それは『鎧』か『兵器』か
──悲鳴が連鎖する。
それらは絶望に染まっていた。
そこは、神聖な王都からは遠く離れた地。
痛みを吠える数多の絶叫は、不条理の刃によって次第に沈黙していく。
「──やめ、やめてくれええええええええええええええええええええええええええええっ‼」
太陽は南中。
眩いばかりの陽光が、火を放たれた民家の家々に降り注いでいた。
ぎらつくような照りと人が焼ける臭いに晒された村人たちは、襤褸を纏った残虐な山賊から逃げることに必死である。
その光景は絵画にすれば間違いなく高値が付くだろう。題名は『地獄』、とでもしよう。
「一人として生かしておくな! 憲兵に顔を知られれば、間違いなく手配されちまう‼」
村を襲った山賊は五十人を超えていたが、その割に統率が取れていた。指揮官として、大柄の男が適当な指示を出し、まるで籠の中に追い詰めた獣を殺すように村人を順調に減らしていく。
この時分、村人は丁度仕事の手を休め、各々の家に戻って昼食を取っていた。気を抜いて疲労回復していた最中を襲撃されたのだから、たまったものではない。
老若男女問わず、悲鳴が上がった。百人以上で構成されていたこの村落は、もう両手で数えられる程度の人数しか生き残っていない。趨勢を見ていた大柄の男は、二十人の仲間に焼け落ちる寸前の民家へ入って金目の物を取ってこいと命じ、残りの者には退却の準備をしつつ、生き残りを殲滅せよと指示を出した。
「畜生っ! まさか奴ら、農具なんかで抵抗してきやがるたあな。……だが、所詮年寄りばかりの村だ。こういうのは、俺たちからすれば格好の獲物に違いはねえ」
村を襲撃したこの大柄の男たちは王都から二十キロ以上離れた位置に屹立している大山を拠点とした【山賊党】と呼ばれる組合に参加しており、付近の村々を計画的に襲撃しては金品を強奪していた。その中でも、この男は襲撃隊を率いる筆頭という位に就いており、これまでに幾たびも作戦を成功させてきた自負があった。
「グマイルさん! 一つ問題が生じました!」
駆けよってきたのは大柄の男──グマイルの手下である少年、エンリケである。まだ十代半ばで矮小な体躯のエンリケは元々こことは違う村落に住む農家の出であったが、戦争による徴兵で父親が戦死。その後は食い扶持がなかったために仕方なく盗賊となり、ひと月ほど前に偶然出会った山賊党筆頭のグマイルに頭を下げて彼の雑用係りとなっていた。今回の仕事は、見張りである。
「どうした、もう憲兵が来やがったか?」
「いえ、憲兵はまだです。ただ、奇妙な『鎧』を着たのが西口に……」
「何人だ‼」
「ひと──」
それだけ聞いて、グマイルはエンリケを殴り飛ばした。と、同時に屍をいくつも踏み越え、村の西口へ急いだ。憲兵ではないとエンリケは報告したが、そもそも鎧を着てる時点で騎士か何かであろう。単騎であるなら、援軍を要請される前に殺さなくてはならない。
幸い、グマイルは憲兵との万が一の戦闘に備え、戦える者を十人連れてきている。西口へ駆ける最中にそれらを招集し、半端な高さの石垣を越えた先で遂にエンリケが報告した『鎧』と対峙した。
「貴様は何者だ! 何故ここにいる‼」
まるで憲兵のように声を張り、グマイルは『鎧』に誰何する。その後方では前述した十人の手練れが揃って待機していた。みな、一人は憲兵を殺している猛者である。その自負もあって、いずれも物怖じしない姿勢で立ち、前方に仁王立ちしている『鎧』を睨みつけていた。
『鎧』は答えない。まるで照りつける陽光を受けて固まってしまっているようにも見えた。
