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会議は進む、されど踊らず

nage

「……あの、これってなんすか?」


 探索を再開していたイレーナは、作業場の奥に布を被せられた状態で放置されていた、二メートルを超す巨大な魔道具に興味を示していた。形状としては地面に半径六十センチほどの円盤が置かれ、その両側に人間の腕に似たアーム付きの機械が一対になって設置されている。グリッパーは三指あるが、魔力が流れてない今は枝垂桜のように俯いて止まっていた。


「空間転移装置だ」

「空間転移?」

「端的に換言すれば、ここから一瞬で目的地に移動できる装置だ」

「うわっ。なんでそんなすごいもんをこんな場所に置いてるんすか?」


 イレーナはルキウスに差し出された瓶からファッジを一個取り、先に飴を砕いて嚥下し、それから口へ放った。普段と違う味付けに辛党の彼女は砂糖の塊を食ってるのかと錯覚したが、これはシノンなりの気遣いなのだと悟り、吐き出すことなく咀嚼した。


「転移するにあたって、思念を受信して自動で目的地を設定できるようにしたんだが、それが却ってネックになってな。例えば王城に行こうと思っていても、ふとした拍子に一瞬でも地獄のことを考えてしまったとする。さて、その場合どうなると思う?」

「死ぬ系ですか?」

「素直な回答だ。……まあ、結論から言えば、僕も答えは知らない。興味はあるが、試したことないからね。だが、魔法とは深淵であり、人間が手を加えたにしても、源泉は神が生み出したものだ。僕のちっぽけな頭脳なんか、簡単に超越されてしまいかねない」


 そのため、この装置を発明したはいいが、捨てる機会も場所もなかった。下手にこれを悪用されてしまえばとんでもない誤作動が発生し、取返しのつかない事態を招きかねないからだ。


「なら、なんで作ったんですか?」


 それは単純な疑問の声だったが、ルキウスは答えに窮した。

 正直、これを思いついた時の彼は正気ではなかった。まるで悪魔が取り憑いたように、ただ魔法の根底に何があるのかを模索していた。


「……狂気だ。まさに魔導士の性というべきか、それとも、世界が僕を走らせたのか。こいつには設計図がないが、おかげで思念のやり取りという道が開拓できた。それだけで、あの狂気には感謝したいくらいだ」


 鎧の遠隔操作ができるようになったのは、まさにその恩恵だった。とはいえこの装置は役立たずに変わりはないので、いっそ学会に寄付してしまおうかと考えたが、この存在自体が魔法の禁忌に接触しているため、仕方なくこうして広大な作業室の一角に保管しておくしかなかった。学会を追い出されては、研究資金が減ってしまうからだ。……追い出されるに止まれば、だが。


「魔導士には、変人が多いってよく聞きましたけど」


 イレーナはアームの片割れを撫でながら、顔を無邪気に綻ばせて言った。


「お兄さんも、相当な変人っすね」

「魔導士になるやつは大抵そういうものだからな。だが、これに目をつける君にも、変人の資質はあるかもしれない」

「じゃ、やっぱあたしは魔導士向いてますかね?」

「さあね。だが、個人的に興味がある。魔導技術に関する論文を何か書いたことは?」

「去年、一度だけ」

「タイトルを伺っても?」

「えと、『疑似魔導回路の縮小に反するエネルギー出力維持の相関関係』についてです」

「それはまさに僕が直面してる難題だな。実に興味深い。一度見てみたいね」


 ルキウスのその言葉に、イレーナの顔色が少しだけ明るくなった。彼女は魔導技術の第一人者であり、自身の先輩ともいうべきルキウスのことを厚く信頼している。

 本日イレーナがこの邸に訪れたのも、前々からシノンに頼み込んでいたからである。しかし忘却が癖とも言えるシノンはそのことを失念しており、それに気づいたイレーナは恥じらいながらも直球で再度頼み込み、彼女の後ろについてここまで来たのである。初っ端から入口で放置され、更に玄関の警備システムに攻撃されるなどのトラブルに見舞われながらも、ここに来てよかったと思えていた。


