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十五

 となりの伊都国で虹色人魚が現れた。

 なんでも、女王から権力を奪おうとした男衆に怒り、海神が遣わせたようだ。女王に平伏さぬ男は目をつぶされ、人魚へ矢を向けた男は波に両足をさらわれた。


 そんな噂でもちきりとなった巳の国で、チセはたんこぶの上にたんこぶをつくり、深海魚のように顔を腫らせていた。

 急いで帰ってきたはいいが、とうぜん朝のお火焚きに間に合わず、ひどい仕置きをされたのだ。

 飯焚きのあとそのまま土間に倒れこみ、ひとり熱にうなされている。

 朦朧とする意識のなか、家族の声が際立って聞こえた。


「それでね、日向国の天孫様が伊都国へいらしてるらしいの」

「昨日の今日で? そりゃあいったい、どこの情報だよ」


 母と妹の万葉が、早摘みのクワの実をおやつに話している。


「海を渡って見に行った人の話しだから、確かよ! 日向国の巫女様が、虹色人魚の出現を予知されていたのではないかしら」

「それで、天孫様が人魚を見るためだけに、わざわざ?」

「見るだけではなくて、護るためですって! なんでも人魚の落としていった鱗が、宝石のように綺麗で」

「まあ……っ、宝石のように?」


 はじめて興味を示したように母の声がうわずった。


「だーめーよ、お母さま。天孫様は鱗欲しさに海へ出る島民たちを、取り締まっているらしいわ。海神を怒らせたくなくば、虹色人魚を決して探してはならないって」

「ふぅん」


 諦めてなさそうな相槌を打つ。


「それだけではなくて、二度と女王が虐げられることのないよう島民と住居を分け、改めて女王の側近と衛兵を選び直したらしいわ」

「それでみんな納得したのかい」

「天孫様は見事に叛乱分子を見抜いたのですって。頭脳明晰、眉目秀麗! 朝日より眩しい美丈夫だって!」


 万葉の言葉にチセはひとり、心をざわつかせた。


 日向国の天孫とはタオのことではないだろうか。

 タオは天つ神と国つ神の間の子だ。それに巳の国へ来る以前は日向国の審神者として巫女に仕えていた。


「まあ天女の子どもなら、もれなく美しいだろうよ」

「お会いしてみたいわあ……! 日の光に透ける銀髪を腰まで伸ばしていらっしゃるとか」


 銀髪?

 タオの髪はたしかに腰まであったが、烏羽色だ。タオではない、ほかの天孫が遣わされたのかもしれない。チセは安堵の息を吐き、目をつむった。

 熱のせいかひどく蒸し暑い日の夢を見た。


 行ったこともない賑やかな町屋。ひとごみに酔いうずくまっていると、銀髪の男に手をひかれ人気のない脇道へ連れていかれた。振り返った男の顔を見たチセは、その場に泣き崩れる。その感情を示す言葉がみつからない。


 そんな夢だ。



(う、うーん、は! まずい……っ、日が暮れる!)


 戸口から見える空がみかん色に染まっている。お火焚きばかりか、夕ごはんの飯炊きを忘れては、殺される。


「飯なら、今炊けたところだ」


 土間のなかを見まわし、チセは茫然とした。

 姉の三葉がかまどに頭をつっこみ、背中を向けている。今の言葉は間違いなく、三葉が発したものだ。

 まだ夢のなかかもしれない。恐る恐る口を開くが。


(いだだだだだだっ!)


 両唇が腫れており、わずかに動かすだけで痛みが走った。うんうんうめいていると、三葉がひとりで喋り進めた。


「チセの身代わりに殴られるのは、勘弁だからな」


 振り返った三葉の顔はいつもと変わらずムスッとしている。


「広間へ上がれるか?」


 こくり、うなずく。


「茶碗だけでも持て。お父様がお待ちだ」


 三葉はチセの手をひいて、広間へ入っていった。




「……うーん、今日の飯は、誰が炊いたんだ?」


 その夜の父は箸が進まず、終始唸っていた。

 万葉が嬉しそうにチセを指差す。


「そりゃあ、チセ姉様でしょう? 今日のごはん、お粥みたいにぐちゃぐちゃよねぇ」


 ぐぅ。

 声を出せぬチセは腹の虫で返事をした。


「ほらね」

「炊いたのは私です」


 三葉が手をあげる。


「今日はチセが熱を出して寝こんでいたので、代わりに炊きました。ですが久しぶりのことで、火加減がわからず。申し訳ございません」


 いつも太々しい態度の三葉が腰を折って頭を深く下げている。その様子に父は目を丸くして相槌をうった。


「そうか、そうか、素直でよろしい。それよりチセ、熱を出したのか。寝ていなくてよいのか」

 

