28 対価の傷
「やっぱりか」
それが始まった時の事を、彼はすぐさま察知する事が出来る。理由は明白であり、それが分かるように彼は匂いをつけたのだ。
「……あの聖姫さんはただの身代わりじゃないのはわかるんだが、まさかここまでの事情があるとは思わなかったぞ」
彼はそう言って、自分の目元に手をあてがう。
じくじくと痛む火傷の痕ににた、ただれた皮膚がそこにはあるのだが、彼はそれが永久に完治しないと知っていた。
それを知ってなおそれを選んだのは、彼の受け入れた運命だ。
受け入れて噛み砕いて飲み干した、そんな物である。
「……あの聖姫さんだったら、この傷も治せちまうんだろうか」
そのためにはまず、この傷を見せるところから始めなければならない。
それよりも大事な案件として。
「皇帝陛下が喜んでたな……そりゃあ、妹姫にかけられた呪いが解けるってなれば、喜ぶか」
彼の仕える主は、呪いを解く力があると知って飛び上がらんばかりに喜んだ。
これで妹が、もう泣かなくて済む、と笑ったのだ。
偽物聖姫も役に立つ力があったのだな、と。
さらには、王女の呪いが解けたならば、あの国の民にそこそこ重い税を科すのを辞めようといった。
その重い税とはつまり、あの国の馬鹿王子が王女を傷つけた慰謝料である。
王家が支払う慰謝料は、民の支払う税金からなっている。
重い慰謝料はつまり、民の重い税なのだ。
それくらい、この国の帝王は、妹への暴言や態度に怒り狂っていたわけだ。
皇帝陛下は妹を溺愛していると言っても過言ではない。彼が大事に大事に守ってきた、心優しい妹姫の、唯一の問題が、先代の帝王が招かなかった聖女に呪われた、豚の鼻に似た鼻なのだ。
あれのためにどれだけ、妹姫が笑いのネタにされたかわからないだろう。
妹姫はそれの結果、とうとう離宮に引きこもってしまって、どこにも出たがらないのだ。
おそらく神国の王子に、格好の笑いのネタにされた事が、尾を引いているのだろう。
神国の王子は、見た目だけならば素晴らしいものがあり、少しくらい憧れの視線を向ける事は、おかしな話じゃなかった。
そんな見目麗しい王子から、散々侮辱されたのだ。傷は計り知れない。
あの後からなのだ。それでも民のために、民の様子を知るために、と積極的に市井に降りていた姫君が、どこにも出たがらなくなったのは。
「聖姫様は、はたして聖女の呪いを、解除できるんだろうか……」
きっと出来るだろう。即興で、あっさりと術を解除できる、それがどれだけの価値か知らない聖姫ならば。
むろん出来てほしいと思うのは人情だ、あの優しい姫様が、笑ってくれるのならば、それの方がいいに決まっているではないか。
「……聖女の呪いが解けたら、俺の呪いも解いちまうんだろうかね、聖姫様は」
本物とは、髪の色と目の色が同じらしい、きわめて美しい偽物の聖姫様。
民の事と自分の事を天秤にかけて、民の事を優先できる聖姫様。
本物の聖姫様を守るために、偽りの聖姫を演じることを決めた強い女。
彼女はこの顔の、厄介な呪いさえ、解除できてしまうのだろうか。
「……解いてほしくねえなあ……」
これはある意味戒めなのだ。これの痛みは、彼にとって大事な意味を持っている。
たとえ他の誰もが、その傷が治った方がいいだろう、と言っても、彼自身はあった方がいいと思っている傷だ。
「……聖女殺しの、いい見本だ」
彼はぽつりとそう言って、仮面を外した顔を鏡に映す。薄暗がりの中でもよくわかる、ただれた皮膚に、こぼれる体液。痛む皮膚。
顔の上半分を覆うそれらの中で、瞳だけが透き通った色を放っているのが、鏡越しでもよくわかる。
「……面倒な問題だな」
彼は顔に薬を塗り、大きく息を吐きだすと、寝台にもぐりこむ。
月が明るく光っていた。
その光に目を細めながら、彼は小さな声で言う。
「女神の恩寵か」
その意味が分かる人間は、彼以外に今の所ここにはいなかった。




