10-2.
ドス、と何かが落ちるような音がした。私はまだ立っていたし、どこにも痛みはない。不思議に思って恐る恐る目を開くと、目の前に男が変わらず手を振り上げて立っていた。
喉の奥で声にならない悲鳴をあげてしまう。しかし、男の振り上げた手は何も持っておらず、足元には剣が落ちていた。目は見開かれて虚空を見つめている。やがて、ぐらっとその巨体を揺らしたかと思ったら覆い被さるように倒れてきた。
「ひっっ」
そうするつもりもなく、悲鳴が自分の口から出る。そのまま後ろに下がると男が地面に倒れた。
全てがゆっくりと目の前で進んだ気がしたが、実際はあっという間だったろう。男の背には弓矢が深々と突き刺さっていた。
私は力が抜けてその場に座り込んだ。
「姫様!」
声と共に馬の蹄の音がした。訳がわからないまま音の方に視線を向ける。カルの顔が心によぎった。
だが、「大丈夫ですか」の声と共に馬から降り立ったのは、剣と弓矢と着古したような男の服を、上背のあるその体に違和感なく身につけた女性、だった。艶のある金の長い髪を後ろで束ね三つ編みにしているのが唯一女性らしい。
「えっ……、ヴィルマ?」
「お怪我はっ」
「ない。ないけど、貴方がどうして……」
「よかった。姫様が出立された後、私も国を出たのです。でも、追いつくのに思ったより手間どりました。申し訳ございません」
そう言って膝をつく。
いや、申し訳ないも何も、ヴィルマが来るなんて全く考えもしなかった。そりゃ、国では私の護衛をしていてはくれたけど……。
「え? 私の護衛、なの?」
「はい、それと結婚式に陛下の名代としても出席させて頂きます」
ヴィルマは女騎士であると同時に古くから続く名家の出でもあった。でもそんな事より……。
「え? 兄様は? どうしよう、貴方がこんなところで何かあったら、今度こそ兄様に殺されるわ!」
ヴィルマは僅かに表情を変える。困ったとでもいうように。
「姫様、私は騎士です。死にたいわけではありませんが、貴方のために命をかける覚悟は遠にできております」
「いえ、それを疑うわけでなく」
兄様がですね、そのですね。
「失礼ながら貴方様は陛下を誤解なさっておられる。そもそも私に命令されたのは陛下なのですよ」
それはそうだろう、ヴィルマが勝手に動くわけはない。でもね、誤解してるのはどちらかというと……。
それを言おうとして別の声にかき消された。
「大丈夫か? って誰だ?」
もはや聞き慣れた声。でも、その声にほっとして心の奥が緩む気がした。
「カル……」
現れたのはカルだった。どうしてだか馬に乗っている。彼は私を見つつ声をかけたのは私の前にいる人の方だった。
「ヴィルマか。遅かったな。あ、その前に久しぶり」
「遅れまして申し訳ございません」
ヴィルマは立膝のままカルに頭を下げる。
「え? なんで? 知り合い?」
「ヴィルマも留学時代にいた。知らなかったか?」
「あ、そう言えば聞いたことが……」
カルは馬を降りるとヴィルマに立つように即す。ついでに私も立った。馬が隣で鳴きながら首を振る。この馬どこから来たの?
そう思うのに、二人はそんなことまるで気にせず情報交換を始める。なんだか、私、相手にされてない。というか、実際、私の結婚なのだし自分では事の中心にいる気でいたけれど、どうにも私は何も知らされないまま端っこにいる感じが否めない。守られているとも言えるのだけれど。
「エイスはどうした」
「予定どおり、と答えろと言われております」
「了解。じゃあ、あとは俺らが無事に着くだけだな」
「はい」
「行くぞ。抜ける」
「はい」
……何か、カルってば偉そうじゃない? 嫌な感じ。
と私が思ったことを彼が知ったわけでもないのに私の方を見ると言った。
「なんだよ、難しい顔してさ。怪我ないんだろ? こいつにビビってるのか? もう死んでるぞ」
と、転がったままの死体を指さす。あ、半分忘れてた。もはやそこじゃない。
「この馬、どこから来たの?」
私はカルが乗ってきた馬を指した。
「拾った」
そんなわけない。装備はもちろん荷が入った小さな袋までついている。誰かのものだ。またまた除け者気分。いいけれど、慣れてるし。
「言いたくないならいいけど、一応、心配したことぐらいは知っておいてほしいわ」
「確かに、ちょっとやばかったな。運がいいな、お前」
「私の事なら、死ぬかと思ったわよ。運なんかで片付けないで欲しいけど、今言ったのはあなたのことよ」
全然分かってない。
「……俺?」
「そ、そうよ」
あ、あれ? 私なんか変なこと言ってる?
カルが私をじっと見た、と思ったら思いっきり腕を掴んで引き寄せられた。
なんなのか問う間もなく、いきなり抱きしめられる。何でそうなるか全くわからない。
え? いちいちわからないんですけど。何なの⁈
混乱しているとカルが離れた。というか、ひき剥がされて、尻餅をついていた。ヴィルマが首根っこ掴んで引っ張ったのだ。
「いってーな、この、馬鹿力女!」
「姫様に対しての無礼な行いは、例え貴方でも許しません」
ヴィルマは私を守るように立つときっぱり言う。
そうだよ、その通りです。彼は態度を少し……。
と、カルはため息をついて、あさっての方角を見た。そしてまた、ため息を小さくついた。
なんだか様子がおかしい、気がする。ため息なんて。怪我したとかそんな事でもないだろうし、どうしたんだろう。
私はカルに近寄って、まだ座り込んでいる彼の横に跪いた。
「どうかしたの? 大丈夫?」
カルは再び私をじっと見た。それから私ではなくヴィルマに向かって言った。
「こいつ、ちょい無防備過ぎない? 大丈夫か?」
「ちょっと、何よ。人が心配したのに! だいたいこいつって言い方……」
私はカルに文句を言いながら、同意を求めてヴィルマを見た。だけど彼女は額に手を当てて困ったような顔をしていた。その仕草は私の期待に反してカルに同意する事を示していた。
「え、どうして。何で⁉︎」
どうしてよ、私が何をしたと……。
そんな私の言葉を無視してカルが立ち上がる。
「さて、遊んでないで行くか」
……遊んでたの?
むっとしたが、彼はそんな私に気を払うわけでもなく、再びヴィルマに言う。
「馬、交換するぞ。ここまで連れてきてくれてありがとうな」
そして、ヴィルマの乗っていた馬に近づくと鼻先を優しく撫でた。だが、馬はいななくと鼻面を思いっきり振った。
「怒るなよ、お前を連れて行けない時もあるんだって。悪かったってば」
カルは緑の瞳を細めて笑いながら話しかけた。凄く楽しそうに。私は自分が、まだ道半ばなのに、ずっとこうしていたいなと感じていることに気がついた。




