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7-2.

「疲れたか? 少し休むか?」


 しばらく歩いた後、カルは言った。昨日に比べてずっと言い方が優しくなっているなあ、と思う。


「まだ大丈夫。早く城下に付いてしまいたいわ。あ、それとも、その方が危険なのかしら?」


 王の足元でも危険があるとなると、結構問題だけれど。


「嫌、それはないんだが……」


 なぜかカルは言葉を濁す。そして歩く速さを落としてくれながら呟くように言った。


「やっぱり、ユニハのところに置いてくるんだったな」

「だから、嫌だってば」


 私は後ろを歩きながら言った。


「強情だな」

「これでも一応覚悟を持って国を出たのよ」


 花嫁となる者は一度自国を出たら安息の地はないかもしれないからだ。もっとも私にはそんなもの、はなっからないけれど。


「マティアスも分かってて、危なっかしいことさせるよな」

「兄様だもの」


 あなた達もね、と、付け加えるのはやめておいた。

 と、カルは私を振り返って言った。


「場合によってはあんたを殺すって案もあったんだ」

「……はい?」


 殺す? 私を? 暗殺すると言うこと?

 その事実は私を怖がらせはしたが、それほど驚かせはしなかった。が、続く言葉は予想外だった。


「もちろん表向きだけどな」

「え?」


 カルは再び前を向いて歩きながら話した。


「場合によっては病死でもしたことにして、婚姻を破棄するって案もあったんだ」

「どう言うこと?」


 私の脳裏に美しい仮面の王の姿が蘇る。


「こっちの状況も流動的だからな。それに今、新たな問題を抱える余裕がない。あんたがどういう人間かもよくわからなかったし」

「……つまり、今からでも私に死んだふりをして国に戻れと?」


 カルの声は落ち着いていてどんな表情で話しているのか想像できない。でも、おかげでこんなところを歩かされている理由が腑に落ちた。つまり、二重の意味で私の存在を隠してしまいたかったわけだ。


 カルは私を見ることなく話を続ける。


「違う」カルは強い声で否定した。「それに戻れない。マティアスの目的はあんたを国から出すことだったから」


「……そう」


 胸が少し痛くなって息を深く吐いた。


「兄様にそこまで嫌われていたのは悲しいものね」

「それも多分違う。……あんたもあいつも面倒くさいな」


 言ってる意味がよくわからなかったが、とりあえず、この男に言われたくない気もする。あ、でも、単純そうだものね、この人。


「まあ、マティアスは笑いながら可哀想にって言って首を刎ねるタイプだしな。面倒な男だ」

「あー」


 恐ろしい光景だったが、容易に想像ができた。だからこそ、兄は若くしてあの国を治められている。


「そうね、きっと。……この国の国王はどうなのかしら?」

「え?」

「陛下よ。あの方、穏やかそうな方だとお見受けしたけど、本当のところはどうなの?」

「あいつね。あいつは、可哀想がって詫びながら躊躇なく首を刎ねるタイプだよ」


 私は思わず目を瞑ってため息をついた。


「どっちもどっちね」

「そうだな」


 カルは楽しそうだ。それはそれでどうなのかしら。


「あなたは? ……あなたはどうなのカル?」


 私は聞いた。腰にある使い込まれていそうな剣は飾りには見えない。


「俺? 俺は必要なことをするだけだ」

「……」


 言葉を返せなかった。カルの声はあまりにいつも通りだったが、なぜか私は背中がゾクッとした。


「逆に聞くが、何で逃げ出さなかったんだ? できなくもなかったろう?」


 カルがいつも通りの明るい口調で聞く。


「逃げ出す? それで私に一人でどうやって生きていけと?」

「まあ、難しいな。でもユニハに助けを求めるとかさ、やりそうだがな、あんたなら」


 いったいどう言う評価なのだろう。そんなに無鉄砲に見えるかしら。そんな私をちらっと見てカルは続けた。


「もし好きに生きられるとしたら、何がしたい?」

「はい?」

「夢だよ、夢。何がしたい?」


 私は思わぬ質問に面食らった。久しく私に望みを聞く者なんていなかったし、いつからか自分でも考えなくなっていた。ただ時間が刻まれ過ぎていくのを見つめるだけの毎日だったのだから。


