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12-1. 恐れる

 私は待っている。

 雨の中を待っている。すぐ戻るの言葉を信じて。


 マントは冷たい雨水を通しはしなかったが、覆われていない手の先や濡れた足先は感覚が無くなりそうなぐらいに冷え切っていた。温める術もなくただ木の影に立っている。空は雨雲に覆われ、薄い灰色と雨に霞む深い森の緑色が視界に入るばかりだった。


 なんでこんな所で一人立っているのだろうと、ふと思う。ここ数日で自分の身に起こった変化が大きすぎて、どこか現実感がない。それなのに一方で悲壮感もなかった。むしろ心のどこか深い所で楽しいとさえ思っているのを感じる。濡れた森は美しく、私はその中に立っていた。そっと、着ている帷子に触ってみる。


 と、馬が駆けてくる音がした。私は一瞬息を止めて、そして深呼吸して背筋を伸ばす。今更ジタバタしてもしょうがない。私にできることはせいぜい、私に纏わる属性を汚す事なく守り通すことだけだ。

 でも、すぐに杞憂とわかる。


「姫様!」

「ヴィルマ!」

「大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫。カルに会えたのね?」


 ヴィルマが馬を降りて私に駆け寄る。


「はい、今は抜けれそうな道を探っていらっしゃいます。ああ、姫様、申し訳ございません。私が……」

「ヴィルマは何も悪くないわよ。そうそう予定通りには行かないわ。私も足を引っ張る以外できないお姫様なんですもの」

「姫様……」


 ヴィルマはちょっと困ったように、でも優しく微笑んだ。


「姫様、なんと言えばあなたの素晴らしさをお伝えできるのかとずっと思っていたのですが、こんな状況ですが一言だけ無礼を承知でよろしいでしょうか」

「何、改まって。怖いけど、いいわよ」

「私は姫様が大好きです。姫様の元でずっと護衛させていただいていたのも命令を受けたからだけではありません」

「……うん、知ってました。ありがとう」


 知っていた。本当はヴィルマの騎士としての先行きを考えると、私についているより王の近衛にでも入ったほうが良かったし、それができたのも知っていた。それでも私のそばにいたのは兄様の配慮と彼女の優しさからだった。知っていたよ。


「私は姫様の花嫁姿を陛下に報告するのが夢です」 


 私はくすくす笑ってしまった。


「ヴィルマ、母親みたいよ」

「聖乙女は畏れ多いですが、陛下の……兄上様の代わりに祝福するくらいには。内緒ですが、陛下に報告して、出席したことを羨ましがられたいのですよ。それくらいは姫様のために、あの方にして頂きたいのです」

「……それ、兄様には本当に内緒よ。バレたら一生ぐちぐち言われちゃう」


 私とヴィルマは顔を見合わせ小さく笑った。


「さあ、行きましょう。城までもうすぐです」

「ええ」


 ヴィルマに応えて手を差し出した時だった。  


 彼女は腰の鞘に収まっていた剣を抜いた。そして横の木の間から音もなく突いてきた剣を弾きかえした。

 

 甲高い金属音が雨音の中に響き渡った。ヴィルマがふいに現れた剣と持ち主の男に剣を突きつけた。鮮やかで強烈な一打にみえた。だが男は上手く弾きかえし怯む事なく剣を振う。

 

 戦いの決着は思ったより早かった。

 ヴィルマが剣を落とし膝を地面につける。その頭の側面を相手の足先が蹴り倒した。


「ヴィルマ!」


 私は踏み荒されて泥水が溜まっている地面に倒れ込むヴィルマに駆け寄った。

 こんなに早く、簡単に彼女が負けるなんて……。

 息は荒く額からは血が流れていて目は閉じられていた。私は倒れ込むヴィルマの背に手を当てる。そんな私の頸元に剣が伸びた。


「立て」


 男は私に立つように指示する。そしてすぐ近くにいたヴィルマが乗ってきた馬に騎乗するよう命令した。


「ヴィルマ……」


 私は不安と迷いで彼女を見る。ヴィルマはなんとか立ちあがろうとしていたが、膝もつけない。


「いいから乗れ」


 剣はつきつけられたままだ。躊躇したが馬に跨った。男は馬を抑えていたが、私が騎乗するとヴィルマの剣を拾って腰に着け、すぐ後ろに跨った。

 全身に悪寒が走る。だが、唇をかんで我慢する。

 男は手綱を操る。


「ヴィルマ!」


 何とか膝をついた彼女があっという間に後方に見えなくなった。


「私をどうするつもりですか」

「……」


 私の問いに男は無言だった。


「私が何者か知っていての暴挙ですか」


 改めて問う。


「言うことさえ聞いてくだされば無体な事はしない、姫君」


 やはり、わかっているらしい。そして物言いが硬くはあったが冷静で丁寧で、暴力的な要素はなかった。驚く。本当に何者?

