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イモウト

『──お兄さんは外出中です。速やかに御引取ください。お出口は回れ右ですさようなら』

「……。……? …………よ、鎧がお兄ちゃんの声で喋りましたぁああああああああああッ⁉」


 リビング前の階段から地下の作業場へ向かおうとしていた少女は、反対に上がってきた鎧と半ばで鉢合わせ、その鎧が兄の声で流暢に()()()ことに対して驚愕した。

 亜麻色の髪の先は内巻きになっており、年相応に幼さの残る可愛さに拍車をかけている。ルキウスと同じ血を引く故か、瞳は彼と同じように美しい碧眼だが、反面身長は百五十三センチ程度しかなく、体重もルキウスより三十キロ近く軽い。


 貴族階級は通うのが常識となっている王立学校、その十回生である少女──シノンは制服を着ていた。上半身は白シャツにグレーブレザーを着用し、下半身はチェック柄のプリーツスカートと膝丈上の黒ハイソックスを履いている。学校が終わった放課後、そのままここへ来ていた。

 ぱちりと丸く大きく開いた目元を縁取る睫毛は長く、細く高い鼻と潤った唇は誰の目にも好意的に映る顔立ちだ。しかし、鎧と邂逅した現在は大口を開け、その現象に硬直している。


 兄との戯れ、上手く事が運べば家に泊めてもらえるかもしれないという期待を胸に、妙に警戒されていた玄関を抜けてみれば、そこにいたのは見たことのない鎧。それを着るような兄ではないと知っているからこそ、シノンはその光景を奇妙な結果として捉え、吃驚したのである。


「お、おにちゃぁああああああああああああああん‼ 鎧が動いて喋ってますぅうううっ‼」


 喉を震わしながら絶叫するシノンは、そう言うや否やに階段を蹴った。そしてスカートが捲れることも厭わず右脚をぐいと伸ばし、その足裏で金属でできた冷たい鎧を蹴り飛ばした。勢いづいた飛び蹴りが直撃した鎧は重心を失い、シノンの下敷きとなって(そり)の要領で一息に階段を下ってきた。


「……平民の生涯年収に匹敵する高価な鎧を橇替わりにするとはな。我が妹ながら末恐ろしい」

「いったた~。……って、あっ、お兄ちゃん! やっと会えましたね!」


 多少の振動があったのか、シノンは腰を擦りながら立ち上がった。相変わらず鎧には目もくれず、ルキウスを見つけるなりその傍へ駆け寄っていく。


「ねえ、お兄ちゃん? その眼鏡はなんですか?」


 シノンが見上げたルキウスの顔には、奇妙な片眼鏡が掛けられていた。彼の魔導士としての側面を誰よりも間近で見てきたシノンは、また新しいものを発明したのだろうと推測している。彼女は兄が時代の先駆けである魔導士として活躍していることを自慢に思っていた。


「モノクル、思念を魔力波に載せて送信してくれる装置だ。そっちの鎧には受信機が付いていて、これで遠隔操作ができる。距離は十キロ前後が限界だが、この分なら支障はない」


 言っても通じないだろう、と思いながらも、ルキウスは端的に装置の説明をした。

 流石に少女の下敷きになった程度で壊れてしまうほど脆い鎧ではないという確信があるため、ルキウスはたとえシノンが無自覚であっても責めることをしない。寧ろ、派手に転がってきた時は怪我がないかと心配していた。


