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30 敵愾心か競争意識か

「聖姫様、歩きにくそうですが、大丈夫ですか?」


おれは小声で心配してきた侍女に、慌てて頷いた。

そう、おれは今、とても歩きにくいのだ。

聖姫の正装なんてものと、おれに縁が今まであったわけがない。

裾の長くたっぷりとした衣装は、それだけでも十分に重たいのだが、足に絡みついて、うまく足が踏み出せないのだ。

踏み出しても、裾の重さであまり距離を稼げない。

そのため、ちまちまとしか歩けないのだ。

今までは、裾が絡みついても、無視して、不格好に歩いていたのだが……今はいわばよそ行き、そしてたくさんの人の目に触れている状態で、不格好に裾をからげて歩くわけにはいかない。

聖姫の品格の問題になってしまうからなんだが……それにしても裾がこんなに邪魔になるとは思わなかった。

いままで、適当に歩いてきたつけが回ってきたようなものだ。

歩きにくい……そして転びやすい。

何度かおれは裾を踏んずけて、転びそうになっているが、騎士たちが気付く前に体勢を立て直しているから、まあ違和感を持たれていない。

だが、女性であるアンブローゼには、歩きにくい事が見抜かれてしまったのだ。

女性の観察眼って怖い。

本当に大丈夫かな、という視線の彼女が、おれの正体を疑っているとは思えないし、誤魔化して何とか歩けば大丈夫だろう。

裾が、からんで、足が、前に、出ない!!!

この時ばかりは、聖姫の正装である、たっぷりとした長い裾、幾重にも重なる布地、それらを呪いたくなるわけだ。

それでもおれは、前を向き、出来る限り澄ました顔で歩くほかない。

そんな風に通路を歩いてしばらく。おれたちの見物をしに来たのか、ひときわ華やかな一行が現れた。

こんなの予定外だぞ、誰かが見に来るなんて。

おれは慌てて、さらに背筋を伸ばして、誇り高く見えるようにふるまう。


「まあ……」


「見た目だけは見られるものね」


「でもあの衣装、流行おくれのドレスより不格好だわ」


「ええ本当に……あんな衣装を着なくちゃいけないなんて、聖姫って可哀想」


「布地も、私たちの方がよっぽどいい物を使っているわ」


「しっ! おかわいそうじゃない。だって神国の財力で、用意できなかっただけでしょう?」


おれを馬鹿にしたいのか、それとも国を貶めたいのか。

いまいちわからない人たちだったが、こそりとアンブローゼが、彼女たちが何者なのかを知らせてくれて、納得した。


「あれ、巫女見習いの皆さんです」


「……ああ」


なるほど、同じように、神に祈る事を行うから、対抗意識でも燃やしたんだろう。

そんな物燃やしても、意味がないとわからないから、こういう事が出来るのだろう。

おれは視線を少しそちらにやり、それはそれは優雅に見えるように微笑んだ。

たとえ囚われの身の上であろうとも、それがどうかしたのだ、と見せるための演技だ。

案の定、というべきか、おれの笑顔を見た彼女たちが、目を見開き、それから悔しそうに唇をかみしめたのが、視線の隅に映った。

おれはそれを、全く気にしていない、という顔で、騎士たちに連れられてその場を通り過ぎていく。

おれのそれを、第三者として見ていた騎士が、ぼそりと言った。


「立派ですね……あれだけ言われても、堂々としていらっしゃる」


「国には国のやり方があると聞き及んでいます。彼女たちが、自分たちの流行と、聖姫の正装を比べて、流行おくれだというのは仕方のない事。聖姫に流行は関わらないと、ご存じないだけでしょう」


「……我が国の巫女および巫女見習いたちにも、その姿勢を真似していただきたいものですよ」


騎士の一人が溜息をつく。そうか、この国の巫女見習いって、結構お金持ちの家の子とか、ご令嬢とかがやっているから、皆お金に困っていないし、それに流行だって追えるのだろう。

そういった環境で育ち、神に仕える身の上になってもそれが許されていたら、ハレもケもなく着飾って、華やかに豪華に過ごすだろうな……姉上はどうだっただろう。

記憶の中の生活を思い出しても、姉上がそんなにも、贅沢をしていた事はなかった。

だって姉上の一番の晴れ着は、この、聖姫の正装だったもんな……

聖姫の正装があってもなくても、聖姫である事に、変わりはない。

だから姉上は聖姫だが。


「お国柄という物がありますからね。巫女も豊かな暮らしができる、それだけ帝国が豊かであるという証明でしょう」


おれは当たり障りなく答え、年配の騎士が言う。


「寛大なお心、感謝します。聞けば聖姫という存在は、神に愛された存在だとか。……あなたを貶めて、神の怒りを買う事を、恐れない娘たちで申し訳ない」


「いいのですよ、聖姫は謝罪のために差し出された身の上のようなもの」


おれは昨日、ジャハド将軍にも確認をとり、聖姫が、神国から謝罪のために送られてきた、という嘘が、皇帝の選んだ嘘だと知ったのだ。

無論おれが偽物、なんてよっぽどでなければ知らない事になっているのだとも。

皇帝が、流した噂こそ、聖姫が謝罪のために神国から、差し出されたという物なのだ。

ならばおれはそれを否定せず、それを前提に動き回るだけである。

色々な物を守るために、それが一番なのだ。

きっと。


「同じ神に祈るものとして、多少の対抗意識が芽生えるのは仕方のない事。劣った点を探したくなるのは、人間として当たり前の部分です」


おれはそう思う。だからそれを出来るだけ丁寧に言うと、騎士たちはおお、と言った。


「これが、神国最高位の巫女の態度なのですね……」


「気高い……」


「早く神殿に向いましょう」


おれは彼等にそう言って、少しだけ歩く速度を速めた。

……裾が重い。


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