表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/26

遅くなって申し訳ないです。汚い内容があったので、これとこの次は深夜に投稿し直しました。ご了承ください。

 南にある集落のなかでも、高台に建つチセの家は巳の国でいちばんおおきく立派なお邸だ。母が婚姻の際にたいそう無理を言って建てさせた。高床式の王の住居の倍の敷地を使い、木板を敷きつめた床をつくらせ、囲炉裏のほかにも裏手にかまどを備えつけた。かまどには供物から下げられたたまごが置かれている。腐る前に土に埋めるのはチセのしごとだった。

 家族と鉢合わせにならないよう、かまどへ直進するつもりだったのだが。


 藁葺きの門をくぐってすぐ、母が戸口から出てきた。出迎えではない。うでをふりかざし、向かってきたかと思えば次には水甕で頭を殴られ、からだがふっとんでいた。

 砂地にハタハタと血がとぶ。


「この醜女っ、水汲みはどうした!」


 チセは目をまわしながら淡々と思った。


(そうだった。こんなかんじだった)


 巫女生活で、すっかり忘れていた。

 からだを起こそうと地に両手をついて、思い出す。頭をあげたら、また殴られる。


「────っ!」


 ぶちぶちぶち。

 いやな音が頭のなかに響く。

 そうだ、また忘れていた。頭を下げたままだと髪を引きちぎられ、無理矢理顔を上げさせられるのだった。

 母はチセの顔を、細い目をさらに糸のようにして、マジマジと見つめた。


「目が腫れていない……、アザもたんこぶも、消えている。やはり、あの沼の噂はほんとうだったんだね?」


 チセは必死で過去を思い返した。


 王である父の第二婦人が日焼けもそばかすもなく、色白で美しい。その理由を聞けば、沼の水で顔を洗っているだけだと言う。それなら水を汲んでこいとおつかいに出されたのが、死に戻った日であった。


(そうだ……! しまった、占いに使ったあの水甕はわたしのもちものだった。あれに沼の水を汲んで帰らねばならなかったのだ)


 だがしかし水甕は無惨にばらけ、今も草地に散らばっている。

 母は、糸にしていた目をかっぴらいて言った。


「醜女ぇ、母さまのぶんはどうしたよ。まさか自分だけ、治して帰ってきたってわけかい……、ぇえ!? 母さまの顔はっ、肌を白くしたところで、もとがわるいからっ、意味がないって!」


 そんなことない。母さまは美人だ。

 ひと言もつむげぬままチセは顔を殴られ続け、昏睡した。それでも母の気は治まらない。ぼろ切れのようになったチセを、ずるずると稲畑まで引きずった。

 稲畑には野壺がある。

 人ふたりぶんはある、素焼きの壺だ。男はみなそこで排泄し、それを肥料に米をつくる。


「この役立たず。女になる前に死に腐れ」


 いわゆる肥溜めだ。

 チセは気を失ったまま、顔から沈められたのだった。





 顔の痛みで目を覚ますと、家の西側にある鶏小屋の藁のなかで、大の字になって眠っていた。


「いつつっ、あれ?」


 頬とくちびるが腫れあがり、じくじくと痛む。

 だが、それだけだ。

 からだじゅう糞まみれにして這い出なければと思っていたのだが。


「くん、くん。臭くくない……、むしろ、いいにおい……」

「汝、念入りに洗ってもらったからな」


 白蛇が藁から顔をだす。


「あらう、だれが?」


 巳の神は二股に裂けた舌をチロチロと遊ばせながら、話した。


「助けようとしたところで、この依代では髪の毛一本すらつかめん。どうしたものかと見守っていると、とつぜん男が現れ、救ってくれた」

「男とは」

「言えぬ。男との約束ゆえ」


 巳の神は男とひと言で済ますが、今チセの羽織っている着物は真新しい。目立った柄や刺繍はないが、真っ白で継ぎはぎがひとつもない。その肌ざわりと着心地は、価値ある人間へ丁寧に織られたものだ。それほどの着物にはじめて袖を通したのは、巫女になってから。

 タオの顔が浮かび、思いきり頭を振った。


「いつつ……、この顔の傷だ。その男も、わたしが誰かわかって助けたわけではないだろう。奇特な方だ。礼を言いたい」

「その必要はない。男は朝のお火焚きを終えると、すぐに帰った」

「お火焚き!」


 そんなしきたりがあったと、思い出した。

 毎朝、集落ごとに火をおこすその役目はチセが六つの頃から担っており、寝坊したり忘れると殴られた。


「そこまでやってくれるとは……、お会いしたかった。残念だ」


 ひと息つくと、ひどく腹が減っていることに気づいた。


「なにか食べたい」

「そりゃあそうだろう、汝の腑は空っぽも同然。たまごなら、たくさんあるぞ」


 嬉しそうに言うが、チセは眉をひそめた。

 海神の信仰の深い巳の国では、鶏はもっとも親しみ深い生き物だ。鶏が寿命や事故で死ねばその亡骸の供養に肉を食すが、たまごはちがう。供物にしたあとは親鶏へ返し、そのなかでも魂が入らず孵らないたまごは、土に還す。


 むかし、たまごを煮て食べていた男がその因果応報に、湯を溶かした大釜に落ちてしまったといわれている。チセだって、ゆでダコになるのはいやだ。


「たまごを食べたらバチが当たるってやつを気にしているのか? あれは、でまかせだ」

「でまかせ?」

「たまごには滋養があるし、なにより捨てるところがない。食べられない殻にも、傷をはやく治す効果があるんだぞ。それに安心しろ、孵らないたまごを、すでに煮たものがここにある」

「はあ」


 籠いっぱいに積まれたたまごを見て、チセは考えることをやめた。巳の神の御言であるし、なんでもいいから今すぐに腹を満たしたい。


「里のたまご、なかなかうまいぞ?」


 巳の神はひとつに牙を立て引き寄せると、おおきな口をあけて丸のみした。


「殻ごと?」

「汝、むくべし」


 人間が食べるときはむくのか。


「丁寧にむくんだぞ。薄皮がとれたら、そのまま顔に貼るんだ」

「顔に?」

「腫れがひく」


 言われたとおりに慎重に殻をむいていく。熱をおびたところに薄皮をはると、ひんやりとして存外、気持ちがいい。

 肝心のたまごの味は。


「……うんまい! 蛇はいつも、こんなに美味いものを食べているのか!」


 チセは口の端を裂いて、感嘆と言葉にした。

 黄身はもさもさとして口のなかにまとわりつくが、腹にたまりそうだ。白身はつるん、として歯触りがよい。なにより、絶妙な塩味がたまらない。


「この味つけも、助けてくれた男が?」

「ああ。たまごを煮たあと、塩水につけていたぞ」

「そうか」 歯にこびりついた黄身の後味を楽しみながら、もうひとつむく。


「うんまいな……」


 食すたびに塩味がからだにしみわたるようだ。酒で流しこめたらもっと美味いだろうに。


「うんまい……」


 しみじみと、名も顔も知らぬ恩人へ想いを馳せた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