9-1. 逃げる
「この先の道だけど」
いきなりカルが道の途中で立ち止まって話し出した。
秋の日差しは傾きが早い。どこかに一日の終わりの予感をさせながらもまだ日は高く、明るい木漏れ日が降り落ちていた。変わらず鳥の鳴き声と虫の声、そして葉が風になびく心地よい音がしている。けれど少し風が強くなっているのに私は気づく。
「この細道を行くと、森が開けたところに出る。小さな広場みたいな感じかな。そこに出たら真ん中を横切らずに、その縁をぐるっと森に沿って歩くんだ」
「……うん」
「で、そうするとまた小道が見つかる。この道よりは広いから見落とす事はない。その道をしばらく行くと……」
「うん」
「王城が見えてくる」
「ああ……」
やっと、やっと目的の城。もうすぐだ。
「そんなわけでさ」
カルが弾む声で言った。
「ここから先は一人で行ってくれ」
「えっ?」
私は驚いて声が出る。いや、正確に言うと多分、驚いたわけではない。ただの疑問と不満。どこかで予感はあった。
「どういう事?」
「そのままの意味」
「あなたはどうするの? 私をここで放り出して」
「別に放り出しはしないけど、あー、あれだ」
「何よ」
「腹が痛い」
「……はい?」
私は眉をひそめた。何のことよ、むしろ元気そうなくせして。
「あれかな、朝飯を調子に乗って食いすぎたせいかな、腹痛いんだよ。でな、まあ、そのな、そろそろ限界なわけで」
「……何が言いたいの?」
「いや、いろいろ高貴な姫君を前にして巻き込んじゃいけない案件だと思うんだが、どうしても詳細を語って欲しいなら……」
「いえ、結構」
私は手のひらを彼に向けて話を遮った。まったく、何が姫君よ、ここぞとばかりに。
「わかってくれて何より」
カルはニコニコして言った。私はその顔を見てイライラする。
その時低いゴロゴロというような音が響いた。私は反射的に振り返った。別に何もない。木漏れ日の中を道が続いてるだけだった。
「ただの雷だ。……雨が来るかな」
「……そうね」
カルの言葉に顔を上にあげる。木々の間から見える空は青いままだったが、確かに風が湿ってきている。
「ほら、行けよ。さっさと着けば降られずにすむぞ」
笑顔を向ける彼に私は頷いてから背を向けて歩き出した。
何かはわからない。わからないが、彼が嘘に乗れというのなら、そうするしか私に選択肢はない。
カルの存在を背後に感じながら一人歩く道は、今しがた歩いてきた続きの同じ小道なのに、ひどく別のものに感じた。何だろう、胸の奥が痛くて、呼吸が浅くなる。
「おーい」
すぐ後ろからのんびりした声がした。
「一応さ、できればもう少し早く行って欲しいんだが」
その声で早歩きしようとして、足がもつれた。
あれ? どうした? 私。
後ろから軽い溜息と共に大股の足音が聞こえたと思ったら、片腕をつかまれてグイっと引かれた。勢いのまま私は振り返る。
明るい緑の瞳が私を見ていた。仮面は、ない。
「そう緊張しなくてもさ、すぐ追いつくし」
「……ええ、ああ、そう。そうね」
我ながら返事が冴えない。
カルが笑顔で言う。
「顔固いぞ。女は笑ってるほうがいいな。ま、あんたは綺麗だからいいけど」
「あんたって言うのもやめて。あと、からかわないで」
心の余裕ないのに。
「からかってないぞ?」
「何?」
私が彼を苦々しい思いで見上げると、カルは呆れたような顔をした。
「何ってさあ……。まあいいけど。とにかく、大丈夫だから、雨降る前に城まで着けるようにさっさと行け、な?」
私は頷くと彼の顔から視線を外した。が、腕を離されなかった。戸惑って顔を上げると同時に引き寄せられた。
え?っと思う間もなく顔が近づく。唇に柔らかいものを感じる。驚いて目を見開いた、と思うのに何が起こっているのかわからない。唇が離れる。カルの顔が、輝く緑の瞳が間近にある。綺麗だな、と、どこか頭の片隅で思う。
「生き延びろよ」
カルが低く強い声で言った。返す言葉がでないまま彼を見つめ返すと、カルは笑顔を作り、そして強く私の腕を押し出した。
「行けっ」
その声を背に、私は走り出した。
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カルは守るべき姫君の背が小道を曲がって見えなくなるまで見送ると、「やれやれ」と独り言ちて首を回した。それから軽く肩を回したりしていたが、その動きを止めて、来た方の道に視線を向ける。
ほどなく馬の蹄の音が聞こえてきたと思ったら、一頭の馬が現れた。馬上には騎士風の格好をした若い男が一人跨っている。
「よお、久しぶりだな」
カルは彼らしい明るい声で声をかけた。だが、その青年は答える事なく、無言のまま腰につけていた剣を引き抜いた。