「……あ、明日の放課後に時間を空けて持ってきます。よ、読んでください!」

「ああ、大いに楽しみにしてるよ。……シノン、ちょっとこっちに来てくれ!」


 端に置かれていた鎧の兜を外し、それを被ってふらふらとした足取りで作業場を暇そうに探検していたシノンを呼び寄せると、彼女はそのままルキウスたちの方へ歩いてきた。


「お兄ちゃん、これで私も一丁前の騎士さんになれますかね?」

「僕的には君の愛らしさを評価して専属の秘書にしたい気分だよ。だが、惜しいな。そろそろ家に先生が来る時間、つまり華の学生に戻る頃合いだ。さあ、お嬢さん。兜を寄越してくれ」

「嫌です! 今日はここに泊まります!」

「……悪いが、今日は徹夜で作業をしたいんだ。そうやって道具をいじくられると困る。それに、家庭教師の費用も僕が出してるんだ。お金をドブに捨てる行為だけはやめてくれと、この前念押ししたばかりだろう?」

「それでも嫌ですっ! だってあの人何言ってるのか分からないんですもん! お兄ちゃんに教えてもらった方が百倍マシですぅうう‼」


 頑なに拒絶するシノンに、ルキウスはどうしたものかと頭を悩ませた。と、その横で呆れたようにため息をついていたイレーナが不意にルキウスに何かを耳打ちした。


「……なるほど、それはいい」

「けど、結構危なくないすか?」


 と、二人は同時にシノンを見つめる。シノンは兜を被ったまま、謎の視線に首を傾げていた。


「まあ、シノンなら万が一もないだろ。いい子だからな」


 適当に割り切った風のルキウスは、シノンから兜を取り上げ、乱れた前髪を整えてやった。こそばゆいのか猫のように顔を緩める妹を愛でたい衝動に駆られながらも、ルキウスはその背に手を当てて彼女を空間転移装置の円盤の上に立たせた。


「……? お兄ちゃん、これから何か実験するんですか?」

「シノン、お前は頭がよくなりたいか?」

「ええ、勿論です! 賢くなって、ここでお兄ちゃんとずっと暮らしたいで、す……」


 言いながら、シノンは分かりやすく落胆した。どうせ「なら、家に帰って勉強だ」と言われることを早々に察してしまったからである。


「お兄ちゃんっ‼ 私は今日、何がなんでもここに泊まってみせますからね‼」


 何を意気込んだのか、シノンは真横にあったアームに両腕を回してがっしりとしがみついた。


「はあ、分かったよ、シノン。じゃあ、今日はもう玄関に行かなくていい」

「ほ、ほんとですかっ⁉ やったー! やったー!」


 若干引っかかりを覚える言い方だったが、シノンは遠回しに許可が下りたのだろうと思い込み、円盤の上を兎の如くぴょんぴょんと軽快に跳ねた。


「ところで、シノン。君の部屋の中に鏡はあるか?」


 他愛ない質問を投げかけたルキウスは、さりげなく転移装置の起動レバーがある位置まで移動した。一方のシノンは彼らの策略に気づく様子もなく、「鏡、鏡」と呟きながら自身の部屋の様子を脳裏に思い起こしていた。


「多分、あったと思いますよ」

「何枚くらい?」


 イレーナが気を逸らそうとアシストし、彼女のアイコンタクトを受け取ったルキウスは小さくサムズアップして右手をレバーにかけた。

 シノンは顎に手を当て、再び「え~と」と瞼を下ろし、今度は鮮明に部屋を想起している。


 ──がちゃり。


 レバーが下ろされると同時に、一対のアームが起動。シノンの視界の外で三指のグリッパーを可動範囲限界まで広げ、その先に小さな魔法陣を浮かべる。

 死んでいた疑似魔導回路に魔力が通い、久しぶりに魔法が発動した。


「こいつの名前はそう──【どこでも扉(エニウェア・ドア)】」

「何言ってるんですか、お兄ちゃん? それより、今日の夜ごはんは()()()()()でい──」


 ──シノンが円盤を下りようとしたその瞬間、彼女は神隠しにあったように跡形もなく消えてしまった。その場に残っているのは、魔法が発動した証拠となる魔力波の振動だけである。


