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 その夜、はじめて親子三人で布団へ入ったチセはちっとも寝つけず、夜半ごろになってかまどへ向かった。


「あのふたり、やっと寝たよ……。まったく」


 となりで眠る身にもなって欲しい。

 眠り慣れた土のうえを求め、土間へおりようと足を投げ出したところ、かまどから声がした。

 父とはまったく異なる、若い男の声だ。


「危ないところでしたね」


 すぐ様足をひっこめ柱の陰からかまどをのぞく。出入り口にはっきりと浮かぶ人影。腰まであるその髪が風になびいた。その佇まい。凪いた海のような声。

 

 ──タオだ。


 隠れていることが悟られてしまうのではないかと思うほど、胸の鼓動が高鳴った。

 巳の神の声も聞こえる。


「まったくだ。まさか我が、一〇歳になったばかりの女子に寝込みを襲われるとは」

「私の足音に気づき逃げたようですが、幼さゆえ。と、ひと言では済ませられぬ形相をしておりました」


 どうやらかまどで寝入っていた巳の神を万葉がみつけ、殺そうとしたようだ。重石が地に深い溝をつけ転がっている。


「あの狂気をはらんだ目は幼子のものではありません。末恐ろしい……」

「彼女については早々に占うことにしよう。それで、我の依代はみつかったか」

「いえ。龍頭本土の海沿いは調べ尽くしましたが、器になり得るものは」

「そうか。本来、蛇の産卵期は夏場だしな……しばらく待つしかないか」

「あと調べるとしたら、入国の難しい伊都国いとくにや宗像領でしょうか」

「伊都国か。我の神域であるし、海蛇も多い。そちらは我が行こう」

「では私は宗像領へ」

「いや、しばらく我の声の届く場所に居てくれ。今日のようなこともあるし、細かい占いは任せたい」

「かしこまりました」


 チセは壁にはりつき心を落ち着かせながら、会話の内容を頭のなかで反芻させた。

 タオは各地をまわり、巳の神の依代を探しているようだ。それも当然の務めのごとく、龍頭本土を巡ったという。


(どういうことだ? なぜタオが巳の神の使い走りのような真似をしている)

 

 そもそもいつ、どこでタオを知り得たのか。

 死に戻ったころから記憶を辿れば野壺から救ってくれた男はやはり、タオだったのではないかと行き着いた。

 あのときは頭が朦朧として考えることをやめてしまったが、今ならわかる。

 

 タオに総身を暴かれ、なおかつ念入りに洗われている!


 齢十二の未成熟なからだとはいえ、五つ上のタオは十七歳。立派な青年だ。

 チセはそのことで頭をいっぱいにさせて、廊下にうつ伏せ悶えたまま眠ったのだった。





 翌朝、いつものように北の海岸へ向かったチセはそのまま浅瀬を渡り、塔のそびえ立つ北ノ宮まで足をのばした。


「なんだ、寝不足か?」


 目をこするチセへ巳の神が訊ねる。「そうだが?」と口をつき、慌てて言い訳をした。


「両親の仲が良いのはいいことだが、やかましくて眠れない。今日はかまどで寝るぞ」

「からだが土を求めてしまっているのだな。そのうち布団にも慣れる」


 ちがう、そうじゃない。

 口ごたえしそうになり慌てて飲みこむ。


「万葉を占うんだったな」

「そうだが、……はて。汝に伝えていたか?」

「う、うん。占いだろ?」

「まあいい。はじめよう」


 チセは自分の口先にうんざりしつつ、目をつむり息を整えた。

 他人を暴く占いには写しだすための大きな画板がいる。巳の神にとってそれは砂浜だ。それからその者の御魂の扉を開く唄がいる。蛇の巳の神に代わって、チセが詠わなくてはならない。もっともチセが唄を詠うことは、死に戻る前からずっと続けてきたことではあるが。


「────巳の神?」


 詠い終わり、まぶたを開けると北ノ宮の砂浜一帯に濃霧のように砂埃が舞い、視界が悪くなっていた。両手で砂埃をかき分け、蛇の影を探す。


「巳の神。どこだ、巳の神! ……巳の神!」


 海風で視界が開く。目の前には無数のミミズがのたうち回ったような模様が広がっていた。その中心点で横たえる蛇の色が、紅い──。


「ああ、そんな!」


 わずかに頭部を残し、紅い死に痣が全身を染めている。ソッともちあげるも、生命力を感じられない。ただの縄のようだ。


「万葉を占ったから? ……そうだ、タオ」


 昨夜、声の届く場所に居るよう巳の神に命じられていた。タオなら巳の神を救えるかもしれない。チセは巳の神を懐へ入れると、泥に足をとられながら潮の引いた浅瀬を走った。

 チセは思った。

 人間の足はなんと遅いのだろう。里を目指すなら闇雲に走るより海を泳いでまわったほうがはやいかもしれない。

 そう決意し、水位の深い岩場へ飛び移っていたところ。チセに声をかけたのは、予想だにしない人物だった。


「ここでなにをしてる」

 