見たところ、武器は所持していない。全貌は龍と呼ばれる古代生物を彷彿させる意匠で、ただの憲兵や近衛騎士の鎧よりも精巧にできていた。繊細な細工が目立つ兜の後方からは深紅の紐束が伸び、腰当は膝まで覆っており、全体的に重量感がある。近寄り難い雰囲気を醸しながら棒立ちする『鎧』を不気味に思ったのはグマイルだけではなかったが故に、即座に斬りかかる者がいなかったのだろう。
「……答えねえなら、そのままじっとしてろよ」
グマイルは用心深かった。後方にいる者の一人と得物を交換し、弓矢を手にする。弦の張りを確かめ、そして矢を番える。特に何の変哲もない矢であるが、直撃すれば姿勢を崩すことくらいはできるだろう。その隙を突いて仕留める算段であった。
『──よし』
「──っ⁉」
不意に首を曲げて日光を仰ぎみた『鎧』に、一同は警戒心を強めた。聞いたことのない声であったが、そこには圧倒的強者としての貫禄が感じられた。グマイルにはそういう連中に遭遇してしまった過去があり、それを思い出しただけで舌の上に苦い味を感じた。
『間に合った、とは口が裂けても言えない現状だな。君の観測がもっと優秀だったら助けられたんだろうが……いや、別に君を責めてるわけじゃない。これは実験の一環に過ぎない。人間、避けられない運命というものがあるからな』
『鎧』に対話の意志は感じられず、次第に憤りが一同に募っていく。そんな中、細身の男が鞘から刃渡り六十センチほどの直剣を抜き、グマイルに並んだ。剣身が血に濡れているのは、この村で幾人も斬ったからだった。
「なあ、頭ぁ。あいつは、この俺がぶっ殺してもいいか?」
男は歯ぎしりをしながら、肉のほとんどない細い腕を右肩に回して剣を担ぐ。この姿勢になってから「やめろ」が通じるほど穏やかな性格の持ち主ではない。
「その剣は拾いもんか? にしては、上等に見えるが……」
「この前アジトを調査しに来てた騎士様を殺して分捕った。もっと試してみてえ」
「よし、ならいって殺してこい」
間延びするように「了解」と口にした男は、緩慢に一同の前に出る。そして剣身に付着して流れる何者かの血を舐め、特有の味を堪能する。今では、すっかり病みつきになっていた。
(なるべく『鎧』は傷つけないで剥ぎてえな。ありゃあいい防具だ)
中に誰が入っているかなど、グマイルからすれば最早どうでもよかった。『鎧』を着れば、動きが鈍重になる。
この男は素早く動く。目で追えても体は動かないだろうとグマイルは考えた。
「キシャあァッ‼」
鋭い奇声を上げ、男が弾丸の如く飛び出す。案の定、『鎧』は微動だにしない。
男の足は速く、距離を詰めて間合いに入るなり、宙返りの要領で跳躍した。そして空中で身を捻り、螺旋状に回転しながら、男は右手に握る剣を『鎧』目掛けて振り下ろす。
取った、と一同は確信した。
狙ったのは兜と胸当ての僅かな隙間である。知恵のあるこの男もまた、『鎧』に相当な価値があることは言われずとも盗賊の性で見抜いていた。故に、隙間。
「──ぷぎゃ」
突如、強い向かい風が吹くと共に、一同の背後で声が潰れた。
「……は?」
瞠目したのはグマイルだけではない。『鎧』は未だそこに健在していた。変化があったのは、姿勢が変わっていたことだ。まるで窮屈さを感じないくらい柔軟に体を捻り、右腕が突き出ている。手先は岩のような拳となり、左腕は添えるように兜の付近、左足が前で右足が後ろになっていた。その構えは一流である。
その時、グマイルに底知れぬ悪寒が走った。そして恐る恐る体を返し、首を背後へ向ける。
先ほど自分たちが越えてきた石垣に、赤い染みができていた。飛び飛びに散った脳なのか内臓なのか肉片なのか分からぬそれは、粘着性を持って壁に付着しており、根本には骨と思しき赤に塗れた残骸が山積みになっていた。
「──ひっ」