 チセの顔は思わず二度見してしまうほど腫れている。

 チセはうなずいた。

 腹が減っていても米つぶひとつ喉にとおりそうにないのでほんとうは寝ていたいが、うなずくことしかできない。


「くらげにでも刺されたな? かわいそうに」


 あいかわらず呑気な頭をしている父であるが、その表情はすぐに暗く陰った。


「実は私自身、食欲がわかなくてな」

「なにかあったんですか」


 母が汁椀を並べながら言う。


「婆婆様がな。今朝ハシゴから落ちて寝たきりになってしまわれた」


 その頃の老人の寝たきりは死に際を意味した。


「まあ……」

「婆婆様がおっしゃることには芥の子に突き落とされたと言うんだ」

「芥の子が……? この集落に居ると!?」  


 海の芥を魂に宿した海人族の忌み子、芥の子。

 島民にとって口にも出してはいけない存在だ。

 静まっていた広間が騒然とする。


「そろそろ現れるころだと、前王もおっしゃっていた。芥の子は婆婆様を殺そうとしたんだ。恐ろしい……、すぐにみつけだし、北ノ宮へ幽閉せねば」


 チセにもまた動揺が走っていた。

 チセが北ノ宮に入れられたのは、十三の春。

 まだ半年以上も先の話しだ。

 話題にのぼるにしては、はやすぎる。

 万葉はあおさ汁を啜りながら、にたりと笑った。


「今朝といえば……、チセ姉様、飯炊きを忘れてお母様に叱られてたわよね」


 広間の視線がチセへ集まる。


「お火焚きも昨日のままだとか。火おこしを放ったらかして、どこへ行っていたのかしら……?」

「そういや、昨夜も居なかったな。たしかイサんとこに世話になったとか。知らなかったが、昔から仲が良かったんだってな」


 父の言葉に、万葉が怒りで顔を真っ赤に染めた。


「やっぱり姉様、……イサと、寝たのね!」


 あり得ない妹の想像に辟易するも、口が開かない。代わりに同じく腫れあがったまぶたの奥からギロリと睨み上げた。


「許せない……っ、イサは、私のものなのに!」


 その発想も解せないが、怒っていることだけはわかる。万葉はべらべらと、まくしたてるように喋った。


「姉様がイサと仲良くしていたのは、イサの家にあがりこむためだった。婆婆様を殺す機会をうかがっていたんだわ。そして今朝、実行に移した。火おこしに現れなかったことがなによりの証拠よ!」


 父は万葉の言葉を信じきれず不安げに訊ねた。


「チセ、ほんとうか?」


 お火焚きに間に合わなかったことは事実だ。

 チセは、こくりとうなずいた。


「認めたわ……! チセ姉様が、婆婆様を殺した、芥の子よ!」


 そこまでは認めていない。

 まだ幼いのに、万葉の話術はすごいなぁと感心するチセもまた呑気なものだ。


 憐れみを浮かべていた父の目の色が怒りに染まりかけたが。


「チセは口が腫れて喋れないんです。今はあまり責めないでやってください」


 姉の三葉が毅然とした態度で父へ訊ねた。


「婆婆様がはしごから落ちたのは、具体的にいつごろだったのです?」

「助けに呼ばれたのは、男たちがちょうど漁にでるころだ」

「そのころでしたら、チセは私と海で泳いでいました」

「な!?」

 

 万葉が両手を拳にして、震わせる。


「そんなの、私みてない!」

「ひと気のない朝がたを狙って、西岸で泳いでいたんだ。チセが、尾ひれがないから恥ずかしいというんでな」

「そ、そうよ……! チセ姉様は十二歳にもなって、まだ尾ひれが生えない。きっと芥の子よ!」

「遅いだけだろう。うちの婆様だって十四だったと聞いている」


 チセは胸が苦しくなった。

 お火焚きの刻はまだ伊都国にいた。それなのに喋ることができない自分に代わって、姉の三葉が庇ってくれている。

 なぜ。わからない。

 

 でも、途方もなく嬉しい。


「チセもきっと、そうだ。チセ……?」


 チセは静かに涙をこぼした。

 とめどなく。されど泣き声も出せずに。

 その様子はあまりに憐れでみすぼらしい。万葉は大人たちの慈悲をかけた視線に、口をつぐんだ。

 

「そうか。それで今朝くらげに刺されたのだな」


 父はまた少し偏った視線で、チセへの疑念を晴らしたのだった。


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