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11-2.

「参ったわね……」


 勘違いかもしれないし、獣が狩りでもしたのかも知れない。それはそれで危険だけれども。そしてもしかしたら味方が待ち伏せに気が付いて、敵を打ち倒したのかもしれない。

 でも、逆かも知れない。それを確かめる術はない、行ってみるしか。


 どうする?

 

 馬が歩き出そうとした。思わずそれを止めてしまう。


「ちょっと待ってね、考えるから」


 どうする? 先にいるのが敵として、殺されないだろうの言葉を信じて大人しく捕まる? 味方だったら助力を頼める。それとも?

 何が正解だろう? ヴィルマはどうして欲しいだろう。兄様ならなんと言うだろう。カルなら?


 向かい風が吹く。さっきよりもはっきりと血生臭い匂いを感じる。後方で人の怒声や馬の足音が聞こえる。多分さっき見た敵兵が森に入ったのだ。あらゆる不穏な気配の中、私の周りだけ奇妙なくらい静かだ。


 どうする……きっとこのまま進むのが正解だ。うまくいけば味方だろうし。いっそ、全く違う方向に逃げ出すというのもあり? ユニハの森に向かってみるとか。どこにあるのかわからないけれど。うん、迷子にはなるわね。


 私は前に馬を歩かせた。言うことを聞いてゆっくりと進んでいく。これでいいはず、そう言われていたもの。

 雨の匂いに混じって、血の匂いが濃くなっている気がした。前も後ろも死が広がっている。そして、そこで生を選ぶために戦っている人がいる。私は生の側にいなくては。できるだけその可能性の高い方向を選ばなくては。


 …………嘘だ。


 私は手綱を思いっきり引いて止めた。

 

 どちらにしろ死だ。そこまでの長さが違うだけだ。


 私はマントのフードを被り直した。徐々に雨が本降りになってきていた。むせぶような濡れた緑と湿った大地の匂い。血の味を思い起こさせるような金属の匂いと、混じる強烈な生臭い匂い。馬の匂いと力強い体躯と温かさ。自分の手足は冷たく、吐く息が温かい。雨が樹々や地面を叩く音が大きくなる。

 そして遠くの喧騒は私の中まで届いてはいなかった。

 静かだ。

 私は静かに一人だった。多分生まれて初めて本当に一人だった。誰も私に何かを言う人はいない。一人で、生と死の狭間に立っていた。でも本当は、何時だってそうだったのだ。


 さあ、選べ。他に選んでくれる人はいない。

 

 …………ああ、そうよ、喜ぼう。私は、初めて、選べるのだ。


「戻ろう!」


 声に出して言うと馬の向きを変えた。間違っているかも知れないし、とんでもない迷惑をかける事になるかも知れない。国の行先に影響を及ぼすかも知れない。でも、正解なんて誰がわかるの? 私が私の行先を決めて何が悪い。別れの仕方くらい決めたっていいじゃない。

 馬はうって変わって軽快に走っていく。


「そうよね、あなただって本当は戻りたかったわよね。あなたが真に背に乗せるのは私じゃないもの」


 戻ろう、あなたの主人の元へ。


 彼の元へ。




 来た道を戻る。雨の中、迷わないかと不安もあったが大丈夫だった。つまりは騒がしい方に行けばよかったわけで。

 と、人に出会う前に馬に出会った。騎手を失って無方向に走ってきたのか息荒いまま、ぽつりと森の中で立っていた。


 そこで私も立ち止まった。


 どうしよう? 勢いで来たのはいいが、考えてみれば敵より先にどうやってカル達に再会すれば良いの?  戦い中の可能性高いよね?


「あ、もしかして、やっちゃった?」


 我ながら考えなしにも程がないか? と思ったが、とはいえ後悔の念は湧かない。それはそうと、まだ彼、生きてるよね? ヴィルマはそう簡単には負けないと思うけど、カルは……?


 雨が体に打ちつけられる。でも意外と寒くはなかった。身につけているマントはユニハがくれた物だが、雨が染み込まず体温を保ってくれている。これも魔法の力だろうか。だとしたら地味だけど凄い。


 そうこう考えていると、思ったより近くで剣を打ち合う音が聞こえてきてぞくっとした。借りてきた短剣を確認する。こんなの役に立たないだろうけど、縋る物が欲しかった。

 その時、乗っている馬がブルっと震えた、と思ったら急に走り出した。


「え、ちょっと待って、ねえ!」


 小道から完全に外れ、馬は駆けていく。私が乗っている事など突如として忘れ去ったかのようだ。私は身を低くしてしがみつくように跨っていることしかできなかった。

 と、前方から人の気配がしたと思ったら、そこへ馬が飛び込むように突き進んだ。


 えー!!ちょっと待って!死ぬ!


