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 囲炉裏のある広間へ入ったチセは、息をひいて喜んだ。アサリ汁を囲うようにして、ワカメやこんぶ、茹でたカニや色とりどりの魚、島で採れる海の幸すべてが、皿にのっている。


「すごい……! 美味しそう!」

「そうだな。ここに来るといつも気後れするほど豪華なんだ」


 足が遠ざかるほどに。父はうんざりと言う。


「だがお前が喜ぶなら、今日はこれでよかった。さあ食べよう」


 右隣りに万葉を、左にチセを座らせ両手をあわせた。食前に唱える感謝の歌だ。


「──たなつもの天の神の、潮だまりのもの海神の恵みえてこそ」


 チセも共に、手を叩き息をするように唱えた。


「驚いた、ずいぶんと様になっているじゃないか」

「唱えなければ、巳の神に怒られますゆえ。あまり疎かにすると海で痛い目に遭うぞ、万葉」

「な!?」


 口パクで済ませた万葉を粛々と諌める。

 客座に座る従者や膝を揃えていた姉妹がざわついた。

 母が万葉を庇うように、父へ盃をもたせる。

 

「わざわざ唱えなくったって、この愛らしさを前にしたら、神様のほうから恵んでくださいますよ。ほら、その証拠にここに並んでいる魚や貝は、ほとんど万葉が採ってきたものなんですから」

「ほ、ほう。すごいな万葉」

「それほどでもぉ。アワビは採れたてだから格別だと思うわ!」


 すぐに気をよくした万葉が盃に酒を満たす。

 その様子を見せつけられたチセは実に悔しげに顔を歪めた。

 酒がのみたい!


「まぁいいや、酒の香りをおかずに食べよう……」


 お椀に入っているごはんも、釜に張りついた

せんべい飯じゃない。ツヤツヤの炊き立てだ。思いきりほおばり、腹を温めた。

 

「美味い〜! 最高の炊き加減だ! 誰が炊いたんだ?」


 チセのあまりの喜びように、素直に手をあげたのは百世だ。


「その、久しぶりだったから自信なかったんだけど……、成功してたなら、よかった」

「ほんとうに美味いよ! やはり生娘が炊いた飯に限るな。なあ、お父さま」

「き、生娘!?」


 三女の三葉が吐き捨てるように言う。


「チセ、お前まさか百世をおだてて、ふだんの飯炊きをさせようって魂胆じゃなかろうな」

「そうしてもらえると嬉しいが」

「飯炊きはお前のしごとだろうが! 今日はお前がいなかったから、仕方なく百世にやってもらっただけだ!」

「そう──? だったな」


 お火焚きだけでなく飯炊きも任されていたことを思い出し、げんなりとした。明日の朝はお日さまよりはやく起きなければならない。


 父はチセを元気づけようと、お椀に貝をのせた。


「このアワビの酒蒸し美味いぞ。食べてみろ」

「酒……」

「さ、酒は火でとんでいるから」

「ありがとう、お父様」


 盛大に感謝して受け取ると、貝殻に溜まった出汁の酒の香りを味わうように啜ったが。


「ぶ──────!」


 口にひろがった液体をすべて吐き出した。


「わっ、わっ、どうした!」

「きったなーい、姉様」


 クスクス笑う万葉を涙目で見やれば、同じものを平然と食べている。手もとの水で口をゆすぎながらまわりを見渡しても同じ。従者たちも実に美味そうに咀嚼している。


「みんな、どうして平気なんだ……? 私のだけ、腐っていたのか?」

「腐っているだって!? おい万葉、採れたてだと言ったよな」

「もちろんよ! なによ姉様ったら、私が妬ましいからって意地悪ばっかり」

「いや、だって──」


 チセは口をつぐんだ。

 舌触りで腐敗を感じとったが、果たして万人が気づくものなのかわからない。というのも、チセはあらゆる感性において超越していた。腐っていると感じても他人には美味で、腹も壊さないことは多々ある。

 ただその場合、呪術的な要素が濃い。


(アワビに、呪いがかけられていた……? いったい誰が。アワビをもってきたのは万葉だ。まさか万葉か?)