「……これ、ちょっとやばくないすか?」


 ルキウスの顔を覗き込むように見ながら、イレーナが尋ねた。ともすれば、深緑の森林奥地にある土筆野に飛んだ可能性もあり得たからだ。突然の緊張に彼は返答を忘れ、作業台に置いていたモノクルを急いで右目に掛けた。


「……時空の歪みは八百メートル前後か。だいたい、ここからうちの実家までの距離だ」


 この装置は起動の瞬間、転移地と目的地との距離を零にするため時間と空間を意図的に歪める。そのため、魔法発動後に発生するこの波を逆算すれば目的地までの距離を割り出せるのだ。


「んじゃあ、ひとまず成功ってことでいいんすよね?」

「三分ほど時間を遡らせてしまったみたいだが、勉強時間が増えたと前向きに捉えておこう」

「時間旅行は禁忌なんで、学会の偉い人に見つかったら一瞬で投獄ですね」

「君は優しい性格だな。僕なら悪魔の首は刎ねても安心できないよ」


 もっとも、今の現場を見識のある者に目撃されていたとすれば、ルキウスは即刻永久封印、イレーナは七日七晩『浄化(カタルシス)』を受けた後に打ち首にされていただろう。

 現代の魔導士にとって空間移動は魔導技術の進歩として許容できるが、時間遡行は神を愚弄するとして最大の禁忌とされている。その線引きは抽象的だが、従わない者には死以上の苦痛が待っていることだけ理解できていれば、わざわざ禁忌に触れようと考える愚者は他にいまい。


「……ところで、一つ君に頼みたいことがあるんだが」

「あー、シノンの靴っすか? いいっすよ、あたしが帰りに届けに行きますんで」

「いや、ちょっと見てほしいものがあるんだが」


 ルキウスはモノクルを外してイレーナへ渡し、視線で掛けるようにと促した。イレーナは突然のことに戸惑いながらも彼の見様見真似でモノクルを掛け、起動ボタンを押す。するとレンズの中に一斉に大量のデータが散布した。


「うわ、まじの浪漫じゃないかすか、これ」

「普段は鎧と視界がリンクするんだが、今は回路を外してるんでそれだけしか情報は出てない。……それより、本題に入らせてもらう。まずはこれを履いてくれ」


 そう言ったルキウスは、作業箱の一番下から年季の入った安全靴を取り出し、モノクルと交換する形でイレーナへ手渡した。彼女は何を言われるのか皆目見当もついていなかったが、言われるがままに白い素足を靴の中へ入れた。その性格ゆえか、両足とも踵を踏んでいる。


「……実を言うと、君の頭が必要なんだ」

「あたしの? 手伝えることなら喜んでやらせて貰いますけど……」

「君は疑似魔導回路について論文を書くくらいなんだから、きっと相応の知識があるはずだ」

「まあ、去年は『工学』の講義を多めに履修してましたんで……。けど、エドワードさんが作ったもんなんすから、あたしなんかじゃ到底及ばないと思います」

「僕は零を一にするのは得意だが、一を二にするのが苦手でね。だから知恵を貸してほしいんだ。論文をじっくり読ませてもらうのもいいが、そこに書き手の君がいるなら直接助力してもらったほうが効率的だ。急ぎの要件でもあるしね」

「じょ、助力って、んな大げさなことできないと思いますよ? あたしとか超てきとー女だし」

「別に無理に引き留めようという気はない。帰りたいならいつでも帰ってくれ」


 この間、ルキウスは人にものを頼んでいる態度とは思えないほど忙しそうに作業場を右往左往している。内蔵品が外されて幾分か軽くなった鎧を引きずりながらも何とか吊り上げ、その横に設置した台の上に疑似魔導回路とその予備を乗せ、そして部屋の左端に置かれていた二つの収納箱を台車に積んで近くまで引いてきていた。