「ないのか?」

「うーん」

「例えば、結婚は違うのか?」

「なんの話?」

「結婚に期待してたんだろ? 例えば政略結婚ではなく愛人と、とかさ。逃げてれば叶ったかもよ」

「考えた事もないわ……。でも、そうね……」


 私は夢想してみた。温かい家庭、素敵な旦那さま。優しく私に話しかけてくれて……。


 なんて素敵だろう。考えた事もないくらいに遠い生活だが、ずっと昔に憧れていた気もする。ふと、目の前を歩く人の背が目に入る。何故か胸がドキッとして、えっ? と思う。


「……素敵ね。素敵だけど……」

「けど?」

「……ねえ、この婚姻に元々は国王がのり気でなかったのはわかったけれど、無意味と思っていらっしゃるわけではないのでしょう?」

「当たり前だ。若い国王が着実に周辺国と友好関係を結んでいけているというのは、強いアピールになる。両国王ともに」

「それなら、やはり、無事に城について私自身が式にでないと」

「それでいいのか?」


 カルは立ち止まって私を見た。私は彼の仮面の奥の瞳を見返す。


「私は私のすべき事を果たすわ。そのためにここにいるの」


 私の役目を果たす。悲劇でもなんでもない。果たすべき事があるのだから。それは、小さな個人の望みなどと比べ物にならない。

 母さまの顔が、浮かんだ。たった一つの私情がたった一つの苦しみになってしまった人。


「……上出来だ」


 カルが低く呟いた。私ははっとして目の前の男を見る。当然、表情はわからない。


 この人、私を試すためにこの話をしたの? 考えてみれば王の側近中の側近のはずだ。兄様の話をだされたり、仮面騒動もあってつい話しすぎてしまったけれど、もう少し慎重になったほうがいいのかもしれない。


「ま、とりあえずそろそろ休憩しようぜ。腹へらないか?」


 カルはいきなり楽しげに言うと、私の答えを待たずにその場に座り込んだ。しかたなく私も横に座る。


 はい、とパンを懐から差し出して渡してくれた。クルミとベリーと干し肉が練り込んで焼いてある丸いパンで、ユニハが持たせてくれたものだ。美味しくて元気になる。ユニハはきっと、素晴らしい料理人にもなれるわね。


 食べ終わる頃にタイミングよくカルが皮の水筒を渡してくれて飲む。どうやら昨日と違って水筒はこれだけらしく、人と同じものに口をつけるということに、ものすごく抵抗を感じたが仕方ない。そもそも昨日は布の袋に荷物を入れて彼は持っていたが、今日は手ぶらで身軽だ。もう今日中には到着するからだろう。


「海見たことあるか?」


 カルが唐突に聞いてきた。


「はい? 海?」

「そう。あるか?」

「いいえ」


 私は答える。母国は北方が海に面していたが、険しい山脈の向こうで当然私は行ったことがない。そして、今いるこの国には海がない。


「海、見ること、が俺の夢」


 唐突な告白に面食らう。


「ないの? 見たこと?」

「ある。帝国に留学中に見にいった。綺麗だったぞ。青くて広くてどこまでも行けそうで」

「それならいいじゃない? 落ち着いたら陛下に言ってお休みもらってまた行けば?」


「そうだな」カルは笑う。「でもさ、行くの結構大変なんだ。金もかかるし」

「遠いしね」

「通行料高いんだぞ」


 そうなんだろうな、と思う。南の海に出るには街道に沿って帝国内を突っ切らねばならないが、主要都市を通るたびに外国人はそれなりの額のお金を払わなければならない。


「そんな金、払いたくない。払わずに行きたい」

「できなくはないのかもしれないけれど。裏道抜けるとか? でも全く払わずは無理じゃない?」

「昔はできた」


 昔? いつの話よ。


「昔、創始の弟王が海に抜けて再び旅立った道を、俺も自由に歩きたい」


 ……何を言い出すの、この男。


「冗談? 創始の弟王っていつの時代よ。今やろうとしたら……」


 帝国と交渉する、しかない。出来なければ戦う? どちらも無理だ。勝算は無い。


 カルが私を見た。どんな表情をしているのかわからないままに、なぜか、私は背中がモゾモゾして誤魔化すために背筋を伸ばした。


「まあね、夢だものね、夢にふさわしい物語ね」


 私はわざとらしく肩をすくめた。


「ああ、いいだろう?」


 そのあっけらかんとした声に小さく苛立ちを感じて眉をひそめる。


「正直、馬鹿馬鹿しいわ」

「そうだな、俺が年老いた農夫とかなら馬鹿馬鹿しくも楽しい夢物語だが」


 そういってカルは立ち上がった。


「だが、王が見る夢としては悪くないだろう?」


 そう明るく言った彼の肩越しに、煌めく午後の陽が私の目をさす。樹々の向こうの抜けるような青空がまるで本でいつか読んだ海のようで、その美しさに私は目を細めた。


 彼はそんな私に手を伸ばす。そして私は素直に手を取って立ち上がりながら、あの咆哮を再び聞いた。


 地を震わすような、獣の声を。


 


 

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