2. ああ……
「ようこそ、リリアス王女」
吊り橋を渡り切るとその男は言った。どこか笑いを含んだ声で。
私は顔を上げて答えた。
「出迎えの心遣い、嬉しく思います」
服はぼろぼろ、靴も履いていない。たいした姫君だが、どうみても黒尽くめの男は従者。下を向くわけにはいかない。
男は前が見えているのかというほどフードを目深く被ったまま取ろうともしない。と、いきなり、「失礼」というと、私を抱き上げた。
「な、何? ……ぶ、無礼者!」
待ってよ、本当にいきなり何なの? おろしてよ!
男は冷静に答えた。
「失礼、王の元に連れて行くだけです。その足で歩かせるわけにはいかないので」
そう言って、舗装されてない山道を私を抱えて大股で歩く。
そうだけど、いや、まあ、そうなのですが!
私はとりあえずしがみつきたくないので、体に力を入れてバランスをとる。この髪も服も黒い黒男は、なんでもないように歩いていく。見かけよりこの男、力があるのだ。
程なく木々に囲まれた開けた場所に出た。そこには天幕が四つ建っていた。
男はその中で一番大きな天幕に私を連れて行くと、「入るぞ」と言って、返事も待たずに中に入った。
「……どうしたんですか、一体?」
中には男性が一人だけいた。
黒尽くめ男と似た背格好。髪は少し長いが同じ黒髪で、均整のとれた身体つきをしている。服装はしかし黒ではなく、刺繍のほどこされた乳白色の足元まで覆う服と濃い青色のマントを身につけている。服装のせいだろうか、雰囲気がどことなく柔らかい感じがする。
顔は……よくわからなかった。
口元と目元をのぞいて顔を覆う仮面を付けていたからだ。
名乗られなくても誰かわかる。
これが、ルイフェン王国の国王ヴィデル2世、仮面の王……。
この国の新王、私の婚姻相手だった。
王の近くで黒尽くめ男は私を降ろした。
天幕の中には植物の模様が織られた毛足の長い美しい絨毯がひかれていて、足裏の柔らかさにほっとする。
「俺は何にもしてないぞ。勝手にこうなったんだ」
黒男が言う。
私は途端に恥ずかしくなった。この、顔がわからないとはいえ、均等のとれた美しい姿形をした王の前であまりに自分はみすぼらしかった。
「お恥ずかしく存じます、陛下。橋を渡るのに……」
私が言い訳を終える前に、王は側まで来ると自分の艶やかな光沢の青いマントを脱ぎ、私の肩にかけた。マントの重さと共に、ふわりとした甘やかな香りと温かさに包まれた。
胸が思いもよらない高まりを見せ、それが悟られなかったか、一瞬心配になる。
「我が国へようこそ、美しい花嫁殿。つらい道行を謝ります。別天幕に着替えが用意してあります。温かい食事も用意させていますので、このような野の中ですが、一晩ゆっくりお休み下さい」
落ち着いていて柔らかな声だった。そして予想以上に丁寧な物言いであった。張り詰めていた緊張感と警戒心が緩む。
やっぱりさっきの吊り橋は我が兄王の発案に違いないわ。
が、そんな気持ちにすぐに水がさされた。
「その前に話す事を話しとけよ」
黒男が言う。さっきから傍若無人な物言いといい、何なのだ、この男。憤りと共に男の方に目をやると、驚きが顔に出ないよう努力する必要が生じた。
黒男はフードを外しており、そして……仮面をつけた姿をあらわにしていたからだ。
王と同じ仮面。一体何だというのか、この国は。この王と従者は、私の婚約者は。
黒男の言葉に、ヴィデル王は軽くため息をついた。
「……そうですね。そうすべきでしょうね。先に少し話に付き合って頂けますか?」
そう私に笑いかけた……と思われる王の表情は、仮面に阻まれ見えない。