14. 流れる
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
居心地の悪さに少年は足をもぞもぞ動かした。普段自分には厳しい父親と長が笑いながら話している。そのわざとらしい笑い声が不思議で仕方がない。
「そうだな、リアム」
リアムはいきなり自分の名前が呼ばれてびくつきながら顔をあげる。だが、彼にちらっと二人の男は視線を投げただけで、また話を続けた。
「リアムの将来を期待している」
「勿体ない事です」
なぜ自分の話を大人達が自分に関係なく話しているのか理解できないが、期待という言葉はくすぐったい感じと共に嬉しかった。
だが、居心地の悪さと退屈さは変わることなく、ついに父親に向かって言った。
「父さん、あの」
「なんだ?」
威厳のある重い声にビクビクしないようにしながら話す。
「あの、もう、帰っていいですか?」
視線は厳しいままだ。
「あの、母さんに薬草を探すと約束したし」
「ああ、そうだったな。そうしてあげなさい。母さんも喜ぶだろう。暗くならない内に家に戻るのだぞ」
リアムは「はいっ」と答えると礼儀正しく長の家を出た。そして家を出るとすぐに走り出した。
母さんに頼まれたのは本当だ。最近調子が悪そうだから元気になるといいな。でもいつも、母さんに頼まれた事がいつのまにか父さんの指示に変わってしまうのは何でだろう。
そんな事を思いながら走っていると、あっと言う間に目的の原っぱについた。
ここは薬になる植物を多く見つける事ができる場所だった。もちろん違う草花や毒になるものも混じっていたがリアムは見分けるのがとても上手かった。
春の野原は青々と伸びた草と花々で色に溢れていた。
その真ん中でリアムより少し年嵩にみえる少女が座って花を摘んでいた。抜けるような白い肌と絹糸のような金の長い髪をした少女は、少々痩せてはいたが、とても綺麗だとリアムはいつも思う。
その少女が彼に気づき微笑んだ。リアムは心の臓がドキドキする。なんでだろう、走ったから?
と、彼女の膝元近くの草が揺れたかと思うと、寝そべって見えなかったのだろう、いきなりひょこっと人の頭が覗いた。
「ああ、リアム、やっと来た。抜け出せないのかと心配してたんだぞ」
そう言ったのは明るい緑の瞳をした少年で、輝くような笑顔を向ける。
「ごめん、カル。遅くなっちゃった。ねえ、それより、その頭どうしたの?」
リアムは笑顔につられるように微笑みながら彼らの側に行って横に座る。そして改めて笑いが溢れた。カルの頭には彼には似つかわしいとは思えない可愛らしい花冠が載っかっていた。
「イルシーヴァが無理やり」
カルは拗ねた顔をする。
「だってもうすぐ誕生日なんですもの。お祝いなの」
イルシーヴァが楽しげに、いつもの優しい声で言う。
「だからってさあ」
「いや、うん悪くないよ。うん」
言いながらリアムは笑ってしまう。日に焼けた肌をした黒髪の友人には、それはあまりに可愛らしかった。
カルはそんな彼に言い返すかと思いきや、にやっと笑った。
その表情を不思議に思う間も無く、リアムの頭上にイルシーヴァの手が伸びる。そして同じく花冠が載せられた。
「え?!」
「リアムだって誕生日だろ、もうすぐ。自分だけ逃れられると思ったのか?」
そう言ってカルは明るく笑う。
成長した自分の頭に花冠がある事がリアムはなんとなく恥ずかしかったが、嫌ではなかった。むしろ嬉しい。イルシーヴァが自分のために編んでくれたのだ。
「リアムもおめでとう。ちょっと早いけれど。それと、当日は他のお祝いもちゃんとあるわ。心配しないでね」
「そこが肝心だよな」
カルが多分、先に聞いていたんだろう。でも。
「ううん、十分嬉しいよ、ありがとう」
イルシーヴァが微笑む。さらさらした長い金糸がふわっと揺れる。心がいっぱいになって本当に十分だと思う。
「だったらこれも」
そう言ってカルはもう一つ花冠をリアムの頭に載せた。
「え?」
それはだいぶ歪で、頭に手をやって触れてみると花が一輪こぼれてきた。
「俺も編んでみたんだ。一応頑張ったんだけどさー」
カルが珍しくちょっと困ったような顔をした。
「俺もリアムにって」
イルシーヴァが可笑しそうに笑った。こちらもあまり見ない表情だった。
「あ、ありがとう、なんていうか……」
「やっぱり、あんまり嬉しくないよな」
「え、嬉しいよ!」
リアムは力を込めて言った。カルが花を編むなんて意外すぎて戸惑っただけで、出来は関係なくとても嬉しかった。
「嬉しいよ! ありがとう。それに良い匂いだね。セリスの葉が入っているんだね」
胸がすっとするような青い香が微かにしていた。セリスの葉はお祭りの日に輪にして窓辺に飾ったり、病人が出ると枕元で炊いたりする葉だった。
「よくわかるな、リアム。すごいな、お前」