「こん中には、何が入ってるんすか?」


 興味を惹かれたイレーナは台車に歩み寄り、忙しなく用意を進めるルキウスに訊いた。いつの間にか、ルキウスはどこから持ってきたのか長く太い黒色のチューブを右肩に担いでおり、「開けてみろ」とだけ言ってからまた別の道具を取りに行くため踵を返していた。


「わぁあああああああっ⁉ こ、これまさかっ‼」


 上に積まれた収納箱の中には一回り小さい何かの装置がぽつんと入っているだけだったが、それはスケルトンデザインで中身がまる分かりだったが故に、またもイレーナの琴線に触れた。装置の中では一目で複雑な構造と分かるくらい様々な色のコードが絡み合っており、手前の側面には三種類ほどのボタンが付いている。

あまりの感激に、イレーナは目を輝かせながらチューブを挿入する穴に指を入れて声にならない声を洩らしていた。


「純正の魔力をエネルギーに変換するための装置、その()()だ。そん中に魔石を入れて、できた魔力エネルギーをそのチューブで疑似魔導回路に充電する。学校には改良型があるだろうから……まあ、それも僕が寄付したものだけど。時代遅れの品にはなるが、よければ貰ってくれ。記念品くらいにはなるだろう」

「えぇっ⁉ こ、こんな価値あるもん貰えるわけ……」

「まあ、ファンサービスの一環だよ。そんながらくたでも、作ったばかりの当初は学会の爺さん婆さんにすごい叱られたものだ」


 今までになかったものを世に出すと言う行為自体、この時代ではあまり褒められたものではなかった。特に保守派が多い学会からどれほどの苦言を呈されたか、ルキウスは耳が蛸になったほどである。

 とはいえ、最も重要な基盤として土台に魔法が存在しているからこそ、魔力エネルギーという新物質は許された。これがもし魔法そのものを蔑ろにする何かであれば、ルキウスは永久封印を受けていたに違いない。


 当時、ルキウスは神を偉大なる至高の存在と崇める神学者の連中に家族を殺されてもおかしくない状況だった。その緊張感から、ルキウスは家族共々亡命することすら視野に入れていた。

 彼らが最も恐れているのは、魔法依存社会からの離脱である。

 彼らは魔法を捨てるということは、神を捨てるということに他ならないと主張している。

 魔法の深淵を覗いてはいけない。魔法を蔑ろにしてはいけない。

 しかしルキウスは以上の絶対な規約に縛られてなお、その類まれなる才能を発揮できていた。


「じゃ、じゃあありがたく。……えへへ」


 機械を撫でながら喜びに破顔しているイレーナを見て、ルキウスも自然に口端が上がった。彼の発明品を純粋な気持ちで受け取る者はそういないのに加え、ここまで喜びを全面に出されたことはなかったからだ。


「あたし、何でも手伝いますよ! 何から始めればいいっすか!」

「そうか。なら、これを運んでくれ。ペンは今から持っていく」


 一通り堪能したイレーナは、ルキウスに運ぶのを頼まれたホワイトボードをあちこちにひっかけてぶつけながらも、何とか鎧付近の空いたスペースに押し込んだ。ホワイトボードの溝にペンを三本並べたルキウスは、改めてイレーナに向き直ると、右手をその方へ差し出した。


「……エドワード・ウィズ・ルキウスだ。気軽にルキウスさんとでも呼んでくれ」

「あ、えと……。イレーナ・イレーナです」


 恐る恐ると言った具合にその右手を握ったイレーナに、ルキウスは笑みを見せた。まだ幼いが、魔学に関する話が通じる者にあったのは久しぶりのことだったからだ。


「よろしく、イレーナ。確認だが、明日の講義は何限からだ?」

「一応三限からなんで、午前中までは大丈夫です、ルキウスさん」

「それは嬉しいが、流石にそんな拘束はできん。安心してくれ、給料はきっちり払うよ」

「そ、そんな大丈夫です! あのルキウスさんと一緒に働けるだけであたしは充分ですから!」

「学生のうちに稼げるだけ稼いだ方がいいぞ? 僕は大人になってから貯蓄がないなんて理由で夜の店で働かざるを得なくなった人間を多くみてきた。まっ、君は学会に属する気だろうから、無用の心配になるだろうけど。とはいえ、給料は受け取ってもらうが。……ほらこれ」


