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死に戻り人魚は唄を詠う  作者: 紫 はなな
死に戻るまえ
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「着いたぞ。今日は一段と明るく見えるな」


 黒い海に浮かぶかがり火が国の形を表し、夜の浜辺を色鮮やかに照らしている。平和を象徴するようなその明るみのなかへ戻ってきたチセたちは、砂浜へ足をつけることができなかった。

 

「な、んだ……? なにがあった」


 血をふくんだ波が、砂浜へ赤潮のような模様をつけていた。

 浜辺は半身を啖われ、息絶える女たちで散らかり、足の踏み場がない。

 ほかの島民たちは腑を抜かれ、凪いた水面のうえで波紋を描いていた。潮が満ちる前の宴の御座で、百名の衛兵が島民を護るように弧をつくっていたのだ。そのなかで花道を作っていた侍女百名の遺体が。さらに内側には女子どもを庇う男衆の輪。幼子たちは弧の中心点で、母の腕のなかで天を仰ぎこと切れていた。

 海へも戻れず着地にとまどう虹蛇から、チセひとり砂浜へと飛び降りたが。


「タガメが、いない──」


 欲に満たされたのだ。島民をひとり残らず啖い去ったことを意味していた。頭に浮かんだのは、タオの顔。


「タオ! タオは……!」

「あなた様のタオは、ここです」


 振り返れば神殿を背にして、タオがいた。美しい立ち居振る舞いで、花婿衣裳に泥ひとつつけずに。


「タオ……! みなはどうした! わたしの留守の間、なにがあった!」

「留守?」


 タオは弱々しく笑い声をあげた。


「島民たちは芥に啖われました。巳の国は、滅んだのです」


 それからチセを見据える目に怒りを激らせ、憎悪で歪めた。

 

「まさか、巳の神が芥を生む厄神だったとは。そして巳の神をおろす災厄、豊巫女。いや芥の子よ──」


 チセを扇で差す。

 なんの余興だと笑い飛ばしたかったが、息をするたびに腑の臭いが鼻をつき、背を預ける海には遺体が浮いていた。


「芥の子? わたしがタガメを引き寄せ、島民を殺したとでも」

「ええ。この目でしっかりと見ておりました。あなた様が海へ入ってすぐに、タガメが現れた。そしてタガメはあなた様──芥の子にはひと触れもせずに、島の人々を次々と啖っていったのです。なかには、乳飲み子まで……!」


 チセは言葉を返さず、腕のなかの瓶子を強く握った。

 タオに留守を任せたのは自分だ。

 呑気に酒を取りに行って帰ってくるあいだに島を滅ぼされては、なにも言えない。


「今まで芥を思いのままにあやつり、名声を得ていたのだ。ひどい裏切りだ。かがり火は祓い火などではなかった……、芥を引き寄せる鬼火だったのだ!」


 自分のおこす火はどんな呪物も焼けば清められる、正真正銘の祓い火だ。芥を引き寄せる火など、聞いたことがない。

 そもそも芥の子は存在しない。阿曇氏族に忌み子などいない。海人族が創り出したおとぎ話だと、巳の神からは教わっている。

 チセはおろしたままの巳の神へ訊ねた。


(巳の神よ。おのれは厄神で、わたしは芥の子なのか)

(おい、失礼にもほどがあるぞ。今まで厄災から島を護っていたのはどこの神と、だれだ。我と汝ではないのか)


 上からものを言うが、蛇の目は悲しみに潤んでいる。神域が穢され、子孫が滅んだのだ。護るべき子孫を。尾は悔いで震えていた。

 蛇の涙をひと粒こぼし、言う。


(厄災を放って置いてきたのもまた、我々だ)


 罰を受けなければ。

 チセはなにを思ったか瓶子の栓を開けると、直に口をつけ、見せびらかすように酒を煽った。

 むせかえるような遺体と潮の臭いで、味などわからない。

 ただ後悔を舌に刻みこむように、飲み干した。

 タオは乾いた笑い声を上げた。


「なんの真似だ」

「肥の国へ行っていた証拠だ。肥の国の王からいただいた祝い酒だよ」

「今宵は宴。肥の国の瓶子など、島じゅうごろごろと転がっている! それともなにか? 島が滅んだ祝いの酒だとでも言うのか!」


 タオは腰の刀剣に手をかけた。天つ神から受け継いだ神剣だ。

 チセは目を伏せた。途方もなく、胸が苦しくて。


「わたしの言葉を……信じないのだな……」


 タオ。お前はいったい何を見ていた。

 ほんとうのわたしを。

 作面のなかの素顔すら知らないくせに。


「信じておりました。この目で国の滅亡を見るまでは」


 タオは弱々しくも刀剣を抜くと、その先尖をチセへ向けた。


 丸腰のチセは殺意を握り歩み寄るタオを受け入れるしかなかった。

 ただ何もせず突っ立っていたわけではない。

 タオに聞こえぬ声で呪いを詠った。

 死なば諸共。

 道連れの唄だ。

 審神者のタオが自身の手を汚し、わたしをほんとうに、殺すのならば──。


「ぁあああああ…………っ! 愛していたのに!」


 鈍い痛みが下腹部にひろがり、砂浜へ静かに横たえる。

 すると、死角になっていたタオの背後に白い花嫁衣裳がみえた。万葉だ。


 左手にはこの世にひとつしかないはずの、蛇の紋様の入った布作面が握られていた。


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