10-3.
「姫様はこちらへ」
ヴィルマが今しがたカルが乗ってきたほうの馬に即す。私がそれに従おうとしたらカルが引き留めた。
「あ、お前はこっち」
「え?なんで?」
「俺の馬の方が力あるから」
「もしかしてあなたと二人乗り?」
「それ以外どうするんだよ。また歩くか、一人で。まさか乗れないのか?」
「……よろしくお願いします」
って言うしかないじゃないっ。
カルは、よし、とか言って手綱を握って私に乗るように指示した。彼の馬は確かにもう一頭より大きくて力強く見える。とりあえず私は馬によろしくね、と言って騎乗した。
「馬に乗れないって言われたらどうしようかと思ったぞ」
カルが言いながら背後にまたがって手綱を握った。当たり前だけど体が密着する。居心地が悪いなあ、ともぞもぞしていたら、彼の左腕が背後から抱きしめるように腰にまわされて危うく声が出そうになってしまった。
「行くぞ」
後ろの人は冷静な声で言うと馬を動かした。私たちの後方にヴィルマがついて来る。すぐに小道に行き当たった。カルは片手なのに手綱捌きに迷いがなく、そして彼の馬はそれに力強く従順に応えていた。賢い子ね。
そんなわけで乗り心地は思ったよりずっとよかった。ただ、右脇腹に添えられた左手が気になって仕方ないだけで。
「う、馬が手に入ってよかったわね。予定より早く着きそうじゃない?」
緊張が伝わらない事を願って、とりあえず話しかけてみる。
「ああ……」
カルはたいして興味もないと言いたげな力のない相槌をした。
どうしたのかな?
私は背後の彼を見る事は出来なかったが、どことなく難しい顔をしているのが伝わってくる気がした。
「どうかした?」
私の問いに被るようにカルが言葉を発した。
「もし、捕まりそうになったら下手に抵抗せずに捕まっとけよ。そうすれば死にはしない、多分」
「え?」
その言葉に納得できない。最初と話が違うんじゃないかしら。
「どういうこと? 私が死んだ方が好都合って話じゃなかった?」
「そうだと思ってた。ていうか、俺ならそうする」
……もしかしてこの人、好戦的?
「だが違うらしい。殺すより手に入れる事を目論んでいるみたいだ」
それ、いったい誰からの情報よ。
「待って。凄く今更だけど、私たちの敵はそもそも誰なの?」
カルは僅かな間ではあったが、確実に言い淀んだ。
「……元王太子だ」
別にさして驚きはしない。むしろ他にいたらびっくりする。たけど……。
「ご本人が関わっていらっしゃるの?」
「わからない」
にべもなく言う。
待って、じゃあ。
「私を誰が欲しがっているの?」
「当人だろうな」
「何で? 兄様を敵に回さないのは賢いと思うけど、仲良くはしたくないんでしょ?」
「そうだと思っていたが、違うらしい。どちらにしろあの人がお前の国と上手くやるなんて今更無理なんだから、一気に切って帝国に媚びを売るつもりと思ったが、そうできない訳でも出来たか……先に体裁を整える事にしたか」
「体裁って?」
馬の走る音に合わせて風が頬を撫でていく。それが、少し痛く感じた。
「あんたはこの国の王に嫁ぎに来たんだ」
「うん」
「つまり厳密に言えば、ヴィデル王に、ではない」
「ああ、まあ」
「逆に言えば、あんたの夫がつまりはルイフェン王国の王である、とも言える。正式に娶れば、マティアス王も表だっては何も言わない」
「面白くない話ね」
私の声は明らかに固くなっている。面白くない。
全く、どこに行っても私の意思はないに等しい。そのくせ奇妙に思えるほど存在感だけはあるのだ。私の形をした別の誰かがいるかのように。
「どんな方なの、元王太子殿は」
「お、乗り換えるか?」
カルがふざけた声で笑う。でも全然面白くないから。
「聞いただけ」
私はその気持ちをそのまま声に乗せて伝える。悪い、と言われると同時に、なぜか私を支える左腕に力を入れ直したのがわかった。
「どんなって言っても、正直、知らん。ずっと城にいたような人だよ」
それはそうか。いくら現国王の側近でも、王太子の人となりなんて詳しくはわからないか。
「廃嫡されたのよね」
「正確にはきちんとした継承を示すような儀式は元々やってなかったんだ」
「そうなの?」
「でも、先王の第一子の男子で正妃の子だ。彼以外の人間が王位を継ぐなんて誰も考えなかった」
それはそうだ。なのになぜ?
