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十一

 婆婆様の住居は王より奥まった森のはじまりのような場所で、樹木を支えにして建っていた。ハシゴは二〇段近くある。一〇段ほどでチセの膝が震えた。


「婆婆様、毎日このハシゴをのぼってるのか!?」

「当たり前だろ。まさか怖いのか? 情けのないやつだな」

「ぎゃっ!」


 おしりを押し上げられ、なかへ飛び入る。

 四つん這いになって見渡した住居のなかには婆婆様がひとり。藁のむしろの上であぐらをかいて座っていた。日が入らず薄暗いが、なぜか落ち着く。婆婆様のまわりは火灯し皿で囲われていた。

 膝をしまい頭を垂れる。


「ごきげんよう。婆婆様」

「はい、ごきげんよう」


 婆婆様もまた、藁より枯れたからだをおこし、たおやかに頭を下げた。


「ん? おやおや、チセじゃあないか。おおきゅうなって」

「婆婆様、わたしがわかるのか」

「そりゃあカヨの孫だし。イサから、お主の話しをよう聞くしの」

「婆婆様!」


 カヨとはチセの亡き祖母のことだ。

 イサは婆婆様をおおきな声で呼びかけつつも、きれいに膝行してからチセとならんだ。


「ほらチセ。みせな」

「ああ、うん」


 湿った手拭いをほどき、巳の神を差し出す。 婆婆様は目をまんまるにかっぴらいて、腰をこれでもかと言うほど曲げて見つめ、それから言った。


「イサ、外しとくれ」

「えっ」

「下がれ」

「……ああ、わかった」


 もの言いたげな表情を残しながらも、イサはあっさりとハシゴをおりた。イサの家では婆婆様の言うことが絶対なのだろう。


「それで────、なにか悪いものでも占いましたかの」

「ああ。干潟の泥に迷いこんだようだった。ひどい悪夢を見せられた気分だ」


 今度はチセが目を丸くする番だ。

 終始グッタリとしていた巳の神が淡々と返事を返したのだ。


「起きていたのか!」

「先ほどの男子に、我と汝が会話している様子を見られたくなかっただけだ」

「そうか」

「九死、といったところだったがな。しばらくは動けん」


 巳の神は横たえたまま深く溜め息をつくと、婆婆様へ悠然と指示を出した。


「その悪いものは、穢れが意志をもったような存在。いや、魂だった」

「悪いものっ、て……」


 万葉のことを悪いものと、そう表現したのだ。婆婆様の手前、万葉の名を出してよいのかわからず、チセは言葉を飲みこんだ。

 巳の神の話しは続く。


「魂に触れ、こちらの気が触れそうになったのははじめてことだ。実に恐ろしい……、その者は気に入らない物事があると徹底的に排除にかかる。おそらくその手は汝にも及ぶであろう。決して火を絶やすな」

「御意に。……それで、私が代わりに占えばよろしいので?」

「いや、あれには二度と触れるべきではない。それより我の新しい器を探してもらえぬか」

「器。依代、ですか」


 たゆんだまぶたの奥から、チラリとチセを見やる。


「この子以外、となると──」


 婆婆様はかんざしにしていた棒きれをやおらに引き抜くと、火灯し皿の油をひたして、火で炙った。  

 それから、


 ──ズドン。


 と、鈍い音をさせながら亀の甲羅に突き立てた。

 住居が崩れるかと思った。

 床は抜けなかったが、むしろは少し焦げてしまった。ピキピキと軽やかな音をさせながら甲羅にヒビが入っていく。


「これが、婆婆様の占い──」

「見えました。依代がみつかるかはわかりませぬが、伊都国に吉とでております」

「ふむ。やはり伊都国か」


 チセも自然とうなずいていた。

 昨夜のタオと巳の神の会話に出てきた国の名だ。西の海岸からよく見える、おおきな島国では巫女が女王を担う。船でやってくる敵が多く、旅人を歓迎しない。だが野宿せずとも丸一日歩けばたどり着く距離だ。

 巳の神は手拭いにからだを横たえたまま言った。


「ではさっそく準備を整えるか。汝は下で待つ孫をひきとめよ。それから王に、チセは今夜家に帰らぬことを伝えてくれ。孫と口裏を合わせてもよい」

「御意に」

「チセ、行くぞ。まずは鶏小屋だ」

「はい」


 婆婆様に別れをつげ、ハシゴをおりると案の定、イサに話しの内容を問い詰められたが、そちらも予定どおり、すぐに頭上から婆婆様の怒号が飛んできた。


「イーサー! 今すぐにあがってこい!」

「なんだよ、俺なんもしとらんのに」

「イサ、手拭いありがとう。助かった」

「ああ」

「それじゃ」


 不満そうなイサへ手拭いを突き返したチセは、巳の神に従い鶏小屋へ身を移した。懐からの指示に唖然として、かき集めたたまごを二、三落としたのは、日暮れのことだ。


「日没とともに西岸から出発するぞ。いいな」

「今すぐってこと!? いくらなんでも急すぎないか」

「今夜は帰らないと言ったろう。明日までこの器がもつかもわからんのだ」


 それを言われてはぐうの音も出ない。仕込んだたまごをもって西へと歩き進めたチセは、波打ち際でまたもや大口を開けた。


「う、海を渡るのか……」

「当たり前だ。海人族の汝が、陸を旅するとでも思っていたのか」

「それにしたって」 


 近ごろやっと泳ぐことが楽しくなってきたばかりなのにいきなり遠泳とは、立ったばかりの赤子を走らせるようなものだ。

 

「安心しろ、海は溺れるほど深くない。それに岩礁が多いから、休みながら安全に渡れるだろう」

「ほんとうだな」


 覚悟を決めて飛びこむ。

 巳の国の海岸はかがり火の灯りで日が暮れても明るい。明日の朝ごはんにと、松明を片手に貝を探す女子どもも多く、砂利で歩きにくい西側にも、親子がぽつぽつと歩いていた。


「おかあ……っ、虹! 虹の人魚がおる!」

「はあ? 虹色人魚なんて、おとぎ話しだろ」

「ほんとよ! みて! ……すっごくキレイ」


 へぇ、虹色人魚だって!

 辺りを見まわしたチセは、それが自分のことだとすぐにわかった。

 チセが尾ひれを動かせば動かすほど、海のなかに光が散ってキラキラと輝く。遠く離れれば光は淡く、虹のように半弧を描き広がっていった。


「きれい……」


 夜に海に入ったのははじめてのことで、チセ自身も尾ひれからあふれる光に感嘆としていたが。

 母親は見てはいけないものを見てしまった様子で、子の手を引いた。


「あぁあ……! あれは、あかん! ヌシ様がお怒りだ、みんなに知らせな……っ」


 ヌシ様?

 懐にたゆたう巳の神をつつく。


「海の底におられる海神は人の前に姿を現しません。海の底に届くほどの厄災が島を襲うそのとき、人の言葉を話す神使を遣わせます。そうです、虹色人魚です」

「他人事のように言うが、迷信か?」

「さあな」


 チセをねぶるような目で見る。


「わたしのことか!」

「こうして存在してしまったのだ、せいぜい美譚にしてくれたまえよ」

 

 うへぇ、反吐を吐く。

 人が集まる前に沖へ出ようと、なるべく深く潜り、西の国、伊都国へと真っ直ぐ突き進んだ。


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