12-2.
「馬から降りろ」
男は変わらず私に切っ先を突きつけたままカルに言う。
「……」
カルは視線をこちらに向けたまま馬から降りた。雨とマントで表情はよくわからない。
「馬を殺せ」
「ちょっと……!!」
男の言葉に私は思わず声がでて上を向きそうになる。何を言っているの、この人!
カルから明らかに不愉快そうな雰囲気を感じる。
そして私は動いたために喉に微かな痛みが走った。
「姫君、動かれない方が身のためだ。自ら死にたいなら別だが」
私は了解の代わりに軽く目を瞑った。伝わったかは知らないけど。
男はカルを見て続けて言った。
「とは言え馬は人より貴重だからな。……わかるな?」
カルは愛馬に何か囁くと軽く馬体を叩いた。馬は当たり前のように走り出し、森の木々の中へ消えていった。
彼は軽くため息をつくと男に言った。
「もうさっき決着は着いたろう? 止めようぜ、馬鹿馬鹿しい」
「人の馬で隙を見て逃げるのを決着というのなら、確かにお前らしい終わり方だがな。恥ずかしいとも思わないらしい」
ああ、あの馬この人のだったのか。なるほど。……奪ったのね。
言われたカルは肩をすくめた。
「さて、剣も捨ててもらおうか」
その言葉をうけたカルは、私に視線を向けた後、腰から剣をはずそうとした。
……ちょ、ちょっと待って。馬上の人間に対して丸腰なんて殺してくれというも同然じゃない。私のせいよね? どうしよう、なんとか止めないと!
考えがまとまる前に口から言葉がでる。
「あの、あなた」
私は短剣を突き立てられた姿勢のまま、男に向かって言った。
「カルに向かって恥ずかしげもなくなどと言われてたけれど、丸腰の敵と戦っての勝利は恥ずかしくないのかしら」
「……」
「あなたの主君が王位に相応しいと考えているのなら尚の事、相応しい戦い方があるはず。名誉なき勝利は主君を辱めるのと同じ。泥を塗る行為です」
我ながら思いつきでよく言う、と心内で思いながらも言い切った。
男は一呼吸ほど置いてから、言った。
「やはり賢しいな、嫌われるぞ。先程も忠告したが御自分の心配をなされよ。嫌われた女がどう扱われるか考えたほうがよろしいかと、姫君」
本気で忠告してるとも思えないが、声色は変わらず淡々としていて、だから余計に本当の事だと思わされた。この人の人物判断が正しいとして、絶対に私、先の皇太子とやらの事を嫌いになると思うわ。会いたくもない!
と、いきなり明るい笑い声がして、カルが楽しげに言った。
「いいな。俺は好きだぞ」
私は言い返そうとして、何故だか今度は言葉が出てこない。ただ心の中で慌てる。
あ、あなたに何と思われるかなんて、いいのよ、こんな時に軽口言わないで! 無駄にドキドキするのは、そうよ、この状況のせいで、だから、えっと……なんて言えば……。
「くだらないな」
男は呟くとカルにもう一度言った。
「捨てろ」
「待ちなさい!」
「悪いが姫君、あの男の名誉などどうでもいい」
そうなの? 王位につけようとしてるのに? ああ、でもそれなら。
「それならば、あなたの名誉は」
「……そんなもの、疾うにない」
バシャッと音がした。カルの剣が泥となった地面に投げ捨てられた。
私は息をのんだ。脳裏にカルが斬られる姿が浮かんだ。だが男はすぐには彼に向かわなかった。相変わらず私に刃を向けたまま、カルよりもっと後方に向かって叫んだ。
「もう一人いるだろう、出てこい!」
……え?
私も男が見た方に視線を向けた。すると丁度カルが現れた所と同じ位置から一人歩み出てきた。
「ヴィルマ!」
彼女だ。足元もいつもと変わらずしっかりしていた。そして切れ長の瞳が男を睨みつけている。
「そこの剣を拾ってこちらにゆっくり歩け。おかしな事を考えるなよ」
ヴィルマは黙ってカルが投げ捨てた剣を拾うと歩いて来る。が、男は近づいてきた所で歩みを止めさせると、剣を手の届かない所まで放り投げるように言う。
彼女は言う通りにした。だが、続けて何か言われるのだろうと多分ヴィルマも思っただろうが、男から出たのは私に馬から降りろという言葉だった。
「え?」
「……何だ? 嫌なのか」
私は首を振った。でもどういう事? ヴィルマと二人して斬るつもりだろうか。どういう事? 見くびっているの? 何?