「それが何を思いついたか、先王が死ぬ間際になって第二子の妾腹の子を王にすると言って、遺言まで書きやがった。すっげえ迷惑」
カルの体がに力が入ったのが分かった。
「なんでまた?」
「知るかよ。ただ面白がっただけじゃね?」
そんなバカな。
私の心のざわざわに反して馬は安定した繰り返しのリズムを体に伝えてきていて、つられるように会話が続く。
「変わり者だったんだ。だからウーヴェルの一族の、それも気が強いことで有名な女に手を出して孕ませたりするんだ。あー、マジでいい迷惑」
カルは強い口調で言うと馬の足を早めた。私はしっかりと捕まえていてくれる左腕にすっかり慣れて安心して考えを巡らす。
迷惑と思ってもそこまで言ったらヴィデル王は生まれなかったわけで。
この国では慣習として世継ぎに関しても王の意向が絶対だ。特に遺言は必ず実行されなければならない。とはいえ、確かにいくら変わり者でも流石に無責任だわ。
……でも、おかしい。私の先王の印象と違いすぎる。私が国で学んだ際に感じた姿は、難しい問題が生じた時にうまくやり過ごす、バランス感覚に優れた戦略家の王、というものだった。もちろん机上での話なんて実際と違うと言ってしまえばそれまでなんだけど。
でも、本当に計算されていたのだとしたら? 初めから第二子に王位を譲りたくて機会を狙っていたのだとしたら。
ヴィデル王はまだ庶子としてだけの扱いの時に、東方民族と帝国との間に起きた戦に自国の兵を率いて参戦している。その時に負けて総崩れを起こしそうだった帝国軍を立て直してギリギリ勝たせた立役者だ。帝国から勲章ももらったと聞いている。そしてその頃、この国の先王は病床についていたはず。だから元の王太子は国王代理として国に残っていて……。
「元王太子殿は無能?」
思わず声に出して言ってしまった。流石に人の国の王族なのに。だが、カルはぼそっと答えた。
「さあな……周り次第だ」
それはダメって事では。私は自分の想像におかしくなって笑ってしまった。充分にあり得る話だもの。
「なんだよ」
「いえ、間に合ってよかったなって」
何が本当に起こったかは知るべくもないが、おかげであの美しい人が王になり私の夫になるわけで。
「なーんか知らんけど。とにかく話を戻すが、そんなわけで抵抗するなよ」
「でも、なーんかやだな。元王太子殿がどんな方にしろ」
カルの言い方を真似て言い返す。
「あ、面食いだぞ。だからってのもあるかのなあ。というかあの一族は全員面食いか」
「あら、だったら、私に会ったら気が変わっちゃうかも。殺されるのは困るわ。あ、でも一族なら陛下もそうってこと? やだ、どうしよう」
なんだか申し訳ないわ。
「……お前さ、本当にもしかして馬鹿?」
「失礼ね! それにお前って言うのも……!」
私は思わず首を上に向ける。と、体がぶれた。わっと一瞬思ったがカルが腕に力を込めて体勢が崩れずに済んだ。
「ご、ごめん」
「ったく。だいたいさあ、王の顔も知らんくせにさあ、何を期待してるか知らないけど、めでたいことだな」
「いいじゃない別に。あなたの顔だって今朝まで知らなかったわよ」
「確かに」
カルの笑い声が上から降ってくる。
「それにそもそもこの国に来るなんてこと、つい最近まで知らなかったのよ。旅の間くらい夢見てたっていいじゃない」
「それ聞くとちょっとは同情したくなるな。恨む先は兄貴にしといてくれ」
明るい声で言われ、なぜか顔が見たいな、と思った。視線だけ上げてみるも見えない。
その代わり、彼の温かな体温と支える腕の痛いくらいの力強さと、手綱捌きに合わせた筋肉の動きが伝わってくる。私は胸の奥が重く動いて、思わず目を瞑って息を深く吸った。
「さてと、では、お待ちかね」
「え?」
「愛しい王様の居城だぞ」
そうカルが可笑しそうに言うのと、森を抜けるのは同時だった。目の前が、開けた。
 




