番遠い壁側に大きな机が置かれ、その側に男性が一人立っていた。
「陛下……?」
私の小さな呼びかけより前に、彼は私の方へ歩いて来る。
「姫君、ああ、ご無事で本当によかった」
間違いなく国王陛下だ。この穏やかな心地よい声、一度聞けば忘れない。でも、私は驚いてすぐに声が出せなかった。陛下の髪が黒ではなく綺麗な白金色だったからだ。それが背後からの日差しを受けてまるで彼自身が輝くようだった。
ああ、そうか。あの黒髪は、カルのほうの色に合わせて染めたんだ。黒くはできても、陛下の髪の色に染めるのは難しいだろうから。
私は戸惑いを隠して、陛下に膝を曲げて謝意を伝える。
「この度はご心配をお掛けしました事をお詫び致します。また、陛下の優秀な騎士のおかげでここまで無事に来られました。感謝致します」
言いながらちょっと笑いそうだった。カルが聞いたらどう言うかしら。いないから言えるセリフね。
「姫が謝る事など。謝らなければならないのは私どもの方です。このような危ない目にあわせてしまい何とお詫び申し上げてよいのか。無事に着かれたからよいようなものの、本当に……」
そう言って陛下は、なんと、私の前に片膝をつかれた。ちょっと、え、待って、そんな!
「へ、陛下、どうかお顔をお上げ下さい。そのような……」
慌てる私の背後で、何の前触れもなく扉が開くと、能天気な声がした。
「あ、いた。目覚めてよかったな、って何してんだ?」
振り向くと笑顔のカルがいた。旅をしていた時より小綺麗ではあるが、相変わらず全身黒色を纏っている。その姿がなぜだか懐かしく感じる。無事で本当によかった……。
湧きあがってきそうな涙を打ち消して、慌てて陛下の方を向き直ると、既に立ち上がっておられ、そのままカルに言葉をかけられた。
「姫君にお詫びを申し上げていたところです」
「何で?」
私は貼り付けた笑顔が崩れそうになる。
「その理由を私が言わねばなりませんか?」
「冗談だって。というか、お前のせいじゃないし。言い出したの俺だし」
私は呆れてしまった。よりによって陛下をお前呼ばわり? 何だろう、いろいろ思い出して腹が立ってきた。いえ、待って。私、一応お礼を言うつもりだったし、今なら言えるし……言う気、無くなってきたわ。
カルは私のすぐ近くに立つ。それらしい挨拶もない。ていうか私に視線も合わせない。何しに来たのかしら、この人。
いや、でも相手が無礼だからって私までそうするのはみっともないわ、うん。
「あなたには世話をかけました。改めて感謝しますわ」
私は彼に向かって言った。カルはちらっと視線を私に向けたが直ぐに顔を背けて、「あなたかよ……」って呟いた……のを、聞き逃さなかったからね! 何よ、その態度! じゃあ、何て呼べばいいのよ。陛下の前で親しげに名前呼ぶわけにはいかないじゃない。あー、もう!
イライラするしムカムカするし言いたいし言えないし、それに何でだろう、泣きたい気持ちになった。言いたいのに、向かい合って話したいのに、できない。何でこんな気持ちにならないといけないの? 眠っていた時に見た夢のせいかしら……。
その思いが顔に出てしまったのだろう、陛下が心配そうに声をかけて下さる。
「姫君、あの……」
だが、その言葉の続きは扉を叩く音で途切れた。
部屋に入って来たのは茶色の髪をした、背が高く、いかにも武人といった風態の騎士だった。陛下よりもずっと年長で、日焼けした肌と鍛えられている体つきと共に理知的な面差しをしている。近衛隊の隊長だと紹介された。
「お話中、失礼致します。明日の警備の件で早急に確認したい点がありまして。申し訳ありません」
近衛長は低い落ち着いた声で言った。
「いや、かまわない。時間もない、歩きながら聞こう」
そうカルは言うと部屋を出て行こうとする。その彼に陛下が声をかけた。
「カル、私が行きます。貴方は先にする事があるでしょう」
「でも俺が直接……」
「私で構いませんね?」
陛下はカルの言葉を遮って近衛長に聞く。「もちろん」の返事に二人は連れ立って執務室を出て行こうとする。
え、ちょっと待って。私はどうしたら……。あ、私も退室すればいいのか……。
「お忙しいのに私こそ気づかず失礼致しました。私もこれで下がらせて頂きます」
「いえ、リリアス様は今暫くここに」
陛下に名前を呼ばれてちょっとドキッとしたが、それよりも何で退室を許されないのかがわからない。そんな私を無視してカルが陛下に言う。
「おい、ちょっと待てよ」
「行きましょう」
陛下は陛下でカルの声を無視して近衛長を促す。
「おい、エイス、待てったら」
出て行こうとする陛下がカルを振り返って言った。
「言いましたよね、私は何度も。……自業自得です」
「いや、でも、さ、今日でなくとも、この際……」
カルは慌てた感じで何やらゴニョゴニョ言っていたが、扉に向かって私に背を向ける形で立っていたので表情は見えなかった。
近衛長が私たちに向かって姿勢を正し、胸に手を当て一礼する。
「では、失礼致します、陛下」
そうして二人はカルと私を残して出て行った。
暫しの間、私たち二人はそのまま黙って立っていた。口火を切ったのは私だ。我ながら落ち着いた、というより、なんだか間の抜けた声で背中を向けたままのカルに聞く。
「あの、確認していいかしら」
「ああ」
「私、明日、結婚式よね」
「そうだな」
「この国の国王、ルイフェン王国の国王ヴィデル2世と」
「間違いない」
「ああ、良かった。そこまでは間違えてないのね」
私はちょっと微笑んでみせた。
「それで、明日、私の隣に立つ方はどなたなのかしら?」
「…………俺」
カルは呟くように答えた。
私は自分の足元を見る。
この用意された靴、とても可愛らしいしサイズもぴったりだけど、踵も高くて重さもあって少しばかり歩き難いのよね。森の中で履いていたのは歩きやすかったわ。もちろんあれはドレス姿では履けないのだけれど。でも、そうね、正直言うと、あの靴のほうが好きだわ。でも、これはこれで役に立つわ、特に手持ちがないときなんかは、何かと、ええ。
「リリアス?」
カルはやっとこちらを向くと、同時に顔の前に腕をあげた。
「……おい、待て、ちょっと、わっ。待て、靴を投げるな!」
「他に言うことは!」
靴を片方、彼に投げつけて裸足で立つ私にカルは神妙な面持ちで言った。
「えと、すみません、でした」
「それだけですか!」
「いや、えと、うんと」
「何で黙ってたのよ! 今も逃げようとしたでしょ!」
「いやあ、こうなったら式当日まで黙っていた方が面白いかなって。……花嫁姿なら靴も投げないだろうし……て、うわ、ごめん! 」
私はもう片方の靴を彼に投げつけた。




