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「いつも挨拶がわりに殴ってくる三葉姉様が、一度も手を上げなかった! 巳の神の言ったとおりだ!」

「ほんとうにわかっているのか。清められたということは、穢れていたということだ」


 チセの祓い火が進化を遂げたことに関しては、実に喜ばしい。

 だが問題は、チセが三葉へ語りかけて殴られなかったのが、今日がはじめてだということだ。


「三葉姉様は、ずっと穢れっぱなしだったってことか」

「そうだ」


 一時的なものではない。

 苛立ちを暴力に変えてしまうほどの穢れを毎日取りこんでいたことになる。


「問題は、どこで穢れを取りこんだか。だな」


 海が穢れていないとすれば、どこかで穢れをつけていることになる。

 考えながら北岸へ向かう途中。

 西の集落で万葉をみつけた。


「となりの集落でなにしてんだろ?」

「少しこのまま様子を見ていよう」

「どうして」

「夕ごはんにならぶ海の幸はどれも、あの女子が整えたものなのだろ。追うべきではないのか」

「そうか!」


 三葉の教えを今すぐ試したかったチセはからだをうずうずとくねらせながらも、茂みから万葉を見守った。王の第二夫人の住居へ入ったようだ。

 チセはすぐに住居の裏手へまわった。


「なぜ客を入れる広間ではなく、裏へ?」


 巳の神が蛇の首を傾げていると、壁一枚向こうで声がした。


「毎日、毎日、よくもまあ我がもの顔であがりこんでくるわね」

「わざわざ来てやってるんだから、ありがたく思いなさいよ」


 ちいさな女子と万葉の話し声だ。

 チセはふふん、と鼻を鳴らした。そういう鼻は効く。


「……ちょっと! 今日はこれだけ? 小魚ばっかり、それも人数分ないじゃない」

「漁にでなきゃ手に入らない魚だ。それも、命懸けで」


 女子ははかない涙声を震わせ、言った。

 巳の国の漁師はいつだって決死の覚悟で船を出す。かがり火の外へ出れば最後。いつ現れるかわからない海の芥の脅威に晒されるのだ。玄海棚の波に飲まれることだって、少なくない。

 だが万葉は容赦なく嘲った。


「命懸けてんのは、あんたの母親の間夫だろ? まったく……、若い男にのぼせあがっちゃってさあ。ババアを抱く男も男だよ。もう一匹、増やさないとお父様にバラすからね」


 そのあと聞こえるのは女子の泣き声だけだ。

チセと巳の神はげんなりとしながらも、万葉のあとを追った。残念ながらどこへ行っても親の罪で子を脅す、同じ手口を見せている。はっきり脅迫と取れる内容で魚や貝をせしめ、両手をいっぱいにした。


「穢れって、脅し取られた者の恨みが魚にこもってるんじゃないのか?」

「一理あるな」


 巳の神も呆れてうなずく。

 万葉は戦利品を置きに一度家へ戻ると、すぐに浜辺へ出た。


「おっ、今度こそ泳いで自分でとるのかな」

「どうだか」

「万葉の尾ひれは何色かな?」


 チセは和かに万葉を見守っていたが、そのうち笑みをかたどっていた口の端が徐々に下がっていった。


 泥汚れのない白い着物のまま波打ち際を歩く万葉を眺めていると、なにか大事なことを忘れているような気がして、不安になる。過去に同じ情景を見たことがあるのだろうか。


 だがたしかに、チセは万葉の尾ひれの色を知らない。それどころか、海で泳いでいる姿を見たこともない。侍女になってからはチセと同じように神殿に入り浸り、砂浜を踏むことすらしなかったのではないだろうか。