ヴィルマも厳しい表情のままこちらを見ていたが、図りかねるのか動かない。私はとにかくゆっくりと慎重に馬から降りて馬上の男を見上げた。改めて見るとすっきりとした顔立ちの青年だった。ただ、マントの影になった瞳ばかりが暗く見えた。
「どうしたいの?」
「俺が彼奴を倒すまで大人しくしていろ」
「悪いのだけれど、あなたには負けて欲しいけど」
「俺が勝つ事を祈ってろ。そのほうが御身のためだ」
何言ってるの、この人。
「そこの女騎士! 姫を守ってろ!」
男はヴィルマに叫ぶと私に言った。
「ここに来ているのは俺たちだけじゃない。そしてほとんどが掻き集めた荒くれ者どもだ。俺がいるから手を出して来ないだけだ。わかるな? 姫君。つまらない事は考えない事だ」
はっきりと姿を見たわけではなかったが、人の気配を感じてはいた。集まり出しているんだ。思うと同時になんとも言えない獣じみた匂いを感じた。本物の獣ではない。狩る事に取り憑かれた人間の男の匂いだ。
それに気づいた時、この国に立ち入ってから最大の恐怖を感じた。吐きそうな悪寒が背中を走る。
硬直してしまって言い返す事もできずに立ち尽くす私の耳に、呑気なまでの明るい声が届いた。
「そんな顔しないで笑ってろよお姫さん。その方がずっと綺麗だ」
それからカルは酷く優しい声で付け足した。
「……心配するな、大丈夫だから」
「お、お姫さんって言わないで」
私は泣きそうで声が震えて、それでも笑顔を作ってみせたの。
私は馬上から男に下ろされると、馬から少し離れヴィルマの方を見た。ヴィルマは男から視線を外さないようにしつつも、私を見て変わらない微笑みを向けてくれた。
私はぎこちないながらも笑みを返しつつ思う。みんな私を安心させようとしてくれている。
後ろで何かが落ちる音がした。見るとヴィルマの剣が地面に落ちている。近づいて拾う間もなく馬がゆっくり動き出した。そして加速する。先にはカルがいる。
ヴィルマが動いた。馬上の男が剣を振るう。地面に立つカルは何とかかわしたように見えたが、第二刃が迫ってくる。ヴィルマが投げ捨てられたカルの剣を拾う、が、間に合わない。
その時、何処かから獣の咆哮が響き渡った。道中に聞いたあの咆哮よりもっと激しいものだった。空間を揺るがすような音に一瞬息が止まる。馬も怖がったのか嘶いて前足を高く上げた。男がバランスを崩す。その僅かな隙だった。
「殿下!」
ヴィルマが剣をカルに向かって放り投げた。それを掴むと同時にカルは馬上の男に刃を向ける。暴れる馬にバランスを崩していた男は刃をかわすが、そのまま落馬した。カルが地上の男に剣を突き立てる。馬が嘶き走り抜ける。泥が跳ねる。雨音と雨をはね散らす音と金属音が混ざる。走って逃げて行こうとする馬の体躯で何が起きているか一瞬わからなくなり、私は堪らず瞼を閉じた。
ふっと、静かになって目を開ける。雨の中二人の男がお互いに剣先を向け、睨み合って立っていた。
「姫さま!」
ヴィルマの呼びかけにはっとして声の方を向くと、少し離れた所から彼女が呼んでいた。
私は慌ててヴィルマの剣を拾うとそこまで走った。彼女は私を護るよう立ちながら剣を受け取ると、視線を周囲に向けたまま私にだけ聞こえる声で言った。
「右手後方に大きな石があるのがわかりますか?」
私はなるべく頭を動かさずに視線だけでちらっと確認する。その石の事は気づいていた。私が中腰になると隠れるくらいの大きさで森に入る手前に転がっていた。表面がツルッと平らで自然石か人工物かはっきりしない。
「あそこまでゆっくり下がります。なるべく気をひかないようにゆっくりと、戦いから身を避ける体で。できますね?」
言ってる側から泥が小さく跳ね飛んできた。二人の男は戦い続けている。そして森の陰に複数の別の人影が見え始めていた。ヴィルマが気にしているのはこっちだ。
「わかったわ、ヴィルマ」
私は答えると、戦う二人に視線を向けたまま片足をゆっくり後ろに下げた。
 