「とはいえ、まさか妹に足蹴にされる日が来るとは……。反抗期はもっと先かと思ってたぞ」

「むっ、何言ってるんですか! 私がお兄ちゃんを蹴るなんてありえません! 心外です!」

「今さっき蹴ったろう? 鋭い一撃だったが、まだまだ冒険者以下だ」

「……ふぇ?」


 当たり前だが一向に要領を得ていないシノンに、ルキウスはモノクルを取り外して彼女の右目に掛けてやり、それから横の起動ボタンを押した。


「わ、わああ……。み、右の視界に天井が映ってますよ、お兄ちゃん!」

「その光景は彼のだ。さっきまであれを操ってたのは僕だ」

「す、すごいですっ! なんかぜんぜん分からない記号とか数字とかいっぱい並んでて、頭がおかしくなっちゃいますよ!」

「魔学や気象学の勉強の一環だと思って読んでみろ。現在の風力階級はどうだ?」

「三です!」

「……線の数は?」

()()です!」

「……外は快晴で風速約二・二m/sの軽風が吹いてる、階級は二だ」

「ほぇ~」


 ぽかんと口を開けて情けない声を洩らしているシノンに、ルキウスは嘆息しながらコーヒーを含んだ。独特の苦みが眠気覚ましとなり、また暫くは布団に入れないだろうと思うとため息が止まらない。


 結論から言えば、シノンはルキウスほど賢い子ではなかった。

 一応貴族階級であるエドワード家の出であるルキウスは通常六歳から入学する王立学校に四歳で入学、二十二歳で卒業するはずのところを僅か十三歳、圧巻なまでの飛び級で卒業した。その後は魔導士たちが組織する魔学研究会に所属し、魔力エネルギーを開発するなどの功績が讃えられ、三年前に会長となった。王立学校では当然『魔学』を専攻して『魔導士』の学位を取得、また学会に提出された論文は幾度も注目を集め、更に数年で魔導技術を飛躍的に進歩させた功績などから度々表彰され、王都ではその名を知らない者はいないほどの知名度を誇っている。


 対して、シノン。彼女は昼夜問わず溌剌としており、一度も風邪を引いたことがない()()()()()である。王立学校に入学した後は何度も留年しかけながらも進学してきた。来週から進学に非情に関わってくるテスト週間が始まるのだが、焦燥感を一切覚えることなく、呑気にルキウス邸にいる。

 要するに少女は、勉強ができなかった。やらないのではなく、やってもできないのである。だからこそ、最初から諦観に近いものを抱いており、半ば現実逃避のためにやってきた。


『だって、お兄ちゃんに私の才能全部吸われちゃったんだもん。だから、できないのは当然じゃないですか? でも、その分お兄ちゃんは頑張ってます! お兄ちゃんの活躍いこーる私の活躍です!』


 というのが、本人の弁解、もとい主張である。

 運動能力が高く、ほとんどのスポーツ科目を上位成績でおさめていることが唯一の救いであった。毎年ぎりぎりで進学できるのも、そのスポーツ点が大きく寄与している。


「──あっ⁉」


 シノンはモノクルを外して作業台に置き、違和感の残る右目をこすっていたが、突如何かを悟ったように大きな声を上げた。


「わ、私、お、お兄ちゃんにパンツ見られちゃいました!」

「……なに?」


 その言葉にルキウスの視界がぐにゃりと歪んだ。


「見ました! 見ましたか! ええ、見られました‼」

「……頼むから落ち着いてくれ。見たにしても、妹の下着に発情してたまるか」

「それは勝負下着じゃなかったからです! きっとこれが子供っぽいからに決まってます! ……な、なので、今日は何も見なかったことにしておいてください」


 後半は人が変わったように萎れた様子で、懇願にも似た響きを以てシノンは言った。一方のルキウスはそんなのはどうでもいいなどと思っていると、唐突にある疑問が頭に浮かんできた。


「そういえば、シノン。リビングはあまり気にならなかったか?」

「ふぇ、リビングですか? 瓦礫だらけで、天井には()()()()()が開いてましたよ! 頑張って背伸びをしたら、何とお城も見えました!」


 平生からこの邸に身を置くルキウスは、その発言に違和感しか覚えない。

 本来外の景観を見たければ、二階に上がってバルコニーに出なければならないのだ。そこからなら北部に佇んでいる王城だけでなく、魔石灯に照らされ、どんちゃん騒ぎをする城下町の賑わいを楽しむことも叶うだろう。

 しかし、シノンは嘘を言っていない。

 まず、揺るぎない事実としてルキウスの邸には巨大な穴が、二階からこの作業場まで貫通して開いていた。ルキウスが今立っている位置で九十度体の向きを変え、三十歩ほど大股で進んだ先で顔を上げれば、夕焼けの空を仰ぎ見ることが叶うだろう。