「同い年に生まれた二人が、いつまでも仲良く楽しく暮らせるようにってお願いしながら編んだのよ」
「そんなの当たり前すぎて、わざわざ願う事じゃないよな」
そう言ってカルは屈託ない笑顔をリアムに向ける。
「そうだね」
と、リアムも笑顔で答えながら、目をつぶって清々しいセリスの香りを吸い込む。
目を開けるとそこに明るい緑の目をした少年と、透き通るような金の髪の少女が微笑んでいた。その向こうには青く晴れた空が広がっていて、のんびりと白い雲が流れていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
脇腹に折れて短くなった刃があった。
そしてリアムの剣は手から落ちた。
リアムは唇を噛み締めながら手を伸ばす。筋を立ててカルの首元を鷲掴みにしたその手は、やがて力が抜け下に落ちた。
カルは剣の柄から手を離すと、抱きしめるようにリアムの背中に手を回した。
「は、離せ……」
「……」
カルは逆に抱く腕に力を込める。
「おま、え、なんか、に……」
「……先に行って待ってろ、リアム。どうせそのうち俺も行く。"美しき浜辺" で会おうぜ」
カルの声は低く落ち着いていた。
「だ、れが、待つか。だ、れ……も…………」
リアムの体からゆっくり力が抜け落ちていく。
カルが中腰になりながら彼を支える。仰け反るような形になりリアムの顔が上を向く。
半ば閉じられていたリアムの目が開いた。
「…………ああ……晴れた……な……。……あお……い……」
リアムの瞳は再び閉じられる。カルがゆっくりとその体を地面に横たえた。
そして落ちていた自分のマントを拾って彼の上にかけると、リアムを真似るように上を見た。
その顔を雨が容赦なく濡らす。
「……冷てえ」
そう呟いて一瞬目を閉じた後、すぐに足元に落ちていたリアムの剣を手に取った。
「借りるぞ」
立ち上がって周囲に目を遣ると何人かの敵兵が声を上げながら剣を振りかざし向かって来ていた。そしてその向こう、石を背に立っている姫君が見える。そこにも敵が群がろうとするのをヴィルマが冷静に一人ずつ対処していた。
カルは彼女達の方へ向けて歩を進めた。剣を振りかざす目の前の敵を躊躇なく倒していく。倒れてそのまま絶命する者、あるいは動けなくなり地面の上で呻き声を上げる者……いずれにせよカルは一瞥することも無く進んでいく。
その足跡が泥の上につき、それを雨が流していく。形の崩れた凹みに何処からか血が流れつき、赤く溜まっていく。それを踏み散らして次の兵が迫り、そして呻きとともに新たに水溜まりを赤く染める。
カルはただ前を、行き着くべき先を見ていた。だが、その視界を何人もの人間が立ちはだかって遮り続ける。彼は己の剣でそれを薙ぎ払い続けながら叫んだ。
「俺の前に立つなあああっ!!!」
一瞬だが周りの人間が気迫に押されたのか動きを止めた。が、その時、大きな影がカルの上に覆いかぶさるように現れ、彼の足を止めさせた。
「何だあ?」
カルは首を曲げて視線を上げる。決して背が低いわけではない彼よりも、遥かに高くそして幅のある肉の塊、のように感じる大男が無骨な棍棒らしきものを引きずっていた。大男はどろっとした目つきでカルを見ると、無表情のまま棍棒を振り上げた。
「せめて人間寄越せや、化け物に用はないぜ」
カルは皮肉っぽい笑いを浮かべて剣を男に向ける。その巨体越しに、こちらを見ている姫君の姿が視界の端にちらっと入った。
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体中が冷たくて、固まったかのように上手く動かせない。
カルが自分のマントを横たわる男にかけている。
ああ、あの人は負けたのだ。負けて静かに横たわる。そして勝者の男は雨に濡れながら泥と化した地面を歩いてくる。すぐにその姿も敵兵が取り囲み隠してしまった。
目の前に女騎士が戦い続けている。深手は負っていない。勝ち続けている。でも右上腕部から血が滲んでいるのに私は気付いている。それに息が荒くなってきている。全体の敵は増えてはいなさそうだから希望があるが、このままいつまで保つか。遠くから戦闘の音はして来るが、援軍がすぐにやって来る気配まではなかった。
と、私の口から小さく悲鳴が出た。ヴィルマの頬近くに敵兵の剣先が伸びる。それは上手くかわされたが、剣での打ち合いは続く。
目を再び遠くへ向けると、カルの姿が見えなかった。まさか倒れたの? 胸が早鐘のように打つのを感じながら必死に雨の向こうに目をやると、人とは思えないような巨躯の向こうに彼の姿を見つける。ほんの一瞬だけほっとする。
でも、いつまで続くのか。いつになったら終わりなのか。全員が倒れた時? 敵が倒れた時? 私が倒れた時? そうすれば終わるの?