 喉に引っかかった小骨のような、不快な不安心を抱きつつ、茂みのなかから目で追う。


 結局、万葉は海には入らなかった。

 浜辺で行き交う島民たちから、貝や小カニをおすそ分けしてもらっているようだった。唇を読むと、しきりに「お父さま」を濫用している。


「なるほど。お父様の名を出せば、海に入らずとも食糧が手に入るのか」

「みなからすれば、王への捧げ物を探す健気な娘。見事な芝居だ」


 それからやたらと身なりを気にした。母に編みこんでもらったであろう御髪が波風にあたるたび、手でおさえた。前から向かってくる男子へ、チラチラと視線を流しながら。


「ん? ……ああ、イサじゃないか」

「イサだと? 次代の王か。まだ幼いな」

「わたしと同年だからな」


 イサはチセが豊巫女に即位する以前から王だった者だ。

 死に戻る前、現王がタガメに啖われたあとはしばらく母が集落を束ねていたが、男衆に過重労働をおしつけ、若い娘に危険な漁を任せたりと身勝手な振る舞いが多く、ほどなくして内乱が起きた。その頭がイサだった。


 もとよりイサは第二夫人から生まれた王族の嫡男。チセとは異母兄弟にあたる。内乱後、国をまとめ上げたイサはチセの即位を歓迎したが──。


 チセの、イサに対する印象は最悪だ。


 まずは幼少期。よくふたりで遊んでいたのに、チセが火傷を負ってからはあからさまに距離があき、外で行き合っても挨拶どころか、目もそらすようになった。それだけじゃない。

 チセは思い出したくもない過去を思い返した。


 ──あれ、お前お火焚き娘と違うかったか。


 そうだ。イサの心ないあのひと言で、チセは島民たちの標的になった。


 イサ。自身を塔に閉じこめたばかりか、島で内乱を起こしてまで王の座を欲しがった男。


 巫女になってからは、彼と関わることを拒み続けた。タオもそれでいいと言ったので、何度会いに来ても追い返した。御簾ごしに義務的な挨拶以外、言葉を交わしたことがあっただろうか。


「あんな顔してたな……」


 イサは第二夫人に似て、色白で愛嬌のある顔立ちをしている。まだ子どもらしさの残るイサが万葉の頭を撫でると、万葉の顔が紅葉に染まった。


「なんだ万葉のやつ、イサのことを好いていたのか。……あれ? 以前はどうだったか」

「そういえば、次王はめずらしく独り身であったな。二〇になっても女をつくらないのは豊巫女への引け目だとか、もしくは男色なのではと噂されていたぞ」

「そうなのか。知らなかった」


 というより、興味がなかったのだが。

 イサを目にしたチセは途端にどうでも良くなり、浜辺より奥の海へ思いを馳せた。


「なぁ、もういいだろ? はやく泳ぎたい」

「そうだな。あの女子が泳ぐ気配もない」

 

 チセは巳の神を懐におさめると、山へ入り北岸を目指した。ひと目につく浜辺をぐるりとまわるより、近いしからだも鍛えられる。そのころは朝に出発すれば、昼なかには北岸へ着くようになっていた。


 足のつかない深さのところまで、岩礁を伝い歩く。


「万葉を追いかけていたから、今日はあまり泳げないな」


 ぐずぐずとごねつつ、海に入ると巳の神が脇から蛇の頭を出した。


「穢れのもとを探る。れっきとした巫女の務めだ」

「でも、なーんか憎めないんだよな、万葉って。死ぬ前の姿ならばともかく、今はまだ子どもだし」

「呑気なことを。今も穢れを運び入れていることには違いないのだぞ」

「そのとおりだ。万葉は、もともと穢れたものを運び入れているだけかもしれない。今日の夕ごはんで証明しよう」

「なにごとも、証明か。ではまずは、逆さまで潜れるようになるのか、証明してみせよ」

「はい、はい」


 チセは思いきり息を吸いこみ、海底を目指した。

 果たして陸でもできない逆立ちを海のなかでできるのか。不安心でいっぱいのチセであったが、足から潜るよりずっと簡単に底に手をつけられた。


(すごい……っ、できたぞ! あとは、息を吐くんだ。鼻から、ゆっくりと)


 三葉に言われたとおり、落ち着いてゆっくり、鼻から泡ぶくを出す。


(……あれ。吐ききったのに、あんまり苦しくない。それに)


 気づいたら、水底に横たわっていた。


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