一同の中で、誰かが声を引き攣らせた。が、無理もない。彼らは殺戮は楽しむが、人を砕いたことはない。精々相手をいたぶり、己が強者であるという悦に浸る程度だ。
そしてその声で、グマイルは正気を取り戻した。白紙になっていた頭の中に再び電気を流し、この状況をいかに切り抜けるかを考える。
『やはり、思い通りに動かせるのはいいな』
唯一彼らの空気に入れない『鎧』から発せられる声は、満足気であった。感覚を確かめるように右手を開いたり閉じたりし、やがて納得いったように「うん」と頷いた。
『──よし、戦闘開始だ』
『鎧』はそう言うと同時に、ようやく二歩目を踏み出す。その瞬間、『鎧』の背面から六つの金属の塊が排出され、それらはまるで磁場にあるかのように宙に滞在し、塊はそれぞれ『刀』、『薙刀』、『槍』、『戦斧』、『斧槍』、『直剣』へと機械的に変形した。
「……ば、化け物めっ‼」
グマイルらは未知の生物に心底怯えていた。このような化け物がいたことを、上層部は一切知らせてくれなかった。否、上も知らないのではないだろうか。
暴言を受けて暫く沈黙していた『鎧』は、肩を竦めて諭すように口を開いた。
『……君たちは理不尽に、そして無意味に人を殺すだろう。それはとても勿体ないことだ。けど、僕は違う。僕は常に先を見据え、悪人の死すら意義あるものへと変えられる。そしてそれは技術の進歩に直結する。……つまり、略奪のために殺人を犯す君たちは、僕の歩みを遅らせる害でしかない。だから死んでくれて構わない。死んで、魔法技術を支えるアトラスとなれ』
──戦慄した。
その言葉だけで、グマイルはこの男の正体を察したのだ。
しかし、何故ここにいるのか分からなかった。
彼は取り憑かれたように貪婪に魔法の研究をし、それで禄を食んでいるだけの戦わない魔導士のはずだ。まして、このような人外とも言うべき力があるなどと。
「ま、ままま待ってくれっ! お、俺だけでも、ににに逃がしてはくれないだろうか!」
突如、グマイルは外聞も憚らないほど無様に地面へ膝を突き、ただの『鎧』へ頭を垂れた。と言っても、既に恐怖のあまり失禁してしまっている彼に恥だ矜持だなんて関係ない。生きて帰れれば御の字、盗んで懐にしまっている金品を持って帰れれば奇跡という考えだった。
だが、それに動揺したのは後ろで待機していた他の一同、そして騒ぎを聞きつけてやってきた賊の残党四十人だった。
残党は何が起こったのか呑み込めていなかったが、グマイルが自分たちを裏切ったということは発言から汲み取っている。それに憤った一人の弓兵がその背に矢を放ち、グマイルは心の臓を射抜かれ即死した。
「──腰抜け以外は俺に続けええええええッ‼」
石垣に赤色を見なかった残党は、それぞれ血濡れの得物を携え、魔法を使っている風の『鎧』を砕き割らんという威勢を以て、次々に突進していく。騒ぎに便乗してグマイルの死骸付近にいた九人は逃げ出そうとしたが、彼らも腰抜けのレッテルを貼られ、同じ弓兵に矢で射抜かれ絶命した。
『……まるで濁流だな』
率直な感想だった。
襤褸を纏った男たちが流れ込むように襲い掛かってくる様は、目の当たりにすれば腰が抜けてしまうだろうが、そこにいないという事実も相まって、彼が焦りを覚えることは一切ない。
戦闘を続けよう、と口にした『鎧』は、六つの武器の具合を確認した。やはり自ら手入れをした甲斐あって、いずれも良好である。
一人目の男は刃毀れした刀を持っていた。業物に遠く及ばない、安物の量産品である。『鎧』は反りのある直刃の『刀』を右手に取り寄せ、大上段に構えて真っ向から迎撃した。
男の刀は『鎧』の一振りと撃ち合った瞬間に呆気なく折れ、そのまま脳天にその刀身がめり込む。『鎧』は尋常でない膂力のみで男の頭蓋を叩き割っていた。
