11-1. 向かう
草花の揺れる緩やかな丘陵が広がっていた。その中を糸の縫い目のように小道が高台に向かっている。その先の丘に、石造りの茶色い城壁と同じ色の城が見えた。右手に森が城壁のすぐ手前まで伸びている。
いつの間にか雨雲が広がっていて、重いその隙間から傾き出した夕方の陽が見えた。丘の草や花の上に金色の光がいく筋か落ちている。まるで空に導く啓示のように。
王の居城にも光の筋が落ちていた。その建築物は決して大きくもなければ華美でもなかったが、光落ちる暗いその中で、存在感を持って静かに美しく建っていた。
私は声もなくその景色を眺めた。ここが、私が生きていく場所。
カルとヴィルマも馬の足を止め見ていた。と、ヴィルマが低く硬い声でカルを呼んだ。
「あちらを」
言われる前に彼の視線もそちらを向いていた。城壁の向かって左側、道が下がって落ちているところが何やらぼやけている。なんだろうと思う間もなく、そこから砂埃と馬を駆る集団が見えてきた。ざっと20から30くらいだろうか。
カルは黙って馬の向きを変えると再び森の中へ戻る。
「どうするの?」
「森を右手に抜けて城に近づく。森の中をあの人数が馬に乗って駆けてくるのは難しいからな」
確かめるまでもなく、あの集団は敵対する側らしい。
「でも、外から回って来られたら追いつかれない?」
「出迎えの援軍がくるはずだ。予定通りと言われたんだろう?」
カルがヴィルマに確かめる。
「はい。ただ今朝方、諸侯の一人と思われる男が王に会いに来たらしく、かなりごたついてはいましたが……」
「なるほどね」
答えるカルの声には皮肉っぽい笑いが混じっていた。大丈夫なのだろうか。
「本気ならより面白くなるだけさ」
そうカルはつぶやいた。そして馬の手綱を引いて止めるとヴィルマに馬を貸せ、と言った。
「え? どういうこと」
私が先に聞いてしまった。彼は返答が来る前にもうすでに馬から降りていた。私は代わって手綱を握る。馬が足を動かそうとしたが、彼が触ってやると落ち着いた。
「ヴィルマと交代。二人でこのまま進め。道はこいつが知ってる」
そう言って愛馬の首を軽く叩く。
「もし迎えがいなかったら暗くなるのを待って東門へ向かえ。そこなら通してくれる筈だ」
「しかし……」
ヴィルマの反論をカルは遮り半ば無理やり馬から下ろすと、自分が代わって騎乗した。だがヴィルマもすぐには引き下がらなかった。
「私が戻って引きつけます。どうかこのまま姫様と」
「お前はこのお姫さんの護衛だろ? 自分の役目を果たせよ」
「ですが」
「ヴィルマ」
彼の声は落ち着いていた。
「心配してくれる気持ちは嬉しいが、ここは俺の国だ。命をかける覚悟はとうにできている。ま、死ぬ気はないけどな」
そう笑みを浮かべて言うと、馬の向きを変えた。
「じゃあな、そのお姫さんよろしく」
「お姫さんって言うのもやめて!」
私の言葉にカルは笑い声を残して、あっという間に行ってしまった。
「本当にもうっ」
あの人、最後までちゃんと私のこと呼ばなかったじゃない。
……最後まで?
会ったのはほんの二日前だ。なのになんでだろう。ひどくぽっかりとして心許ない感じがする。まるでずっと前から知っていた人だったように思える。なんでだろう。
ヴィルマは私の後ろに跨ると馬をゆっくりと歩かせ始めた。二人ともしばらく無言のままだったが、さほど進む前にヴィルマが予想外に柔らかな声で話しかけてきた。
「姫様」
「ん? 何?」
「姫様はご自分のことを強運だと思われますか?」
「え?」
急に何?
「私は姫様が強運だと思っております」
「えっと……」
「貴方様は反論されるかもしれないですが、それでも私はずっと、母君である水の聖乙女の加護が貴方にあったと信じていましたし、今もです」
何を言い出したのだろう?
