6 民草の血
「一つ聞いておきたいんだが、あんた聖姫だから、そんなに達観しているわけか?」
誰しもが寝静まった頃だと思う。
おれは何となく眠れなかったから、起きていたのだが、そのおれに、将軍が声をかけてきたのだ。
声をかけて来て、何を言いだすのかと思ったらそれで、おれは意味が分からなかった。
べつに達観なんてしてねえよ、と言いたい。
そんなおれの事など知らないのか、彼が言う。
「これから全く知らない国に、無理やり連れて行かれるってのに、あんた抵抗する事もないからな」
「……」
なんて答えたらいいだろう。
おれがそもそもそんな元気がわかないのは、この長い事、引かない熱のせいだ。
こんなにもだるくて苦しいのに、逃げ出そうなんて思えるかよ、馬鹿じゃねえの。
なんて思いつつ、おれは相手の言葉を待った。
相手はさらに言う。
「逃げ出す事もしねえし、何か運命でも達観してんのかと思ってよ」
「……おれが」
「は、おれ? 驚いた、あんた男勝りなんだなあ」
初めて発した声が、一人称で、しかもおれだからか、彼が驚いた、という声をあげた。
その声を無視して、おれは言葉を続けた。
「おれが、抵抗したらその分だけ、民の血が流れるだろう」
聖なる姫の身代わり、それが今のおれだ。
おれにできるの事は、抵抗をしない事で、時間を稼ぎ、姉上やその侍女たちが、兄上たちと合流するまで、移動できるようにする事だ。
それに、抵抗したらきっと、見せしめとして、捕らえられている捕虜たちが、殺されたり危害を加えられたりするのだろう。
今こうして、偽物として帝国を騙しているのだから。
それが分からないわけがない。
だから無抵抗を貫いているのだ、おれは。
熱で動けない以上、最善の方法はこれだけなのだ。
「民の血が流れる事を考えるのかい」
「もともと……」
おれは息苦しくなったから、大きく息を吸い込んだ。熱で呼吸が辛いのか、骨や内臓が組み変わる結果息苦しいのか、もう分からない。
「戦争には反対だった。第一王子殿下が、あんな事を言わなきゃ、戦争なんて起きなかったのに、と思っている」
喋るのがこんなに苦しいなんて思いもしなかった。熱が出てるのに喋るって苦しいんだな。
だるくて体もうまく動かなくて、それで喋るって大変だったのだ。
聖なる力の代償として、しょっちゅう熱を出していた姉上が、喋るのも嫌だ、と前に話していた事の理由を、実地体験で知る事になっている。
「だいたい、よそ様のお姫様を、豚の鼻だとかいうの、殺されたいのかって話だろ。馬鹿だなと思っている」
「そっちじゃ事情が筒抜けなのかい、それとも聖姫には、そう言った事情が知らされるのかい」
「……宮廷のお喋りたちを聞いてれば、だいたいわかる。それに第一王子殿下が、失言が多いのは有名な話だった。だから鍛え直すために、帝国の一流の学園に留学させたのに」
結果が戦争である。あのくそ野郎、こんな災難を残すんじゃねえ。
そんな第一王子が、王位継承権も第一位で、落ちのびた貴族たちの旗頭、というのも頭が痛い部分はある。
でもほかに姉上が頼れる相手はいないから、姉上をそちらに向かわせたのだ。
帝国が、姉上をどう扱うのか、全く予測できなかったから。
最悪の事態を避けるべく、おれは姉上を逃がす事にしたのだ。
「……ふうん、あんたは耳がいいんだな」
将軍はそう言って、おれの額に手を当てた。
ここ数日の間にすっかり慣れたその掌は、剣の手入れを怠らないからか、それ用の脂の匂いが染みついた、武骨な手のひらたった。
「喋って疲れて、熱上げたりするなよ、おれも喋らせて疲れさせて悪かったな、ゆっくり寝ろよ」
「……いわれなくても」
勝手に寝るに決まってんだろ。
そう言いたいのをこらえた時だ。将軍が言い出したのは。