 やけに物憂げな少年の声だ。

 振り返れば、チセの腫れあがった顔を見て、その少年は悲しげに目を伏せた。

 イサだ。彼には頼るべきではない。

 チセは冷然と言い放った。

 

「やあ、イサ。こんなところをぶらぶらと歩いて、なにをしている。家の手伝いくらいしろよ」

「なっ、……そういうおまえこそ、ここでなにしてんだって、言ってんだよ。北の海は女人禁制だぞ」

「知ったことか。ここなら、探さなくとも貝やカニが取り放題だぞ」

「バッ……! しきたりを破ったのか!? だからバチが当たるんだろ! なんだよその顔、ボコボコじゃないか」

「醜女は生まれつきだ」

「そういうことを言ってるんじゃねぇよ……」


 頭をかき、吐き捨てるように言う。


「……ったく、もとは良いのに」

「バチは当たっていない。ボコボコなのは、家族に殴られているだけだ。安心しろ」

「だけって、おまえ」

「なんだ? 採らないのなら、どっかいけ。邪魔だ」


 イサは傷ついたように言葉を詰まらせたが、足の裏は岩に貼りつけたままだ。

 観念したチセは聞いてみるだけでもと、訊ねてみた。


「それならイサ、この辺りで天孫の身なりをした男を見ていないか」

「天孫様? 生まれてこのかた、会ったことも見たこともないが」

「そうか」


 島のなかを歩きまわり、北まで足をのばすような彼が知らないとなると、チセ自身もみつけだせる自信がない。一体どこへ身をひそめているのだろうか。闇雲に探すよりも、今は蛇の特効薬を探したほうがはやそうだ。


「それなら蛇の気つけに、なにかいいものを知らないか」

「蛇? どれ、みせてみろ」


 藁にもすがる思いで巳の神を差し出す。

 優しく受け取ったイサは意外にも、傷の有無や目の開きかたなど丁寧に診た。


「ケガはないがウロコが目立つし、口のなかがひどく乾いてる。とりあえず水を飲ませたほうがいいな。それと、蛇は温めるより冷やしたほうがいい」

「水、……沼だな! わかった、ありがとう!」

 

 別れの挨拶のつもりで礼を言ったのだが、イサは沼へ急ぐチセのうしろを金魚のふんのごとくついてきた。沼に着いたら文句のひとつでも言ってやろうと思っていたのだが、巳の神を寝かせる木陰を探すその間にも、水を汲んだり手拭いに水をふくませたりと実に手際が良い。


「ほら、からだが冷えるようにこの手拭いのうえに寝かせろ」

「あ、ありがとう」

「トゲはなさそうだけど、蛇の口のなかには毒がある。水をあげるときは牙に気をつけながら、少しずつな」

「毒!? 知らなかった……」


 チセはおおきな口を開けて驚いた。


「イサ、お前ってすごいんだな」

「は、はあ!? 俺はいずれ王になる男だぞ。海の知識はすべて頭に入っている」


 チセはもっと感心した。

 漁の手伝いをせずに遊んでばかりいると思っていたが、頭を使っていたようだ。

 考えと共に目もよそへやっているうちに、水を注ぎすぎた。


「ゴフッ、ガフッ」

「あ、起きた」

「お前も、その、王を支えるものとして、もっとしっかりしろよな」

「あ? なにか言ったか」

「なんでもねぇよ……バカチセ」


 巳の神はむせながら一度首をあげたが、またすぐに横たえた。白い手拭いに紅い死に痣が映える。


「紅い蛇か。はじめて見るな」


 イサが覗きこんでくる。


「死に痣。って、聞いたことないか?」

「さあな。呪いの関係なら婆婆様が詳しいが。聞きに言ってみるか?」

「そうか、婆婆様はイサんとこのお婆だったな」


 チセの婆様と婆婆様がふたりで日向ぼっこをしている情景は微笑ましいものだった。


「でも目を覚ましたから、もう──」


 いや。チセは思い直した。

 巳の神の死に痣が急激にひろがってしまった今、イサに取り次いでもらい、婆婆様に相談しておいたほうがよいのかもしれない。

 チセはうつろなままの巳の神を手拭いに包むと、今度はイサの背中を追ったのだった。


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