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第2章(その3)


     *     *     *


 聖地奪還……そう言ってしまえば聞こえはいいが、早い話その実態は、略奪と劫掠にまみれていた。

 ナイゼル自身、聖地とはそこまでして奪還しなくてはならないものなのか、と疑問に思わなくはない。だが砂漠への遠征行は王国の決定であるから、軍籍のある者はこれに従わねばならぬし、兵役のある庶民達も、貧しい農村から大慌てでかき集められ、戦地へと送り出されていったのだった。

 そのような無名の若者どもが死地へ赴くというのに、騎士たる自分が果たして座して見送るだけで、本当に良いのか……それが、彼が戦場へと赴いた大きな理由の一つだった。

 ナイゼルは名うての剣士であったが、王国軍の軍人ではなかったので、遠征軍に参加するとなれば志願という形を取らざるを得ない。だが敢えて立ち上がり、死を賭して戦うものとくつわを並べる、そのことこそが人々の上に立つものの責務であるはずだと、若き騎士であったナイゼル・アッシュマンはそう固く信じていたのだ。

 だが、現実は彼を失望させるばかりだった。

 呪われた異教徒というが、そんな彼らも実際のところはその土地土地の純朴な農夫や遊牧民達に過ぎなかった。彼らもまた、彼らの神の元平和に暮らしている善良な者達だった。それをただひたすら、神の名の元に、散々に虐殺に虐殺を重ねていったのだった。

 特に苛烈を極めたのは、彼ら異教徒の住む城塞都市カラルフラルの攻城戦だった。異教徒達が城壁の内側に閉じこもって籠城するのを、遠征軍が包囲した。城壁は堅牢だったが、内部に突入してしまえば崩れるのは早かった。異教徒のうち軍勢と言えるのは、城壁を守っていた一握りの兵士達ばかりで、あとは武器を手にしただけの名もなき群衆に過ぎなかったのだ。

 戦いは一方的だった。武器とは言っても、刀はそれらしい形に叩き出された鉄の板に過ぎなかったし、槍と言っても同じように鉄の切れ端のようなものが棒の先にくくりつけてあるだけだった。騎馬で蹴散らせば、あっという間に総崩れになった。

 あとは戦いというより、ただの虐殺だった。武器――というか、何かしら棒きれのようなものを持っていれば敵兵であるとと判断して、片っ端から斬って捨て、馬蹄で踏みにじった。そんな男達をある程度蹴散らすと、あとは女子供だ。逃げまどう彼らを追いかけ始めると、そこから先は戦ではなかった。

 異教徒どもを皆殺しにしろ! ――遠くでそんな叫び声が聞こえてくる。誰ともなく、そこかしこから合い言葉のようにそんな唱和が響いた。略奪者達が駆け抜けていったあとを、ナイゼルは騎馬に乗ってとぼとぼと続いていく。

 目を覆わんばかりの惨状とは、まさにこの事だ。僧侶達に言わせれば異教徒など人間ではなく、服を着た猿のたぐいであるというから、純朴な兵卒どもはそれを素直に信じて、正義と信じながら無闇に殺戮と略奪を繰り返していく。そこかしこに、無惨に切り刻まれた死体の山が築かれてゆくのだった。

 さらには、僧侶達に言わせれば異教徒を一人でも多く殺すことが、それだけ神の恩寵を受ける事になるのだという。武器を持つ者はこぞって殺戮に腕を振るう。抵抗する者しない者、なんの区別もなく切っ先が届く限りに動くものをみな斬り捨てていく。

 それでも、それが正義と信じて整然と機械的に殺戮をこなしているうちはまだ良かったと言えるのかも知れない。遠征軍はやがて統率された軍隊としての様相をうしない、猛り狂った野盗の群れと化していく。財貨があれば奪い、女とあれば狼藉を働き、事が終われば刃をくれてやる――そんな光景がそこかしこで繰り広げられていた。ナイゼルはやがて馬を下り、そんな地獄の底のような光景に包まれた町を、とぼとぼと歩き回り始めた。無惨に切り刻まれた死体を見ても、もはや何も心が動かない。面白半分に四肢が切断されていても、そのようなものもあろうかと通り過ぎていくだけだ。年端も行かぬ子供たちが切り刻まれ、折り重なって死んでいるのをみて、もはやもっともらしく嘆く事さえ出来なくなってしまった。名分が成り立ちさえすれば、人というのはそこまでの事が出来るものなのか――。

 汚泥にまみれた赤子の亡骸を見おろしながら、ナイゼルは絶望のままに立ち尽くすより他に無かった。

 そのままよろよろと路地を曲がっていくと、乗り手を失った一頭の騎馬が所在なさげにナイゼルの横を通り過ぎていった。その馬がやってきた先で、一人の若い兵士が、若い女に覆い被さっているのが見えた。女が抵抗しないのは四肢の腱を切り刻まれてもがく事も出来ないせいか、脇腹の深い傷が元ですでに息絶えているせいか……表情がうつろなのはあまりに非道な目に会わされたせいで心を失っているからか、それとも本当に事切れてるからなのか。その女の腹をみて、それが妊婦であるという事を知って、それまでただ凄惨な光景に打ちひしがれていたナイゼルは、反射的に動いていた。

 滑稽なしぐさで腰を振っているその若い兵士を、女から無理矢理に引き剥がした。周囲に脱ぎ捨てられていた鎧が宝石で飾られた豪奢なものであったから、相当に位の高い貴族の子弟であることは想像に難くなかったが、その時のナイゼルはそんな事もお構いなしだった。

 何をする、という抗議の声も無視して、ナイゼルは兵士の横っ面を力任せに引っ叩いた。固い手甲もそのままだったから、痛烈な一撃であったに違いない。


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