(まさか、エネルギーが空中で切れるとは……。つくづく運がない)


 王都の市壁を越える直前で思い出したようにステルスモードとなり、後は城下町でも見降ろしながらゆっくり降下していこうとルキウスは考えたのだが、その途端に回路内の魔力エネルギーが底を尽き、何十メートルか自由落下した。寸前で予備回路が作動して持ち直そうとしたものの、結果的に衝撃を和らげるに止まり、二百キロ以上の鎧は二階天井を突き破り、鋼鉄製で防音性能の高い地下へ真っ逆さまに落ちてきた。これでも相当な被害であるが、もし予備の作動がほんの少しでも遅れていれば、被害は拡大し、ともすればルキウスは瓦礫に埋もれていた。


「……それでも、組み込まれた回路にほとんど損傷はなかった。流石、龍人が着用してただけあって、それなりの硬度は誇ってるみたいだな」


 一般的に亜人種の頂点に君臨するとされる龍人。かつて世界を蹂躙した【魔獣の大津波】を止めるべく龍人の一族から俊傑が六名選出され、その筆頭が身に着けたとされる鎧が、ルキウスの所持しているこの鎧である。

 龍人は既に絶滅し、武具一式は世界各国に散り散りとなって失われたと考えられていたが、昨年の暮れ、王都郊外にある深緑の森林にて遂に鎧が発見され、ルキウスが十万金貨──凡そバーミリオン王国五年分の国家予算に匹敵──を支払って買い取った。一部の神学者や考古学者から国の威信を高めるため献ぜよと反発をくらったが、ルキウスは、


『あなた方は親が残した遺産を用いず、一生金庫にしまっておくと? 未来を作るのは、過去の遺産だ。後ろ向きなあなた方と僕とでは、物事の価値基準も見るべき未来も違うのです』


 と彼らを一蹴した。確かに鎧は龍人が用いていたとだけで歴史的価値は高かった。だが、別に造りが特殊なわけではない。金と手間をかければ、現代の鍛冶師でも複製は可能な品である。

 ルキウスが目指すのは、争いの抑止力。いずれ、戦争で人が死ぬ未来を招かないように、彼は毎日を必死に足掻き、研究に研究を重ねているのだ。その道程に、歴史は一切必要ない。


「──()()()のこと放置して先行くとか、まじ鬼畜かよ」


 ルキウスが鎧を分解して片付けていると、不意に見知らぬ少女が階段を下りて作業場に入ってきた。少女はシノンを見つけるなり、肉付きの薄い唇に咥えていた棒付き飴を右手で取り出し、呆れるように言った。その一瞬に八重歯が覗いた。

 身長はシノンより大きく百六十四センチほど。踵まで届く毒々しい紫の長髪をゴムで留めて馬の尾のように背に垂らし、仕方なく開いてるとでも言うべき紅い双眸と左目下にある泣きぼくろが相まって、退屈な人生を送っているというダウナーな印象を与えた。


「あ、イレーナさん! ぜんぜん来ないから先帰っちゃったのかと思ったよ!」

「あんたに言われて律儀に待ってたあたしが馬鹿だったわ。……つーか、髪先一寸くらい焦げたんですけど」


 ようやく来たかとばかりに彼女の方へ駆けよっていくシノンの態度から察するに、学友あたりだろうとルキウスは推測した。だが、いまいち違和感が拭えない。

 イレーナと呼ばれた少女の服装は、王立学校の指定された制服ではなかった。同学年であれば、彼女も十四歳──つまり、十回生のはずである。

 だが、その格好は無地の黒シャツに羽織った上着を着崩し、ショートパンツを履いて線の細い脚を剥きだしにしていた。右足首にはアンクレットを付けており、両足の爪先には桃色のペディキュアが施されている。