 反射的に身を伏せて目を瞑る。すぐ横を走り抜けていく別の馬の荒い息遣いがした。怖い、とさえ思わないくらい、混乱する。


 うわーー!!


 濡れた土を蹴る音、馬の息遣い、木の枝が揺れ、そして、空気を何かが引き裂く。あ、ダメだ、私っ、死……!


「お前何してやがる! 殺すところだぞ!」


 へ?


 知ってる声に目を開けると、斜め前にカルがいた。息の荒い馬を片手で操り勢いを殺しつつ、もう片手に抜き身の剣を中途半端に掲げていた。雨に濡れたそれは切先が折れていたが、滴り落ちる雫が赤く見えた。


「なんでここにいる!」


 会ってから一度も聞いたことのない、打ちつけるような声色で怒鳴られる。一瞬の安堵は冷水を浴びせられ、体が縮こまりそうだったが負けじと声を出した。


「あなたを探して……」

「馬鹿もほどほどにしろ!」

「しょ、しょうがないでしょ! 待ち伏せされてて進めなかったんだもの!」


 たぶん、きっと。


 カルは舌打ちしたようだった。


「どうしたらいいかわからないし、馬が急に走り出すし……」


 彼は今度はわかりやすくため息をつくと、ついて来い、と馬の向きを変える。私は後に従いながら目の端に人影を見た。地面の上、多分絶命してる。でも、それはすぐ視野の後方に流され、やがて森の木々の茂ったところで立ち止まった。

 

 カルは剣を鞘に収めると馬から降りて、私が降りるのに手を貸してくれた。熱い手だった。枝が張った木の下に入る。おかげで雨は少々防げたが、代わりに葉を叩く雨音がうるさくなった。


「とりあえずこの辺で隠れてろ。ヴィルマを探して連れてくるから」

「あ、ヴィルマには会えたのね?」

「ああ、一度な。今は別々に動いてて……」


 カルは一度言葉を切った後、苦々しげに言った。


「ヴィルマもなんで戻ってきやがった。お前ら揃って馬鹿かよ」

「あなたの計画をダメにしたのは謝るけど、ヴィルマを一緒にしないで。彼女はあなたを助けたかったのよ」

「それが余計……」


 そこまで言ってカルは言葉を切った。言い過ぎたと思ったのかもしれない。


「……待ち伏せって、どれくらいの人数いたかわかるか? 暗くなるのを待って出し抜く事も難しかったって事だよな」


 実際近づいてもいないのに人数なんてわからないし、そもそも……。


「ごめん、暗闇に紛れてなんて考えもしなかった」

「俺、言わなかったっけ⁉︎」

「言ったっけ?」


 カルは腰に手をあてると、深く曲げてため息をついた。


「ご、ごめんなさい」


 謝るしかない。本当に思いつきもしなかった。だけれど。


「でも、そんな事できるとも思えないし……」

「まあな、ヴィルマもいないしな。深窓の姫君には無理か……」


 最後は独り言のようだった。でも、聞こえてしまった。体の中に重苦しい塊が入ったかのように息が詰まった。私は下を向いた。


「悪かったわ。最初から、わかってはいたの、たぶん間違ってるって」


 声が震えるのは、雨が体を冷やすから?


「でも、私の事を私が選んでもいいじゃない」


 私は雨で泥濘んでいく地面を見つめた。カルが見下ろしてくるのを感じた。


「そんな甘ったれた中途半端さで嫁ごうとしてんのかよ」


 カルの声は落ち着いていて冷たかった。


「わかってるわ、わかっているけど……」


 私が何もできない甘えた小娘だと自分が一番わかっている。でも……。


「死ぬかもしれないと思ったら……」

「……悪かった。もういい」


 いつもより低い静かな声が雨の中にする。私は両手で顔を覆った。わかっているの、ごめんなさい。いつも誰かが巻き込まれてしまう、いつも。でも、それでも、だからこそ……。


「私ひとり、置いていかないで……」


 漏れた本音と噛み殺した嗚咽は雨音に消せているだろうか。情けない姿をフードは少しでも隠してくれているだろうか。ああ、どうか。

 

 と、ふいに力強く抱きしめられた。びっくりして涙も止まりそうになる。え? 何? と聞く前にカルの声がした。


「ごめん、あんたは巻き込まれただけなのにな。そもそもあんたを護るのも俺の役目だってのに、自分の力の無さを棚に上げて何を言ってるんだろう、俺。悪かった。ごめん」


 そう言ってますますぎゅっと抱きしめられた。強く抱え込まれるように抱きしめられて、身動きもとれない。

 混乱し、そして同じくらい安心した。彼は力強かった。包まれて温かかった。また涙が溢れてきた。

 そのまま縋りたくなって自ら腕を伸ばして彼に触れようとした時、両肩を持ってゆっくり引き離された。


 ちょっと待って。今、私、何しようとした?