 ルキウスは頑なに給料を拒むイレーナの右手にペンを乗せた。そして不毛な言い合いを打ち切ってホワイトボードに次々と何かを書き込んでいく。


「だいたい魔石千個で三十万エネルギーを作れる。これだけあれば王城の灯りを三日三晩付けていられるが、それでもあの鎧を充分に動かせるのは二十分が限界だ」

「はは、随分な高燃費っすね」

「指先まで思った通りに精密に動かせる分、遠隔操作だと殊更消費が激しくてね。なので鎧に内蔵できる限界サイズまで疑似魔導回路を大きくしてみたんだが、それでも六時間が関の山だ。残念ながら今の僕では、この回路を小さくすることができない。できるはできるが、その分出力が低下するのは自明の理だ」


 つまり、エネルギー量を増やしたい、もしくは維持したまま回路を小さくしたいという目標からは遠ざかる一方である。これまでに幾たびも方法を発案したが、現状で考え得る限りの手は全て頓挫している。


「……多分、できると思います」


 説明を聞き、思案を巡らせていたイレーナの呟きに、ルキウスは目を細めた。


「あたし、前に『魔石学』の研究してたんです。フィーブル教授……んと、『魔石学』を教えてる先生が『魔石は加工不可能』って論文に書いてたんすけど……」

「それなら僕も読んだし試した。実際あれは嘘の論文、と言っても僕が生まれる以前に書かれたものだからそこは配慮してやるべきだな……、とにかく魔石に加工はできるし、そこに相関関係があることは立証済みだ。僕の魔石に関する論文、読んでくれた?」

「もちろんです。……ところで、魔石は()()()()()()()()っつー決まりは、ルキウスさんもご存じっすよね?」

「当然だ。何せ、爆発するからね」


 その現象は一般的に『神の怒り』と呼ばれ、魔力を含有した魔石を十秒ほど火にかけると、大爆発が起こってしまう。魔石の大きさによってその規模は異なるが、過去の事例で死傷者が出なかった試しは一度もない。ほとんどの原因は不注意だが、中には好奇心から実践する者もいた。


「だが、仕組みは簡単だ。魔石に眠る魔力は二種類ある。僕たちがエネルギーに変換している善性の魔力、片や、火に接触するだけで大爆発を引き起こす悪性の魔力。魔石の魔力を『魔力』として扱う分に区別はいらないが、万が一エネルギーとして活用する場合に悪性の魔力を変換してしまえば、大事故が起こってしまいかねない」


 無論、ルキウスとて学生時分に『魔石学』の講義を履修した身であり、また在学時に魔力の善悪性を発見した張本人である。彼は魔力エネルギー変換器を初めて作る際、悪性の魔力を誤って変換しないように細心の注意を払っていた。一号が学会に認められた所以の一つに、善性の魔力のみがエネルギーとされているため、事故を引き起こす可能性が従来の魔石よりも低いと判断されたからだった。


「あたしも最初はそう思ってたんすけど──ルキウスさんは悪性の魔力について()()()()()()()があります」

「……それは、なかなか興味深い話だ」


 数年前の結論を遂に覆される時がようやく来たか、という期待にルキウスの心は若返ったように弾んでいた。これまでの論文はいずれも決定的な根拠に基づいて記してきたが、人間である以上、必ず欠陥というべき穴がどこかしらに生じている。だが、バイアスに塗れたフィルターを通して見れば、天才の過ちというのは早々に発見されるものではない。故に数年も要した。


「……結論から言えば、魔石の中に魔力は確かに二種類存在しますが、善悪の二元ではありません。火にかけて爆発する原理は、二つの魔力が同時に熱と化学反応を起こすからなんです」


