十九
「三葉姉様の張り手、母様よりひどいぞ。ジンジンする」
「なんと、彼女の体内に穢れが残っているのか」
そういう問題ではない気がする。
頬をさすりながら、藁から顔を出す。
三葉と別れたチセは鶏小屋に入り浸っていた。万が一誰か来ても藁のなかに隠れられるからだ。朝の餌やりと掃除は終わっているし、みんな天孫様、天孫様。ひと目会いたさに出払っている。
それでも時折、万葉がそばを通りすぎた。
「万葉は天孫をお迎えするんじゃないのか? 浜辺でもないのに、ここいらでなにしているんだろ」
「汝を探しているんだろ」
「わたしを?」
「本来のお火焚き娘を亡き者にしておきたいのだ」
「まさか、そんな──」
なんて話しをしているそばから、万葉が鶏小屋を横切る。その手には鋭い動物の牙でできた矛が握られていた。
「あれで頭をひと突き……ってこと?」
「ここを隠れ家にするならばひと晩が限度だ。汝、たまごをひとつ残らず集めろ」
「たまごを?」
「明朝にたつ。長旅になるぞ」
「旅! そうか、新しい依代だな」
巳の神の提案に少し胸を弾ませたチセであったが、痣のひろがった蛇の動きの鈍さに気づいた。おそらく限界が近い。
「……我は、少し眠るぞ」
「うん」
ふさぎこむようにとぐろを巻く巳の神を物陰に隠すと、チセは無心になってたまごを集めた。慣れたもので手際が良い。
気づいたら山積みになってしまい、思い悩んだ。たまごというのは意外と嵩張るものだ。
「これ、どうやって持ち運ぶんだ?」
腰に巻く巾着しか持っていない。
ぜんぶとはいかずとも、せめて三日ぶんのたまごを包む布が欲しい。小屋のなかにないものかと探していると、なんの前触れもなく戸が開いた。
入ってきたのは、姉の一葉と二葉だ。
「チセじゃないか。こんなところでなにをしている」
反射的に頭を庇う。
すると一葉と二葉が同時に深く溜め息をついた。
「お前のそういうところ、ほんとイラッとする」
「だって、カニ鍋作らなかったし……」
「チセが母様に追い出されたことくらい、少し考えればわかることだ。私たちは、なぜ小屋にいるのかと聞いているだけだ」
「たまご……、じゃなくて、お昼寝。姉様たちは?」
「私たちは藁をもらいに来たんだが。なるほど、いい隠れ場所をみつけたな」
稲藁の山のなかにおおきなふたりが潜りこむ。
「どうして、姉様たちまで隠れるんだ」
「実は私たちもクジラから逃げてきたんだ」
クジラとは、北側の集落に住む十八歳の青年だ。同年の一葉と二葉とよく連んで狩へ行っており、三人は夫婦になるのだろうなと、子どもながらに見守っていた。
「求婚されたのか」
「されそうになったから、逃げてきたんだ。あいつ、全然諦めなくて」
「どうして逃げるんだ? ふたりとも、クジラが好きなんだろ」
チセのまっすぐすぎる眼差しに、ふたりはたじろいだ。
一葉が眉を下げて言う。
「好きだから、夫婦にはなれない。クジラにはもっと女らしい、おしとやかな娘さんがお似合いだ」
「クジラはいっしょに狩りを楽しめる姉様たちがいいんだろ」
「楽しめる、か。いつまでもそうしてられない。いつか私たちはクジラを不幸にする」
二葉はバンザイをして藁から顔をだした。
「さあ、隠れている間にも作ってしまおう」
高くあげた左手には編みかけの漁網がおさまっていた。
一葉と二葉は漁のかたわら、狩りの道具だったり、藁や木綿布で編んだ籠を作る。
チセは腫れたまぶたの奥で目を輝かせた。
ふたりに教われば、たまごを運ぶ籠ができるかもしれない。
「わたしも作ってみたい! 教えて!」
チセのお願いに戸惑ったふたりであったが、藁の山の下に積まれたたまごの山を見て合点がいった。犬かタヌキか知らないが、山に住む獣に餌づけしているのだろうと。
「山登りなら、肩紐がいるな」
「ううん、水のなかを運びたいんだ」
「カワウソか? それなら結び口と……、腰紐をつけるか」
「それ、さいこう!」
「そうか」
チセの喜ぶ様子にふたりの顔がほころんだ。
顔はぼこぼこでオコゼのようだが、肩を弾ませ手を叩くしぐさは愛らしい。
それから思っていた以上に手並みが悪く泥くさかった。心が穢れたままならとうに放り出していたことだろう。だがふたりは藁の編み方を根気よく、丁寧に教えた。いつしか妹の十世に教えていたように。
「じゅうご、じゅうろく……、あれ、今いくつだっけ」
「そんなに目をとばしたら、網になってしまうぞ。ほら」
チセに教えながら編んでいた漁網を一葉がひろげる。
「ほんとだ! これじゃあたまご落ちちゃう……待って。これぜんぶ今、編んだの!?」
同時にいちから編みはじめたのに、鶏小屋の入り口を覆えるほどのおおきさになっている。
「まぁ慣れだな。二葉が藁を縄にして、その縄を使ってわたしが網を編む。だがクジラはそれを同じ時間で、ひとりでやってのけるんだ、すごいよな!」
クジラのことを、まるで自分のことのように胸を張って言う。さっさと夫婦になってしまえと呆れつつも、チセは先のことへ思いを巡らせた。せっかちな性分なもので、一石二鳥が大好きだ。ここはひとつお節介でも焼いておくかと閃いた。
(クジラの住居はたしか、イサと同じ西の集落だったな。籠が編み終わったら会いに行ってみるか)
などと思い耽っているから何度も目をこぼし、たまごの籠が出来上がるころには空が紅らんでいた。
「姉様、ありがとう! すごく助かった!」
「ついでだったからな。さあ、そろそろ帰ろうか」
「わたしは残るよ。母様に家へ上がるなと言われている」
「だからって鶏小屋で夜を明かすのか?」
ふたりは一瞬あたりを見渡したが、藁を布団にできる小屋のなかは土間よりマシかと腑に落ちた。
「それじゃあな」
「うん」
チセは一葉と二葉を見送ると、眠り続ける巳の神を置いて、自身も裏手から出てコソコソと茂みのなかを這い、西の集落を目指した。