05 新たな決意を胸に秘めて!
街に続いていると思われる街道をひたすら進んでいく。
道は完全に舗装されているというほどではなく、あちこち石や土砂に埋もれていて歩きにくい箇所もあったが、それでも野道よりは格段に進みやすい。
(けっこう、文明レベルは高いのかもしれないな)
足下をよく見るとわだちの後が残っているのがわかる……ということは、向かう先には何かしら馬車のようなモノも存在するのであろう。
そろそろ街も近づいてきたあたりで、大きな石造りの橋がかかっていた。下にはごく緩やかに流れている川が交差していたので、川岸まで降りて水辺に近寄ってみる。
(澄んでて、なかなか綺麗そうな川だな)
照りつける陽光の中、目の前の水が涼しげに感じられた。手近に生物は見当たらなかったが、水面に時折、かすかに波紋が広がったりするのを見ると、何かしら棲息している気配は感じられる。
周辺には足跡がいくつか残っていて、壊れた桶の残骸が転がっていた。街のすぐ近くだし、きっとこの川は飲料水などの生活用水として利用されてるのだろう。
手で水をすくい、注意深く一口だけ飲んでみる……
「おぉっ、美味いっ!」
その時までは気付いていなかったが、喉は乾ききっていた。病原菌や寄生虫がいるかもしれない、などという考えも少しだけ頭をよぎったが、美味しかったせいで、ついつい立て続けに飲んでしまう。
「ふぅ……」
一息ついたところで、ふと思い立ち、水流がほとんどない静かな場所を探す。そして水面に反射する自分の顔をじっくりと眺めてみた。
そこに映っていたのは、やや童顔ながらも平均的な顔立ちの青年であった。髪型は少し乱れてぼさっとしているものの、顔つきも体型も見た感じ普通の人間である。
ただ、そう言いつつも、何も形成されていないただの素体などとは思えないくらいには、きちんと個性的な造形に仕上がっていた。
(良かった、普通の顔で……)
水鏡なのでさすがに細部まではわからないが、ちゃんと昔の自分の面影も残っていたし、適度にスマートに洗練されてもいるようである。
前は、どこを向いているかわからないような地味な目鼻立ちも、印象に残るくらいにはくっきりとしていた。
もしかすると100人中5~6人くらいは、それなりにイケてるよと言ってくれるかもしれない。
と、まぁ、そんなことはどうでも良くて……
――間違いない――
ここに転送される前に、あの下っ端神様に提出した[容姿に関する要望]が、ちゃんと反映されている……。
つまりこれは、転送後すぐに、俺の外見部分がブラッシュアップされることになっていて、あのスマホが壊れるまでに、今の状態までは整形されたということではないだろうか。
(だとしたら、ひょっとして……)
先ほどの橋に道標らしきものが立っていたので、近くまで寄ってしげしげと眺めてみた。
[ヴィ=ナルカ ⇒]という文字がはっきりと読める。矢印は街の方向を向いているから、ヴィナルカは、間違いなくこの街の名前だと思われる。
もちろん日本語などではなく、今までに全く見てきたことのない文字だ。
だが、ちゃんと自分でも理解できる。いやそれどころか、街の知識もわずかながら頭に浮かべることが出来た。
――ヴィナルカ(正式名称は、ヴィ=ナルカ)は、さる王国の辺境、南側に位置する小~中規模くらいの街だ。農耕や狩りが主な生活の手段だが、ここらでは一番大きな街ということで、商業都市としてもかなり栄えている。
確か、きちんと統治している領主がいたはずだったが、その辺りの詳しい知識までは俺の記憶には存在しなかった。
俺は道標の前で腕を組み、しばらく考え込む。
先刻、あの怪鳥に襲われた際に壊れてしまったスマホの、最後の機械音声を思い出そうとする。
(『移行作業は、1.4……ピ――――――――ッ』)
確か、そんな事を言ってたよな……。
あれはもしかすると、1.4%までのインストール作業が終わっていたみたいな事を言おうとしていたのではないだろうか。
むろん確証はなく、あとに続く言葉が本当に[%]なのかも疑わしい。だが、どのくらいの容量かはわからずとも、自分にいくばくかの基礎的な能力が与えられていることは間違いなさそうであった。
生きるのに必要とされる最低限の知識や能力――根幹となる物だけは真っ先に転送され、それから付加価値的な能力をインストールしようとしたところで装置が壊れてしまったのだ、という仮説はそれなりの説得力があった。
(うーん、これなら、なんとかなるかもしれないぞ)
たとえ微々たる能力や知識であったとしても、何もないよりははるかにマシである。そこからいろいろなもの事を広げていけば、その先の道にだって繋がっていく可能性があるはずだ。
前途多難だった暗闇の中、一筋の希望の光が見えた気がして少しだけほっとする。
「あとは、自分で当たってみろってことだな」
気づけば、やや暑いくらいだった日差しも和らいで、少しずつ日が傾き始めている。
今の時刻は、太陽の向きから考えて、元いた日本での15時くらいだろう。こちらの[日の入り]がどれくらいなのかはわからないが、いずれにせよ急いで行動をした方がよさそうである。
この地方、随分と穏やかな季節らしく、今はシャツだけでも過ごせているが、夜も大丈夫だという保証はどこにもないわけで……。
それに、たとえ着の身着のままで過ごせる陽気だったとしても、また何かに襲われるようなリスクの高い野宿は、できるだけ避けておきたかった。