 聞いたところで答えてくれそうにはないわね。ヴィルマは大丈夫かしら。ああ、なんて事、ここでヴィルマを失ったら……。


 私は後ろを振り返りたくなった。が、男はカルと違って支えてくれるわけではなく……むしろそれはよかったのだが……自分でバランスをとる必要があり振り向く余裕はなかった。そもそも今更姿が確認できるわけでないのはわかっているし。

 ああ、でも……。


「あの女騎士の事なら心配ない」


 ふいに男が言った。


「え?」

「頭への衝撃で一時的にああなっただけだ。たいした外傷は与えていない。時間がたてば歩ける」

「……え?」


 私は男の言葉に素直に喜びが湧いた反面、どこまで信じればいいのか、混乱した。

 確かにヴィルマは大きな怪我は負ってないようにみえた。そういえば。でも、なぜ? 考えてみればあの状態なら命を取る事は容易なのに放置した。それに、そうよ、ヴィルマから弓は取り上げていない。


「何故?」

「まだ使える可能性がある。それだけだ」


 男の声は落ち着いている。


「私をどうするつもりですか」

「ある人物の所へ連れて行く。……王の元に」


 思った通りの答えだった。

 雨が手先を濡らし続ける。そして、体温を奪い心を冷やしていくのは雨だけではなかった。


 馬は歩き続ける。


 やがて見覚えのある場所に出た。

 一人で行けと言われていた時に通った開けたあの場所だ。時間的にはさほど経っていないはずなのに、ずっと前のようだ。今は一人ではなく自由でもない。

 男は私がそうしたように迂回はせず、真っ直ぐ開けたところを突っ切って行く。と、不意に馬を止めると後ろから左腕が伸びて私の体に巻き付くように触れた。


「ひっ」


 悲鳴を上げたつもりが声が出ない。喉の奥で高い引き攣った音が出ただけだった。体が意思に反して震える。逃れようとする、が、びくともしない。

 

「何を身につけている?」


 何? 私に聞いてるの?


「失礼」


 男は私が羽織っていたマントをめくった。ビクッとしてこちらが反応する前に、男が言う。


「帷子か」

 

 そして、ふっと鼻で笑うと続けた。


「気に入られたものだな。珍しい、あの男が。姫とはそういう存在か?」


 何が言いたいのかわからないが、あの男というのは間違いなくカルのことを指している。私は思わず上を見あげた。


「貴方、一体……」


 フードの下から紫の瞳が私を見下ろした。静かな瞳に思えた。だが例えばユニハが持つような穏やかさは無かった。マントの影ではない、違う暗さが宿っていように感じる。真っ直ぐな髪質と思われる髪が、濡れて頬から細い顎へと張り付いていた。

 この人も、もしかして……。


「ウーヴェルの人……?」


 彼の眉がわずかに上がる。

 だとしたら、でも、何故。ユニハ達とは袂を分かった人達がいるの? 前皇太子との単純な争いではないの? わからない。


「一言、忠告申し上げる」


 男が言った。


「何かしら?」

「この国の男は聡い女を嫌う」


 ……いますぐ国に帰ってやろうかしら。


「私が母国に帰りたいと言ったら送ってくださる?」

「くだらない事を言われる」


 そう言って彼は視線を私から外すと前を見た。


 聡いか愚かか、評価するならどっちかにしてよ。


 心の中で文句を言う。

 なんだか何もかも腹立たしい。

 

 なんでこんな目にあうの? 兄様は私に何をさせたかったの? だいたい後ろのあなた、私はともかくヴィルマがどうにかなってたら、兄様を本気で怒らせるわよ。めちゃくちゃ怖いんだから。そもそも彼女にあんなにすぐ膝をつかせるなんて強すぎじゃないの? ひどくない?

 それに、カル、あなたどこにいるのよ。そうよ、あなたは私を城に連れて行く使命があるでしょ? さっさと出てきて仕事しなさい!

 あー、腹の立つ! どこもかしこも争いばかり。そして私は何もできないまま!!


 我知らず唇を噛む。口の中が苦い。滲む視界は雨のせいか、それとも……。


「動かれるな」


 後ろから囁かれて思わず背筋を伸ばすとマントに覆われてない喉元に短剣を突きつけられた。

 私は驚いて視線を下に落として短剣を見ると、絶妙な位置でそれは止まっていた。

 私は自分が驚いている事に再び驚く。何故だかこの男が私を傷つけるだろうと、いつのまにか思わなくなっていたと気づく。


「出てこい!」


 男が叫んだ。視線の先を見ると、右手の木々の奥に騎乗した人影が見えた。


 何で誰かいるってわかったの?


 その人物はゆっくり姿を現した。雨の中、黒い影のように。


 カルだった。




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