 ほかの料理に手をつけてみる。

 魚の身はゴムのよう。カニは枝をしがんでいるようだ。コンブとワカメにいたってはまるで人間の皮膚を食んでいるような感触がして、思わず両手で舌をこそいだ。


「ぺっ、ぺっ」

「おい、大丈夫か?」

「え、ええと」


 言い訳を頭のなかを引っ掻きまわして探す。


「そうだ、野壺だ! 野壺に落ちてから、舌がおかしくなっているようです」


 我ながら良い言い訳を思いついた。チセは胸を張ったが。

 納得いくもなにも、まさか糞が口に入ったのかと、広間はずん、と静まった。


「不憫ですな。こんなに美味しいのに」

「美味しい? なんだか私も味がわからなくなってきた」

「このアサリ汁も……、生臭いような」


 続々と食欲をなくしていく。

 実際に疑いだせば、阿曇の血が騒ぐのだろうと、チセは思った。みんなに申し訳ない気持ちもあったがしかし。


(ここにならぶ海の幸すべてがまずいなんて、かなりひどいぞ)

 

 阿曇の海域が穢れていることになる。

 そうだ、穢れ。心を荒ませるドロドロとしたものが、海の生き物に染みついてしまっているのだ。


 前述のとおり、チセは今まで一度も家族と囲炉裏を囲ったことがなかった。家族の採った海の幸を口にしたのも、今日がはじめてのことだ。

 つまり過去では、自分の知らないところで家族のみんなが毎日かかさず、穢れを取りこんでいたことになる。

 そして現在いまにいたっても。


 みんなの手がとまり、たまらず父が話題を変えた。


「そうだ! 野壺と言えば、知っているか? 野壺に落ちた人間は、死んだも同然。からだを洗い流したら転生者として名前を変えねばならないんだ。私は父に名づけ直してもらった。どうだ、今なら好きな名に変えてやるぞ」

「名、ですか」


 ──豊巫女様。


 タオの声が、頭に響く。

 巫女に即位し、日向国の天女から授かった名だ。思えば、他人からいちばんよく呼ばれていた。


「トヨ、ですかね」


 次には一葉と二葉がすっくと立ち上がった。

 広間が騒然とする。


「チセ……、お前、本気で言ってんのか」

「姉様たち、どうした? 食中に行儀が悪いぞ」

「知るか! お前がトヨの名を語るなんざ、百万年はやいんだよ!」


 十世とよとは、亡くなった四女の名でもある。今にも食ってかかりそうなふたりをとめたのは、母だった。


「やめな。お父様の前だよ」


 ふたりは同時に、血が滲むほど唇を噛んで居直った。


「チセも。姉さんたちの言うとおりだ。縁起が悪いからやめておきな」

「縁起が、悪いだって……!?」


 膝の上の拳は怒りで震えている。

 チセは「今の名のままがよいです」と深々と頭を垂れると、そのあとは黙々と飯を詰めこんだ。

 自分の愚かしさに打ちのめされていた。

 巫女の即位式の日、一葉と二葉が怒り顔をしていた理由がずっとわからなかった。

 名前だったのだ。

 自分が五つのときだったとはいえ、亡くなった姉の名前であったことを、今の今まで気づかなかったとは。

 万が一、また巫女にならなくてはならない日が来たら、豊巫女という呼び名だけは絶対に断ろうと心に誓ったのだった。


 その夜、チセは父ととなり合わせの藁布団で寝た。

 臭くて眠れないからやめたほうがいいと、万葉がとにかくしつこかったが、いつ襲われるかもしれない恐怖で眠れないのは、チセのほうであった。

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