壁に覆われた都市――ヴィナルカまではあとわずかだ……。
◆◆◆
「あぁーん、きさまは、何者だ?」
残念ながら、すぐに街に入れるというわけにはいかなかった。
眼の前には、いかにも傲岸そうな大柄の男がドーンと立ちはだかっている。
街道の先には、確かに街への入り口があるにはあったのだが、入り口の脇に、槍を担いだいかつい男達が2人ほど待ち構えていたのである。
こいつらは街の出入り口をチェックする見張り役の兵士なのであろう。
「えー、その……俺、ユキヒロと言うんですが、実はすごい遠くから今日やってきたばかりなんで、この辺りのことは何も知らないんですよー」
我ながら実にわざとらしい説明口調であるが、とりあえず嘘は言っていない。
都会を珍しがる田舎者というアピールをして、できれば、この大きな街に入ってみたいという旨を伝えてみる。
「おいおいおいおい、そんな軽装で旅をしてきたのかよ。まともな荷物すら持ってねーじゃねーかよ」
脇に立っていたもう一人の方も、口を挟んでくる。こちらは痩せている上に、かなり背が低めだ。腰に手をあてて、値踏みするように俺を見上げてくる。
「いえ、それがですね、向こうの森で、変な鳥に襲われて荷物を全部落っことしちゃいまして、正直、途方にくれてたんですよー。大事なものが全てパーになりました」
このセリフも、捻くれてはいるが真実である。
「ジルベールの森か。ふん、子供のお散歩コースみたいな所じゃねーか。お前、最高にドジでマヌケなやつなんだな」
大男が完全に馬鹿にしたようにせせら笑う。
「ヒヒヒ、じゃあ、お前、もちろん通行証なんて持ってるわけねぇーよなー」
小男も追随する。
「ぐ……ぬぬ。はい、そうです」
これには、うなずくしか無い。
「ククク、通行証がなきゃあ、通さねーぞ。うまいこと言って中に入り込もうとしたんだろうが、そうはいかねーんだよ」
「ヒヒヒヒヒ、ざんね~んだったなー。さぁ、叩き出されないうちにさっさと帰んな、坊主」
2人は下卑た笑いをしながら、脅すように持っている鉄槍をチラチラと見せびらかしてくる。
(こいつら最低だ……)
――とは思うものの、確かに、俺みたいな別の世界から来たなどという人間にとって、街に入るだけの正当な権利があるとは思えず、うまく申し開きができる自信もない。
今回は追い返されるだけで済んで、まだましだったのかもしれなかった。場合によっては怪我をさせられたり、捕まって牢獄に入れられていた可能性だってあったのだ。
(仕方ねぇ、戦略的撤退をするか)
出鼻をくじかれ、心残りではあったが、どうしようもないのでひとまず門から退散する。
(くそぉっ、あいつら、今度会った時は必ずギャフンと言わせてやる)
◆◆◆
その後、俺は街を取り囲む長い壁沿いをつたいながら、周囲を少しずつ歩いて探索している。
この辺りは平坦な地形なので、本道から外れてもそれなりに歩きやすくて助かる。うまく探せば、壁の低い箇所とかからこっそりと中に入り込めるかもしれない。
(けど、困ったな……)
もう夕暮れに差し掛かろうとしている。季節は夏寄りらしく、日の入りはだいぶ遅そうではあったが、それでも心に少しずつ焦りが生じ始める。
(ん、待てよ……街の中に入らなくても、衣食住だけなら何とかならないかな)
よくよく見渡せば、壁の外側にもけっこう建物は存在していた。多分、農地や牧場を持っている人は外で暮らしているのだろう。
この近辺だと最も大きな建物であろう風車小屋が3つほど、かなり目立って建っている。
他にも棄民なのだろうか、かなり古ぼけた小屋や間に合わせの住居、ほとんど使われてなさそうな廃屋なんかもいくつか見つけることができた。
(もう今日は、ここいらの廃屋で一夜を明かせばいいかな……)
いろいろあって、疲れてもいる。
先ほどの川にも、ほどよく近い。パッと見て人の生活している形跡のなさそうなボロ小屋を見つけ、今晩はそこに寝泊まりすることに決めた。
中には誰もいないだろうとは思うが、形だけの礼はする。
「お邪魔しますよ」
小さくつぶやいて、崩れかれかけていた木材の隙間から家の中に入り込んだ。
室内は小さいが思っていたよりも整然としていた。ホコリや蜘蛛の巣だらけということはなく、歩いて床が抜け落ちることもない。
仕切られている壁の向こうに大きめの部屋があり、中央には、さほど壊れているわけでもないテーブルと椅子が配置されている。
それどころか、部屋の隅には干した藁の束や、あまり清潔そうではないものの大きめの布切れまでが積んであり、このままでも充分、寝床として利用できそうである。
これなら、少なくとも[仮住まい]としては申し分ないだろう。
近くには川もあって飲み水には不自由しないし、うまくすれば魚だって捕れるかもしれない。小屋を改修していけば生活拠点とすることもやぶさかではなかった。
(ただ、現時点で、ここにはたった一つ重大な問題があるんだよなぁ)
それは……
「あ、あんたっ、なに者よっ!?」
本日二回目、セリフの中身もあの番兵とほとんど同じような詰問である。ただし、こちらの声は高く上ずっている女の子のものであった。
どうやら俺の見立ては完全に間違っていたらしい。こんなボロ小屋の中に、うら若き女性の先住者がいたのである。
しかも、よく見ると、彼女にはなんだか獣のような毛深い耳と尻尾が生えていた。
これってもしや……