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 腹ごしらえが終わると巳の神の提案で、チセは岩場のある北側へと向かった。それにはチセも快く承諾した。手ぶらで家へ帰るわけにはいかないので、道すがらわかめでも探して、肩にかけて戻ろうと思うのだ。

 賑やかな南側とはちがい、巳の神の住まいとされる北の浅瀬に人影はない。ちいさなさざなみの音が、まるでおかえりなさいと、言っているように聞こえた。


「見ろ。北ノ宮だ」


 昼中に晴れ晴れしい空の下、北の海に浮かぶ、ちいさな北の小島。北ノ宮。芥の子を幽閉するために建てられた塔が、少し斜めにそびえ立っていた。いつしか自身も閉じこめられていたその塔を、外からあらためて望み、深く息を吐く。


「なんだか……、変な気分だ」

 

 芥の子として、北ノ宮で過ごした半月は忘れられない。自らゆっくりと死に歩み寄る拷問のようだった。湧き水が細く流れているだけのせまい塔のなか、雑草や虫で飢えをしのぎ、刻が過ぎるのを耐える日々。そのうえ天は強い日差しや雨風をもたらす。


「嵐で水没したときは、ふやけて皮がのびた。それでも図太く生きている自分に嫌気がさしたものだ」

「そういえば、降りてきたタオは汝を屍だと思いこんでいたな」

「ああ。口を開くや、遅かったか。と、溜め息をついていた」


 巳の国から内陸へ南西を目指すと、天女を祀る神の国、日向国がある。天女の子であり、海神の審神者を宿命にもつタオは、共に海を総べるべく巫女を求め、巳の国へやってきた。

 タオに救い出されたときは、この御方に一生を捧げようと思ったものだ。


「……タオに、会いたいか」


 巳の神の問いに目を丸くする。次には快活に笑い飛ばした。


「まさか! 一度でも自分を殺した男だぞ? 二度と関わりたくないね」


 関わるべきではないのだ。そばに居たらきっとまた彼を不幸にしてしまう。チセは思考とともにまぶたを伏せた。


 死に戻る前に道連れの呪いを唱えたことも忘れて。



「それで、なにをするんだ。禊か?」

「そうだ」


 ニョロリと笑うが、女はたとえ童であろうと北の海へ入ることを禁じられている。

 女は穢れ。海に陽の当たるうちは巳の神の視界を穢さぬよう、男も許されていない。

 

「女が北の海へひとたび入れば、神に祟られ──」

「祟られた人間がいたか? 我、祟るは供物を粗末にする者だけなり」


 巳の神にそう言われてしまっては、しきたりもなにもない。


「なんとまあ。何百年と続くしきたりを、このわたしが崩すことになろうとはな」

「安心しろ。おかげで誰にもみつかることなく、修行ができるぞ」

「なんの修行だ」 

「泳ぐ修行だ」


 踵を返そうとするチセの足首に、白い蛇がぐるりと巻きついたのだった。




 ねちねちと説得されたチセは、足だけ水につけてみることにした。岩礁に隠れるカニやサザエを探すためだと思えばなんのその。

 ぶざまなバタ足を見れば巳の神も諦めるだろうとも思い、膝まで海水に浸けたのだが。


 バチャーンッ!


「がふっ、ごふっ、げほっ、──は?」


 一歩踏み出そうと腰をひねった瞬間、頭から海に突っこんでいた。

 沼から這い上がったときとは明らかに異なる違和感を足もとから感じ、必死に顔を上げると。


「なんだ、これは」

「見てわかるだろう。尾ひれだ」

「尾ひれ? これが、尾ひれ……」


 つま先をあげる。

 水面から突きでたヒレは、星のような形にひろがっており、陽の光で七色に輝いた。


「綺麗……」


 醜女の自分に備わっていることに申し訳なく思うほどだ。

 

