36 すべてを解除し残されるのは
そしておれは、皇帝や婚約者様とともに、医療院へ向かった。同じ神殿内の別棟であるため、移動が大変だという事もない。
ただ、近付いていくほど、死屍累々、といった状態の神官たちが膝をつき、床に倒れ、酷い人は嘔吐している状態だ。
おれは呪いの解除ができるから耐性があるし、皇帝も婚約者様も、さっき言っていたけれど抵抗性があるから、ここまで苦しんではいなかったんだろうが……
どれだけ、皇女様の魅了の加護は、一般的神官の皆さまにとって、劇薬に等しい強さなのだろう……?
考えたくもないけれど、信じられないくらい強いのかもしれない。
そして倒れている神官の皆様は、術者なのだろう。術者は魅了の力の余波が強く出てしまうのかもしれないな。神国では、魅了の加護の人なんて、滅多にいなかったし、いたら即座に解除か処刑という飛んでも路線だったから、よく分からないが。
そして、医療院の順番待ちをしていただろう、患者さんたちも、そんな術者の皆さんの惨状に不安を隠せない。そりゃ隠せないわな。
「陛下、これはいかような事態が起きているのですか!」
不安をにじませた騎士の言葉に皇帝が頷く。
「多少の問題が発生しているのだ」
「神殿内に、そんな問題ごとを持ち込まないでくださいませ!」
強く言う婦人は、医療者の印を身に着けている。術者ではないが、かなりの経験者なのだろう。先ほどから、苦しむ術者の皆さんの看病の指揮を、取っている。
「先ほど、暴れまわる太った女性が医療院に運び込まれてから、こうなったのですよ! あの方一体何者なのです? 治療にあたる術者の八割が、使い物にならない状態になるなんて。どれだけひどいんですか」
「色々あったのだ、ポーラ神官」
医療者の彼女は、ポーラというらしい。彼女が皇帝にそれ以上何も言えず、押し黙る。そして肩を怒らせて、また治療の指揮を執り始めた。
「思った以上に、影響が出ておりますのね」
婚約者様が、とても小さな声で言う。皇帝がかすかに頷いた。
そして、王女殿下が連れて行かれた部屋の前に来ると、扉の前からでも、中で彼女が暴れ、暴言を吐き散らしているのが聞こえてきた。
「あの豚女のせいだわ! あの豚女を処刑して! 私を呪うなんてなんて不届きなの! お兄様もお義姉様もたぶらかされて!」
「お、落ち着いてください、診察もできません……!!」
「早く私の呪いを解きなさい、この、ぐず! のろま!」
ぱりーんとか、がしゃーんとか、物が投げられる音とか壊れる音もする。
三人で思わず顔を見合せた後、おれたちは部屋に入った。
皇帝じきじきのおこしという事もあって、なんとか体裁を繕おうとしている人々だが、床には壊れたものが散らばり、窓も割れているし、かなり暴れたらしい。薬品の棚に被害がないのが幸い、という状況だった。
王女殿下は、兄を見て少し安堵した顔になったものの、おれを見て指さし激昂して、喚き始めた。
「どうしてその女を牢獄に入れないの! この国の王女を呪った売国奴なんて、さっさと牢屋に押し込めて、飢え死にさせてしまえばいいのに!」
続いて。
「私は国一番の美貌のお兄様の妹なのよ! 直系の! 呪いが解けたら、世界一の美女になるはずだったのよ!! なのにこんな醜く成り果てるなんて最悪! 私は美しくなる運命なのよ!!」
ああ、彼女にとっては美しさこそすべてだったのかもしれない。そしてそれがかなわないのは呪いのせいだと、ずっと思っていたのかもしれない。
でも呪いは存在せず、原因だろう加護を解除したら、醜くなったという事で、もう、手が付けられないほど乱心してしまっているのかもしれない。
おれがやるべきことは何だろう。伸ばすべき救いの手は、どこにあるのだろう。
……でも、彼女は、少しお灸を据えるべきだ、と思う自分がいる。
そんなに美しくなりたいだけなら、叶えられる事も知っている。
他の善きものをすべて失う事を受け入れ、美しさだけを欲しがるのならば、それによって起きる不都合な事実も受け入れられるなら、加護を全て解除する事も、選択肢に入れるべきだろうか。
彼女は顔を真っ赤にして激高し、喚き散らし、唾を飛ばして怒鳴り散らし、物を投げつけ、乱心という言葉がこれ以上ないくらい似あう状態だ。
おれは彼女をじっと見つめた。それから、一歩、足を踏み出した。
彼女だっていい年だ。自分の行動と言動に責任を持ってもらおう。
「姫様。そんなに、美しさだけが欲しいのでしょうか」
おれは彼女の前に立ち、問いかけた。彼女の三白眼の瞳が、おれを憎悪のこもった眼差しで睨み付けて来る。
「何よ! お前のような豚女に何が分かるというの! 美しく、気高く、賢く、皆から愛されるという、帝国の王女に相応しい生活を送るはずだった私が、豚の鼻と禿げ頭のせいで、どれだけ苦しんできたのか! 与えられるべきだった幸せが、与えられなかった不幸せが!! お前のような、女なんかに!!!」
「では、美しさの代価に、姫様は、他の善きものを全て、引き換えにしてもいいとおっしゃいますか」
「いいわよ!!! 美しさこそすべてなのよ! ほかの善きものなんて、チリ紙くらいにしかならないわ!!!」
「妹よ、早まってはいけない、よく考えなければならないだろう!」
皇帝が、おれが何をしようとしているのかわかったのだろう。止めに入ろうとする。
だがそれを、婚約者様がそっと止めた。
「では、姫様。姫様の姿をそのような状態にしてしまう事になった、十二人の聖女の加護を、皆、解除します。姿はおそらく、今よりは美しくなるでしょう。しかし失う物は、それ以上に大きいとご理解いただけますか」
「構いやしないわ! 美しければすべてうまくいくのよ!!」
どれだけ説明しても、もう、言葉は届かないのだろう。彼女は美しさだけを秤にしているのだ。
「では、先に言っておきます。加護を全て解除した後、姫様は二週間ほど、高熱を出して寝込むことになります。体が加護から解放された事による反動になります。よろしいですね」
「ええ。今度こそ成功させなさいよ、能無し」
彼女が、勝ち誇った顔で胸をそらす。
おれは、皇帝と、婚約者様を見た。
「お二方、証人になっていただけますね? 姫様は自分で望んで、加護を全て解除したと。その後の事は、私には関与できない事だと」
「分かりました、証人になりましょう」
婚約者様が、静かな厳かな声で告げる。
皇帝が、色々難しい顔をしていたけれども、頷いた。
「妹が、それでいいと、断言するのならば、もう、止められないだろう」
「分かりました、苦情は聞きませんからね」
「苦情なんていうわけないじゃない!」
おれは、彼女をじっと見つめた。たくさんの善きものが、何十層にも重なっていて、彼女自身の善きものは何一つ見えないという状態の、彼女の姿を。
多すぎる加護の力の結果、膨れ上がる事になってしまった体を。
力が体の容量を超えるほど入っている結果、吹き出物だらけになった顔を。ばさばさの髪の毛を。
……そのほか、たくさんの加護が彼女に与えたであろう、善きものを、目に焼き付けた。
そしておれは、それらすべてを、解除した。




