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6-2.

 机の上にはいくつかの入れ物と火のついた小さな燃焼ランプと、その上で物を温められるように台が置いてあった。

 ユニハはそこに陶器の片口の器をのせた。ぱちぱちと小さな音がして、草木のような爽やかな良い香りが漂ってきた。それからその器を火から下ろして机上に置く。  


 そしてその近くに置いてあった籠から、大事そうに両手でガラス製らしい半透明の球体に近い容器をとりだした。中身がランプの火の光を反射しながら揺れた。液体のようだった。


 なんだか不思議な気持ちがする。この爽やかな青い香りのせいだろうか。隣のカルを見ると、彼も神妙そうに黙って立っている。

 ユニハが、ガラスの上の出っ張りについていたコルク栓を外した。特に何の香りも変化もなく、ただ中の透明な液体が揺れた。


「あ……」


 でも、私にはわかった。この中身は水だ。ただの、でも不純物の入ってない、どこまでも澄んだ水。


 思い出す光景がある。泉近くのあの小さな城の、あまり手入れの行き届いてない草と花だらけの庭で、母さまが笑っている。


「ほら、見て、リリアス! 目を離しちゃダメよ」


 母さまは、ちょうど顔の前あたりで両手を何かを包み込むかのような形にする。じっと見ているとその手の中に何かが少しずつ揺れて煌めいて、やがて透明な球体になる。

 幼い私は嬉しくて楽しくてきゃっきゃと声をあげる。母も笑いながらその球体を青い空へ向けて放り投げる。それは私たちの頭上高く飛んで止まると、一瞬ふるっと揺れて、そして弾ける。

 細かな水滴が慈雨のように優しく降り注いで、光がきらめき虹をつくる。私ははしゃいで飛び跳ねる。


 そうだ、今、目の前にあるのは……


「母さまの水ね?」


 ユニハは私を見てにっこり笑うと、大事そうに容器を両手で抱えてそっと片口の器に注いだ。


「……最後の聖水です。上手くいきますように」


 ユニハが呟くと器を再び火にかけた。何か小声で言っている。よく聞こえないが、たぶん私では理解できない言語だ。でも、祈りの言葉のような気がした。


「……ありがとな」


 ボソッと隣にいたカルが言った。


「え?」


 私は彼を見る。


「大事なモノを俺のために使わせた」


 カルの視線は火と器に注がれたままだ。

 彼の言った大事なモノが、私の髪なのか最後の母の聖水かはわからなかった。火は温かい色で燃え、風は穏やかで、ユニハは柔らかな低い声で祈るように呟いている。


 私は青銅色の仮面をして表情のわからないカルを再び見てそれから言った。


「ううん。母さまはたぶん、喜んでいると思う」

「そうか」

「うん」


 母はそういう人だった。困っている人を放っておけなかった。それから私と笑い合うのが好きだった。みんなを笑顔にした人だった。


 その母の唯一の罪である私。そして母が誰よりも愛した私。

 涙が滲んだ。そうだ、私は愛した人から愛を受けていた。例え、この身が罪でも。

 そして、だからこそ、私は私を投げ出す事ができないまま、こんな何処まで……。


 ふいに、今自分がここへ導かれて来たんだ、という気がした。一方でそんな自分の感覚を打ち消す。偶然を信じるほど呑気ではない。


 ユニハの呟く言葉の調子が変わる。そして彼は切られた私の髪の一筋をそっと火の側に寄せた。それは絡め取られるように火の中に消えていく。

 焦げた匂いでもしてくるかと思いきや、何故かより強く草木のような良い香りが漂う。


 ユニハは何度かそれを繰り返した後、火を消すと別に杯を用意した。飾り気はないが両側に持ち手のついた脚の高い白い杯で、美しいものだった。そこへそっと片口から中身を注ぐ。


 注がれたそれは青みのかかった薄い紫色をしており、少し甘さを含んだ爽やかな良い香りがしていた。


「少し熱いですからね、ゆっくり飲んで下さい」


 差し出された杯をカルは手にとり中身を覗き込む。が、なかなか口にしない。


「どうしたの?」

「いや、まあ」


 カルは口を濁す。


「熱いの苦手ですもんね。ゆっくりでいいですよ」


 私は横で杯を持って立ったままのカルを見て、笑いが溢れそうになるのを我慢した。熱いの苦手って何だか可愛いんだもの。


 でも、それだけでもない気がする。

 良い香りがするし、綺麗な色だし、何より母様の水だし、絶対悪いものではないって分かるんだけど……。


「飲んでみるか?」


 カルが不意に私を見て言った。


「いえ、いいです」


 私は答える。なんだか口にしたいと思えないんだよね。


「だめですよ。薬みたいなものなんだから、ちゃんと全部飲んでください」


 ユニハの言葉にやっとカルは一口、口にする。


「お、割といける」


 そう言うとまた私を見る。


「いらないから」

「なんも言ってないだろ」


 カルは杯を睨みつけるとそのまま一気に飲み干した。


「……どう?」

「不味くはねえ」

「そうじゃなくて」


 うーんと言いながら自分の仮面を触る。外れている感じはない。


「すぐには取れませんよ。効果が現れるまで時間が……」


 その時、カルが急にうっというようなくぐもった音を出して、口元を右手の甲でおさえて固まった。


「え? 大丈夫?」


 返事はない。と、いきなり身を屈めたと思うと東屋の外まで走り出した。

 そこで膝に手を付けて半身を折る。ユニハがすぐに駆け付ける。喉の奥からの変な音が聞こえる。吐いているようだ。


「……大丈夫?」

「だい、じょう、ぶ」


 カルが途切れ途切れに言う。ユニハがカルの背に手を置きながら私に言った。


「大丈夫ですよ、吐いてはいません。気持ち悪いだけですよね?」

「よけい悪い……」

「仕方ないですね、呪いに念入りに恨みが仕込まれてますから」

「最あ……」


 カルは言い終わらないうちにまた身をかがめた。それから背中を向けたまま手を振った。

 私はユニハを見る。彼は私に向かって頷いた。


「ここは大丈夫。姫君はお休みを」


 でも、と言いたくて、言葉を飲み込んだ。確かにここにいても何も役に立たないどころか、邪魔なだけだろう。


「わかりました。先に休みます。おやすみなさい」


 おやすみなさい、とユニハが言う。カルは何も反応しない。


 心配を抱えたまま私はその場を離れた。


 


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