「そうか。巳の神の依代ではなくなったから」

「ああ、だから尾ひれがある」


 海人族の娘の血を象徴する尾ひれ。ないことが当たり前だったチセにはなんだか、不思議な気分だった。


「まるで虹蛇のような鱗の色だな」

「そりゃあそうだ。汝の尾ひれ、ただの尾ひれではないぞ」

「そうなのか」


 たしかに、ほかの島民とは色も形も違うが。


「虹蛇に限ったことではない。七色の尾ひれをもつ人魚は、海神の神使と言われている」

「島民たちに?」

「そうだ。汝に尾ひれがないなどとのたまう母親の前で、すいすい泳いでみせろ。驚くばかりか、みな平伏すぞ」


 チセは自身を海中にたゆたう美しい人魚に置き換え頭に浮かべた。


「それは……、すごく、楽しみだ!」


 幼いころ、喉から手が出るほど欲しかったもの。チセは今度こそ、勇気を出して頭から飛びこんだ。




 残念ながら、一日で人魚のように泳げるほどそう現実は甘くない。

 その日は海水を大量に飲み、咽せて終わった。  

 チセは、尾ひれがあれば海のなかで息ができると思っていた。尾ひれに夢を見すぎていたのだ。海人族とは言っても立派な陸の動物。エラ呼吸までは備わっていない。


 二日目は水に顔をつけることからはじめた。

 三日目は目を開けて潜った。


 海中でスイスイ泳ぐ巳の神をみつけ、腹が立った。


 四日目、総身を海につけられたが、泳ぎかたがさっぱりわからない。

 五日目は人の多い海の中道で尾ひれの使いかたをイチから学んだ。

 六日目、真似事から始めて、なんとか前に進むようになった。

 だが調子に乗って進みすぎてしまい、足がつかないところで顔をあげ、溺れかけた。もちろんたくさん水を飲んだ。

 七日目、こりずに沖の渦潮を目指して泳いだ。手前の高波にのまれ、気づけばワカメのように岩礁へ打ちつけられていた。


 それでもチセは少しずつ、少しずつ成長をみせた。

 側から見ればそれはとてもかっこ悪くて、情けのない姿だったが、


 海人族でありながらはじめて海を過ごすチセにとって毎日が輝かしく、充実した日々だった。


 チセの不在をあやしむ家族はいなかった。

 殴られはしたが、お火焚きと飯炊きを怠らず、土産をもって帰ればとやかく言われることはない。

 もともとチセに興味がない。家族として認識されていないのだ。わざわざ殴りに来るのは母と三葉だけ。ほかの姉妹にとってチセは、かまどを横切る際に、目端に映る程度の存在だった。


 十日すぎた朝。

 四女の百世に声をかけられたチセは、優しい姉様までわたしを殴りにきたのかと身構えたのだが。


「今日食べたコンブ、チセが採ったんだってね。すごく美味しかったよ、どこで採ったの?」

「えっ、とぉ、きのうの、ワカメと同じとこで」

「昨日のワカメも? すごい新鮮だったよね、覚えてる! チセには漁の才能があるんだね」


 ごちそうさま、と部屋へ戻っていく。

 思わず褒められて、チセはアゴが外れるほど口を開けた。


「なにごとだ」

「コンブとワカメか。火は通したのか?」

「どちらもかまどで湯通しをしてから出した」

「かまどの火か。祓い火だな」


 チセの火に煎られた食べ物は清められる。


「まさか食べ物だけでなく、それを食した人間の穢れをも祓うのか。依代でなくなったことで、霊力が増しているのか……?」

「百世姉様は礼を言いにきただけだぞ」

「採った人間にかならず感謝の意を表す。それが彼女の本質だからだろう」


 チセは首をひねった。

 やはり今日のコンブが格別に美味かっただけでは?


「ああ、もう! なら今すぐ、三女に殴られてこい!」

「三葉姉様に?」 そんなむちゃくちゃな。

「定期的に殴られろと言っている」

「わかったよ」


 チセはちょうどとおりかかった三葉を呼びとめた。


「三葉姉様も、今朝のコンブ美味かったか?」

「ぁあ?」


 右手で拳をつくる。今にも飛んできそうだ。

 

「……まぁ、そうだな。たしかに、美味かったな。どこで採った」

「岩場で」

「ふん、嘘をつけ。この島で潜らずに採れる場所はもうないぞ」

「ふつうは潜って採るのか」


 感心するチセに、三葉は拳を震わせた。


「お前っ、まさかゴミを食わせたんじゃないだろうな」

「いいや。採れたてほやほやだ。どうやらわたしは運がよかっただけのようだ」

「そうかよ」

「待って! どうしたら、深く潜れるんだ?」


 チセは、どうせ殴られるならと三葉へ訊ねてみた。

 距離は稼げるようになったが、相変わらず水面に浮かんでいる。みんなのように、深い海のなかをスイスイ泳ぎたいのに。

 三葉はうろたえた。


「なぜわたしに訊く」


 三葉は普段、家でダラダラと過ごす母のそばから離れない。母の手足になって動くためだ。見目のよくない自分は外を出歩くべきではないとも思っていた。それに、漁のことならば一葉や二葉に訊くべきだ。彼女たちは狙った魚を逃したことがない。


「なぜって、三葉姉さまがいちばん、泳ぎが綺麗だから」


 一日じゅう海を眺めていた五日目。ひと気のなくなった夜にひとり、泳ぐ三葉をみつけた。その姿は暗闇のなかでもわかるほど、流麗なものだった。


「き、きれい? わたしが?」

「うん。爪先から尾の先まで、ぜんぶきれい。息継ぎだって、苦しくなさそう。ほんもののお魚みたい!」


 目をキラキラさせて言う。

 三葉は嬉しそうに顔を赤らめた。


「そ、そうだな……」


 それから尾ひれのないチセを少し憐れんだ。少しだけだ。


「逆立ちしてみろ」

「逆立ち?」

「海のなかで逆立ちができたら、そのまま息を吐くんだ」

「息を? 水のなかで吐くのか!」


 信じられない。


「そうだ。鼻から、ゆっくりとな。すると足のほうが重くなって、自然と落ちてくる。あとは流れに逆らって泳ぐだけ」

「逆らうのか!?」

「流れに任せていたら沖に流されてしまうぞ。海のなかでは、逆さまに考えるんだ」

「逆さまに……? いだっ」


 くない。

 その日は頭を軽く小突かれただけだった。


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