とほぼ同時、仲間殺しを行っていた弓兵が後先考えずに火矢を放とうとしたのを横目に見、浮遊していた『槍』をその方へ飛ばす。弓兵は首を穿たれ、番えられていた火矢は真横にいた残党の一人に誤射された。それを受けてしまった男は熱された鉄板を素足で踊り狂うが如く舞い、暫くして絶命。弓兵も槍がぬるりと抜けた途端に血飛沫を上げ、膝から崩れ落ちて間もなく戦死した。
『アテナ、あと何人いる!』
流石に全方位を殺意に満ちた男に囲まれてしまえば、六つの武器では対処しきれない者も出てくる。
先ほど、一瞬の油断により、『鎧』は背後から何者かに金棒で殴られた。しかし一切怯まなかったことから、その者は金棒を放り捨てて戦場を離脱しようとした。が、飛んできた『戦斧』に首を刎ねられて絶命、それは矮躯の少年だった。
『鎧』は多数を相手にしているが、毛頭一人も逃がすつもりはない。また、多勢に無勢とも思ってない。ただ、蚊柱を構成するユスリカみたく群がってくる賊に手を焼いているのは事実である。既に十人以上斬り伏せたが、何分母数が多かった。
『……初戦にしては、数が多すぎたな!』
どこか嬉々とした声音で言った『鎧』は、ようやく浮遊する武器の扱いにも慣れてきたといった調子で斬り伏せるペースを速めていく。六つを一度に操作するのは難儀だったが、やはり実践の方が慣れが早いというのは確かだった。
そこからは虐殺に等しかった。
一人、また一人と柘榴のように赤い肉塊をぶちまけて朽ちていく。その背に向けて槍を構え、果敢に突進した男がいたが、『鎧』が振り向きざまに返した白刃がこめかみから侵入し、眼窩を砕かれた右の眼球が地面に落ちた。当然のことながら、男は即死している。
──そうして、『鎧』がこの村に到着して二十分が経過した頃には、掃討が終わっていた。
始め接続不調により一時行動不能となったのは、恐らく魔力供給が何かしらの原因で滞ってしまったからであろう。とはいえ、一度安定すれば斯様に順調に動くことができた。やはり、彼は屈指の天才魔導士である。
『村の生き残りは七人、か……。まあ、別の村に行くだろう。アテナ、付近に村はあるか?』
『鎧』は戦いが終わってなお独り言を辞めなかった。それを不審がったのは、生存を果たした少数の村人たちである。彼らは怯えながらも、そこらに転がっている山賊の屍を見て多少の安堵を覚えていた。
「あ、あなたは一体……」
村長と思しき年嵩の男が、『鎧』に歩み寄った。彼はそれを憲兵か騎士のどちらかと判断したのだろう。どちらにせよ、恐怖の念が薄いから大胆だった。
『あんたが村長か? よく生き残ったな』
「はい。ユースと申します」
『名前はいい。ファッジあるか?』
「ふぁっじ、ですか?」
『キャンディみたいな甘い菓子だ』
「い、いえ……」
『そうか、残念だ』
『鎧』は分かりやすく肩を落とし、柔軟な関節を活かして後頭部を掻く仕草をした。
『なら一度しか言わないからよく聞け。ここから南西に六キロほど進んだところに別の村がある。訳を言って住まわせてもらえ』
「は、はぁ……」
あくまで必要な情報だけを提供した『鎧』は、「それじゃあ」と踵を返した。ユースは引き留めようとしたものの、それをもてなすだけの人も食料もファッジもない。生存者の中には子供もいたため、なるべく早く移動するべきであった。
故に、慇懃に腰を折ってその背中に一礼をし、ユースも踵を返した。まずは怪我人を探さねばと考えていた矢先、石垣から顔を覗かせている少女がこちらを見て目を輝かせていることにユースは気づいた。そして、何の気なしにもう一度体を反転させる。
「……そんな、まさか……」
ユースの遥か上空。
空に浮かんでいた『鎧』は全身を翻すなり、地平の彼方に飛んでいった。