 こうした装飾品が許されるのは十五回生からなのだが、一度家に帰ったのだろうか。否、ルキウスは自身の経験から()()()()も思いついていた。


「……飛び級してるな。今は何回生だ?」

「十七回生っす。今は卒論書いてます」


 なるほど、予想を超えてくる賢さであった。確かにさっぱりしたその口調からは天才特有の余裕を感じ取れる。不良のような見た目に反する頭脳を持つ彼女に、ルキウスは思わず感心した。


「そんな博学な子が、どうしてうちの妹といるのか知りたいね。……万が一のために」


 ルキウスは調整のために鎧から疑似魔導回路とその予備を外し、ただの防具となったそれを部屋の隅に組み立て直した。それから一息つこうと作業箱の近くに戻り、瓶からファッジを二個摘まんで一つを口に、片方をシノンに投げる。鯉のように口を開けたシノンは、投擲された菓子を見事に吸い込んだ。


「えと、その……なんといったらいいか……」

「……まさか、付き合ってるんじゃないよな?」

「うぇえっ⁉ や、違います! んなんじゃなくて、その……」


 初々しいというかたどたどしいというか、妙に歯切れの悪い物言いに、ルキウスはますます訝しむように眉間の皺を深めた。それこそ、ファッジの甘さが感じられなくなってくるほどに。


「ん、ごくり……。違いますよ、お兄ちゃん。私たちは強い絆で結ばれたただの友達です!」

「その経緯を知りたいんだよ。僕は妹に安全な学校生活を送ってほしいと考えてるだけだ。それくらいは学費を出してる身として、気遣わせてくれてもいいだろう?」


 ルキウスが視線をイレーナに戻すと、彼女は鎧の方へ足を向け、吐息をつきながら隅々までまじまじと見つめていた。


「……気になるか?」

「あっ、すみません勝手に! こういうの性っつうか、なんつーか……。つい魔が差して……」

「別に構わない。それより、君、名前は?」

「い、イレーナっす」

「それは分かってる。上の名前は?」

「あっと……あの、イレーナっす」


 予期せぬ返答に、ルキウスはこめかみを掻いてもう一度イレーナを見た。どこか緊張している風であり、大方質問を聞き漏らしたのだろうと思った。


「……シノン。彼女の名字は?」

「だからイレーナだってば、お兄ちゃん!」


 ルキウスは暫く固まった。

 二人から弄ばれているのではないかとも考えたが、それにしては程度が幼稚だ。つまり、イレーナは最初から間違えてなどいなかったわけで──。


「つまり、君の名前はイレーナ・イレーナ、だと?」

「はい、イレーナ・イレーナです。魔導士の学位をとってる最中のイレーナです」


 珍しい名前もあるものだ、とまたまた感心する一方、ルキウスは先のイレーナの発言に引っかかりを覚えていた。


「君は魔導士になりたいのか?」

「ま、まあ……。騎士なんて性に合いませんし、商いも経営学とか学ばなかったので……。一応、言語とかの資格は取ったんですけど、翻訳は退屈っつーか」


 面映ゆいのか、後頭部を掻きながら会釈のように頷いているのを見る限り、根は真面目なのだろうかと思いながら、愈々ルキウスは二人の出会いが気になった。


「一応訊いておくが、二人は同い年だよな?」

「はい、お兄ちゃん! もっといえば、私は八月生まれで、イレーナさんは十月生まれなので、私の方が人生の先輩です!」

「それで先輩って面かよ……。つーか、あたしは十七回生なんだから、どっちかって言えばあんたの方が後輩じゃん」

「うっ……。で、でも! 私はイレーナさんより強いんですよ! だからやっぱり先輩です!」

「そこまでにしとけ、シノン」


 とんでも理論を持ち出すシノンは、何が何でも自分を先輩にしたいらしい。次女として産まれたことをコンプレックスに思っているのだろうとルキウスは思い至ったが、その場合の上手な諭し方が分からず、それ以上は閉口せざるを得なかった。

 宥められたシノンは、臍を曲げたようにぷいとそっぽを向いてしまい、ふらふらと鎧の元へ吸い寄せられるように歩いていった。

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