 イレーナはホワイトボードに魔石の絵、その横に二種類の魔力の構造を緻密に描いた。


「善性の魔力の構造は、悪性に比べて極端なほど広くできています。これを見たルキウスさんは善性の魔力から悪性よりも多くのエネルギーが取れると考えたようですが、実はこの中にあるのはほとんど不純物ばかりで、悪性より得られるエネルギーは多くても、その質は相当低いっす」

「……続けてくれ」

「はい。んで、逆に悪性の構造は極端なくらい狭いですが、不純物はほとんどありません。なので、善性よりも量はかなり減りますが、その分だけ質のいいエネルギーが取れるんです。ルキウスさんはこの構造が瞬間的な圧力の変化、つまり火にかけることで爆発を招くと考えられたようですが、実際にあたしが悪性のみの魔力を抽出してマッチを近づけても、特に変化はありませんでした」

「なっ、試したのかッ⁉」


 作業台に腰かけて頷きながら説明に傾聴していたルキウスは、信じられないと言った目でイレーナを凝視した。一歩間違えば、ただの自殺行為である。

 天才が発表した論文の内容を疑い、自ら危険を顧みずに実験する精神。

 それはまさに、素質を持った学者が一度は患う狂気である。倫理や常識など、全てが度外視されてしまうあの時間は、体感する身にとっては至高であっても、他者の目には精神を病んで自暴自棄になった学者の末路にしか映らない。


「……? まあ、はい」


 何故眼前の男が驚いているのかを察することができないイレーナを見て、ルキウスは思わず笑みをこぼしそうになった。彼女ならば、確実に自分を越えてくれるだろう、と思ったからだ。

 その自覚なき狂気こそ、時代を先駆ける者に必要不可欠な才能なのである。


「……さて、取り乱して悪かった。さっきのところから続けてくれ」

「えっと、つまり結論なんですが、いっそのこと悪性とレッテルを貼ってる方の魔力をエネルギーに変換してみるのはどうすか? 上手くいけば、金と手間はかかるかもしれませんが、質のいいもんが取れると思います」

「質がいい、ということは、従来のものより性能がいいということだな?」

「それで相違ないっす。なんで、疑似魔導回路を小さくしても、エネルギー出力は保たれるのかなと……まあ、実際に維持はできたんですが。……えと、どうでしょう?」


 そこでスイッチが切れたように委縮したイレーナは、おずおずとルキウスの顔色を窺っていた。その脳裏では今までの記憶がフラッシュバックされ、生意気なことを口走ってしまった自分に嫌気が差していた。ひとたび熱が入ると、本能が覚醒してしまうようである。


「よし、それでいこう」

「えっ! そ、そんなあっさり決めていいんですか? もしかしたら、あたしとんでもない見落としとかあるかもしれませんし、回路縮小の実験だって、偶然成功しただけかも……」

「別にあってもいいだろう。間違えだったとすれば、それはまた前進に繋がる」


 ルキウスは用済みになったホワイトボードを隅っこに滑らせ、モノクルを起動して右目に掛けた。そしてアビリティの『アテナ』を起こし、情報共有を始める。


「……いいか、何事も間違えを恐れるな。特に魔導士は、実験ありきなんだ。最初から成功すると分かってて実験するやつがどこにいる? 間違えても修正に修正を重ね、ようやく一人前になれるんだ。……それに、今の僕には時間がない。思い立ったが吉日だ。さあ、準備しろ」

「は、はいっ‼」


 彼にとって些事でしかないことに拘るイレーナを叱咤し、即座に用意に取り掛からせる。まず始めにやるべきは、悪性の魔力をエネルギーに変換するための装置を作ることである。


「魔石なら充分すぎるくらい貯蔵がある。間違えたらやり直せばいい。とにかく零時までに新しい装置を完成させて、それから抽出に要する時間を使って夕食兼入浴。風呂から出たら作業を再開し、明日の五時までに疑似魔導回路を縮小させる。異論は?」

「だいじょぶっす」

「それじゃあ、さっそく始めるとしようか──」


 ──只今の時刻は午後七時を回っている。

 煌びやかな月光が降り注ぐ作業場は、遂に早暁まで騒音が絶えることはなかった。

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