戦いとは何時が始まりで何時が終わりなのだろう。何が終わる時なのか。私一人で済む事なら何だって構わない、敵兵に身を渡したって構わない、今はそう思う。それで二人を守れるなら。でも、それでは終わらないとわかっているから。
と。私は息を止めた。足が震えて水溜まりの中に座り込む。体は傷ついていない。ただ、視線の先、カルのいたあたりで誰かが殴られて死んでいた。……誰?
ガクガク震えて止める事ができない。誰?
それから深く息を吐いた。巨体の影に見知った黒い人が見えた。ああ、まだ生きている。倒れているのは別の誰か。ほっとする。だって私の知らない人。敵、ただそれだけ。そこに正しさは関係ない。
頬が雨で濡れる。泣いてはいない。いや、泣いているのかもしれない。わからないくらい自分の体という感覚は無くなり、ただ濡れているのはわかる。
お願い、もう壊さないで、何もかも。
ヴィルマを兄様の元に返したい、今すぐに。きっと陛下はカルが帰り着くのを待っているだろう。
大事な人を大事に思っている人の元へ返してたい。お願いだから。私なら何処にでも行くから。待っている人はいないから。
ヴィルマが足を滑らせ体勢を崩す。すぐに持ち直すが、上半身が息荒く揺れていた。
風が突風となって吹き抜けた。木々を揺らし、葉が雨の中に散る。
手の甲がヒリっとした。何かが傷つけたのか。
二人は戦い続ける。
どうか奪わないで、大事な人を。誰かから誰かを。代わりのいない人を。
…………私の大切な人を。もうこれ以上。
私から、奪わないで。
お願いだ。
どうか
やめて
……
ヤメ……ロ
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「ちっ」
カルは小さく舌打ちした。目の前の巨躯が棍棒を振り回す。何も考えてないのか軌道は出鱈目だった。だが棍棒は重く掠っただけでもただでは済まなさそうで、うかうかと近づけない。
それを証拠に、躊躇して動きが悪くなったカルを狙って敵兵の一人が剣を振るってきたが、運悪く振り回された棍棒に当たり頭部を横殴りにされて吹っ飛んだ。頭部は潰れ、そのまま見せしめのように血溜まりの中に倒れている。その有り様に臆したのか、他の兵は周りを取り囲むばかりで近付いてこない。
カルはそれでも二度、剣を大男に突き刺したが、厚い肉塊は血を流しこそすれ動きは変わらない。元々動き自体は緩慢ではあったが、どろっとしたままの眼は痛みを感じているのかさえ解りかねた。
「本当に人間かよ……」
呟いた時、ここにいないモノの面影が浮かんだ。
「あいつ、何で来ないんだよ」
呟かれた自分の声を即座に脳裏で否定する。
何考えてんだ。よりによってこんな状況下でヤツを頼りにするなんて。まるで窮地のようじゃないか。終わってるぞ。
一瞬のその思考が隙を生んだのか、棍棒がカルを捉えて真上から振り下ろされた。
カルは剣を両手で持ってそれを頭上で止めた。剣は折れることはなかった。重心を下げて耐える。ギリギリと音がする。足が泥に沈む。
その時、雨を切り裂くような叫び声がした。
「伏せろっ!!!!」
今そんな事をしたら、そのまま棍棒が振り下ろされるのはわかっていたが、ヴィルマのその必死の声にカルは瞬時に反応した。全力で押し返し投げ棄てるように剣から手を離すと、その勢いのまま地面に倒れ伏した。
次の瞬間、キーンという耳鳴りのような音がした。
そして、無音が来た。雨音さえ、しなかった。
…………………。
やがて、音が戻った。雨音がする。そして木々が雨を弾く音が。鳥の鳴き声もする。だが、人の出す音がない。
カルは自分の上に載っている生暖かくて重い物体をどけて、下から這いずり出た。先程まで戦っていた相手だったそれは、肩から首にかけてざっくりと斬られ、今度こそただの肉塊と化していた。
「……何が起きた?」
片膝をついたまま辺りを見回す。まるで血の雨が降ったかのように地面は赤く染まっている。その上にやけに多くの葉や枝が散り、そして人間たちが倒れていた。今の今まで動いて戦っていた相手だ。見回した限り、その場で動いている敵兵はいなかった。
カルは視線をある場所に向ける。そして顔が少し緩んだ。
「ヴィルマ……」
視線の先では、女騎士が立ちあがろうと地面に手をついていた。力を使い果たしたのか、ふらふらして上手くいっていない。だが、生きていることは確かだ。
「ヴィルマ、無事……」
カルは声をかけようとして言葉を切った。ヴィルマの奥に、戦場には相応しくない華奢な手足を見つけた。その人は動く気配を全く見せる事なく、水の溜まる地面の上に仰向けに倒れている。そして、彼女自身も取り巻く水も赤く染まっていた。
「リリアス!!」
カルは叫ぶと同時に彼女の元へ駆け出した。
 