「そうだとしたらなんなの?」
ヴィルマは馬の足を止めると力強く言った。
「私の役目は貴方をお守りすることです。それに背くことは陛下に背くことでもあります」
「兄様に?」
「ええ。ですがそれでも、間違っているかもしれませんが、貴方の強運におすがりしたい。戻ることをお許し頂けないでしょうか」
「それは、あなただけ?」
「はい」
「私一人では待ち伏せられたらどうしようもないのわかってて?」
「先ほども話していらっしゃいましたが、抵抗しないでください。そうすれば殺されません」
「随分と扱い悪いのね、相変わらず私は」
不満げに言ってみる。
「申し訳ございません」
「一緒に戻るのは? ……無理ね。足手まといだものね」
私はため息をついた。ヴィルマは無言で肯定した。
「でもなぜ? あなたが兄様の意向に背いてまで……」
「あの方を今の時点で失うわけにはいきません。この国のためだけでなく、我が国のためにも」
私は笑ってしまった。
「なんだ、結局、兄様のためなんじゃない」
「申し訳ございません」
「いいわ、っていうか、むしろそうして欲しいわ。馬は使って」
でもヴィルマは辞退した。考えてみれば私が迷子になっちゃうものね。
「でも大丈夫? 追いつく?」
「ええ。間に合います。多分」
決まったからには急ぐに限る。馬から降りて膝を折って礼を尽くそうとする彼女を押し留めて、私は言った。
「そんな事いいから早く行って。ただし」
「はい」
「兄様を悲しませるようなことになったら許しません。……また、後で会いましょう」
「かしこまりました。……必ず」
言うと、ヴィルマは背を向けて走り出した。
「……はっやいなあ、本当に」
彼女の姿もあっと言う間に森の木々に隠れて見えなくなる。私はため息をついた。
「……行きましょうか」
馬に向かって呟いて、とぼとぼと歩を進める。馬は勝手に歩いてくれて、私はそれを邪魔しないようにだけ気をつけた。
「賢い子ね。あなたの名前をカルに聞きそびれたわ。失敗しちゃった」
彼の名前を口にした時、妙に泣きたくなってなんとなく空を見上げる。すっかり暗い雲が覆い光は見えなくなっていた。森の緑の香が強くなっている。近くまで雨がきているのだ。
「急ぎましょう」
そう口にしながらも、まるで急ぐ気にはなれない。
知らない場所に一人で放り出された気持ちを、力強い馬の存在が慰めてくれていた。それでもやっぱり……。
「また、一人になっちゃった」
何げに出た言葉が自分に向かってくる。守られているようで、実は取り残されたのだ、と思った。いや、でもやっぱり守ってもらっている。その価値が私の地位にあるから。……本当は何も出来ないのに。行き先さえ、この馬頼みなのに。
私はいつだって……いつも、こうで……。
と、急に馬が止まって不満気に頭を振った。
「あ、ごめんね。あなたは良くしてくれてるわよ、えっと」
私は自分を運んでくれてる馬に慌てて言う。なんだかこの子には通じてる気がするんだもの。
「あなたがいてくれてとても嬉しいわ、ご主人様より素晴らしいわよ」
カルの愛馬はブルッと体を震わせると、また進み出した。だが、さほど行かないうちにまた止まってしまった。
「どうしたの?」
馬は不愉快そうに鼻を鳴らした。
私は周りを見渡した。特に変化はないように感じる。人の気配はない……いや、今、微かに遠くで金属音がしなかった? 戦闘?
背中がゾクッとして手綱を握る手が汗ばむ。行かないと、早く。
と、顔にポツンと冷たいものが当たった。雨だ。降り出した。
そして雨や森の湿った匂いの中に、違う匂いが運ばれてきているのに気がついた。金属のような匂いと、それを上回る生臭い何か。……生き物が死んだ匂い?
後ろを振り返る。さっき金属音がしたと思った方角。でも、わかってた。そっちじゃない。私は匂いが漂ってくる方に向き直った。
前方、私が向かう城の方向に。