 頬が火照る。カルの顔を見ることができない。そのまま体を離そうとして、でも出来なかった。肩からどかされた彼の手は今度は私の両頬を包みこみ、これ以上離れることができない。そのまま顔を上に向かせようとしてくる。意のままになるのに抵抗を覚えて、顔を上げないようにしながら頑張って視線だけ上げて彼を見る。


 間深く被ったフードが彼の顔に深い影を作り表情が見えなかった。ただ、強い眼差しを感じた。私を射抜くように見つめる眼差し。ゾクっとして体が小さく震えた。顔が徐々に上を向く。黒い影のようにカルが近づいてくる。息が止まりそうだった。ああ、このまま影にのまれて……。


 私は目をぎゅっと瞑ると、首を下に向けようと彼の力に全力で抵抗した。自然と両手を握って腕を上げて顔の前に持ってくる。彼の手を離させたかった。


 やめて、触らないで。これ以上私に触れないで。お願いだから。もう、これ以上触れられたら私は……。 


「あ、あ、の、で、私はここに、いれば、いいのね?」


 無理やり声を出した。声が震えるのを止めることはできなかった。

 と、不意に抵抗がなくなり、頬に触れていた手がどかされた。ほっとして体から力が抜けて息をつく。


「ああ、雨になるべく濡れないようにしてじっとしててくれ。連れて行きたいところだけど馬にあんまり二人乗りさせるわけにもいかないし、敵に出くわした時戦えないしな。今度はすぐ戻ってくるよ」


 明るい、いつものカルの声だった。私は顔をあげる。フードを外して笑いかける彼がいた。


「これさ」


 カルはそう言いながらマントを脱いだ。びっくりする私にそれを預けると、そのまま上衣を脱ぎだした。


 ええっ。今度は何??


 視線をおよがせながら固まって立っていると、マントと交換に今度はずっしり重いものが……帷子が渡された。


「頑丈だから着てろよ。場合によってはその辺の騎士より役に立つぜ」

「え、そうなの? そう……」


 き、着るの? え? 今? この人の目の前で?え? 服脱いで?


 カルはさっさと服を着直してマントを再び羽織ると、私のマントの留め金に手を伸ばして外した。


 え、いや、わ、え、ちょっと待って、わああ!!!


 目が回りそう。何が起こっているの、さっきから!


 彼は私からマントを外す。雨と冷たい風が直接体に当たるが、すぐ止んだ。カルがマントを私の頭の上に広げて掲げてくれて、それが雨を塞いでいた。


「このマントも本当に優秀だよな。量産できりゃあいいのに。あ、その帷子、あんたには大きいからそのまま上から被っちゃえばいいぞ」


 言われて上衣の上から半ば無理やり被ってみた。こんなもの初めて身につけた。重い。そしてほんのり温かい。これはカルの体温だ。そう気づいた時、顔が赤くなったのが自分でわかった。


 もう嫌。なんなの。


 そんな私の気持ちなんてまるで慮られることもなく、乱暴なくらいのそっけなさで再びマントを被せられた。私は慌てて自分でマントを着直しながら誤魔化すように言った。


「あなたのマントも同じ仕様なの? ユニハの?」

「ああ。あいつしか作れないんだ、今となっては。ちゃんと被っとけよ、体温とられないようにな」


 そう言って私のフードを直してくれる。この人、もしかして意外に世話焼きなの? どうでもいいけど無闇に触るな! 屈託ないにも程がある! ああ、何でこんなに苛つかなくちゃいけないの。


「ヴィルマを見つけたらここから離脱する。もう時間稼ぎも要らないしな。前にも言ったが、もし俺らより先に敵に見つかったら変に抵抗せずに名を名乗れ、その方が安全だ。むしろ村娘なんかと誤解されるほうが危ない」

「わかった。そうするわ」

「ちゃんと堂々としろよ。あ、名乗るって素直に名前だけ言うなよ。どこの誰かをつけてな」


 この人、本当に私の事を馬鹿な娘と思ってるわね。わかっているに決まってるでしょう。そもそもカル自身が私の名前を覚えていないくらいでしょうに。必要なのは、私の身分。


「わかってます。ちゃんとラヴェイラ国王の妹姫だって名乗るから」

「それだけじゃ足りないな」

「え?」

「この国の国王ヴィデル2世の妃になる者だと言わないと」


 あ、そうよね。


「わかったわ、そう言うわ。国王の婚姻相手だと……」


 そこまで口にして自然と言葉が止まり、目を伏せた。

 何? この胸が押しつぶされるような感覚は。


 その時、空に稲光が走った。反射的に顔を上げると、カルと目があった。また光り、空が鳴る。

 不穏な暗さと光の中、彼の変わらぬ明るい緑の瞳はどことなく楽しそうに、そして優しさを湛えて私を見ていた。


 


 

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